Side Winston.「すべての準備を終えて」
※ウィンストン視点の三人称です。
ウィンストンの描いたプランは複数の段階があった。
第一プランは固形アルテゴの粉末によるオブライエンの無力化。第二プランは液化アルテゴによるもの。どちらも銃弾への細工により敵の体内に打ち込む想定である。勝算は未知数。ゆえにリスクの低い手段から順に試すほかなかった。
未知数ではあるものの、どちらのプランも成功率が低いと見做したのは、ウィンストンの経験ゆえである。『毒食の魔女』の暗殺は――最期の介錯を除き――ことごとく失敗に終わった。知恵を絞り、工夫を凝らしても成果が出ないのは当たり前とすら言える。失敗に慣れているからこそ低く見積もった向きがあった。
第三プラン。液化アルテゴの容器を破壊し、気化したそれを吸引させる。
当初は前段階のプランが失敗した際に、自滅覚悟で決行するつもりだった。たとえ魔物になったとしても任務を遂行する。そうまでしなければ討てない。
そんなウィンストンを止めたのがヴィクトルである。
『君の考えてることは分かるよ。でもおすすめしない。ここまで来て運任せだなんてナンセンスだ。たった一パーセントの確率に賭ける真似は愚かだよ』
密閉された液化アルテゴを鞄に仕舞うのを見咎め、彼はそのように言った。
一パーセント。その意味するところは血族への変質だ。ウィンストンとしてはそれがもっとも好ましい。他種族になった場合であっても、それはそれでかまわない。それらを総合しても十パーセント。魔物になる確率のほうが圧倒的に高かった。
『いいアイデアがある。実は僕には特別な力があってね、君を確実に血族へと変えることが出来るのさ』
『……イタチ特有の能力ですか?』
『いや。個人的に借りた力だよ。グレキランスの先々代の王がどうなったか、君は知ってるかい?』
首を横に振ると、ヴィクトルは耳元で囁いた。それでいてなお、彼の印象に影は落ちない。ただ、語られた内容はひどく胡散臭く感じたものだ。
黒の矢。ヨハンの持つ特殊な力で、射た者を血族化させられる。先々代の王は彼の謀略によって血族になったとの話。ヴィクトル曰く、ヨハンから黒の矢を借り受けているらしいが、その点だけは明確に嘘だと判断した。それが事実ならこちらの耳に入ってないのは不自然である。
信じるに値しない。ウィンストンはそう断定したが、ヴィクトルの提案には乗った。黒の矢なるものがどこから借りた力なのか知らないが、確実に血族になれるのなら文句はない。
偽物の夕景のなか、紫色の肌を晒したウィンストンは、心臓付近の傷を意識した。ヴィクトルが触れた箇所である。さしたる痛みはなく、矢と呼べるほどのものではない。針傷程度だ。それで本当に血族になれたのだから、ますますもってヴィクトルの存在は奇怪である。ともあれ、今考えるべきは彼についてではない。
地面に座り直し、胡座をかいたオブライエンが曇りひとつない笑顔で拍手している。
「すべての準備を終えてここに来た。なるほど。確かにそうみたいだね。素晴らしいよ。僕を倒すために人間を辞めるなんて、なかなか出来るものじゃない。でも、さ」
拍手が止まる。オブライエンの眉が下がる。その細首がわずかに傾く。
「二重歩行者を使えばよかったんじゃないかな。生憎、檻のなかの僕には君の魔力が一切分からないけど、たぶん魔術師でしょ? カトレアさんを殺したときに見たよ、君のこと」
卓越した魔術師は一目で相手の扱う魔術まで見抜く。オブライエンともなれば、寸分の狂いなく把握するだろう。
間違ってはいない。現に、二重歩行者を用いる案は頭のなかにあった。しかし採用しなかったのは勝算ゆえである。オブライエンの本体は檻のなかでいかなる魔術も成立しない状態にあるが、この部屋自体に罠が仕掛けられている可能性は充分にあった。ラルフの檻と同様の仕組みが部屋そのものに施されていれば、魔術の塊である二重歩行者は踏み入った瞬間に消失する。本体を入り口付近に配置しておけばまだ挽回出来るものの、最悪なのは部屋を閉鎖したあとに分身を解除されるケース。その場合、逆転は不可能である。地下空間を制御する鍵だけ本体に持たせていたとしても、再び部屋と廊下とを開通させれば気化したアルテゴが地下空間内の人間に影響をおよぼす。自分だけならまだしもだが、他者を巻き込むのは論外だ。通路の一角を含めて隔離してから、毒に満ち満ちた部屋に入れば問題はないが、結局のところ、アルテゴの餌食になるのは同じ。
室内に罠の類は見出せず、したがって杞憂だったわけだが、ウィンストンはなんら悔いてはいなかった。あらゆる準備を整える。取り返しのつかない変容でさえ問題視していない。
座したオブライエンを視界の中心に置きながら、ウィンストンは顔に汗が浮くのを感じた。
笑みを保ったままのオブライエンが、「もし」と続ける。
「僕をどうにかする手段があるとすれば、アルテゴが筆頭だね。決して死なず、魔術も届かない。そんな相手を無力化するならアルテゴが適切。実際、魔物になってしまったら僕は理性を保てない。魔術は理性の産物だからね、檻の外にいる分身も消え果てる。だけど、もし僕が他種族や血族になったら、君にとっては最悪だ。理性が消えないんだから。つまり檻の外の分身も消えない。一割の確率だけど、嫌な賭けだよね。けれど、それしか方法がなかった。考えつく限り、というより知る限り、君の選択肢はたったひとつ。そこまで事前に分かってたよ」
汗が雫となって流れた。
オブライエンは悠々と喋っている。合間合間に呼吸しながら。
つまり、気化したアルテゴは奴の体内に入り込んでいる。
「研究室に入ったとき、不思議に思わなかったかい? どうしてアルテゴが用意されていたのか。僕はこの戦争で君らが暗躍するのを読んでいたよ。グレキランスの影の守護者――僕を殺そうとしてるって。とても不合理だ。ああ、君の行動のことじゃなくて、研究室のことね。僕が事前に分かっていたなら、どうして地下にアルテゴを置いたんだろう。わざわざ机の上に並べておくなんて正気じゃない。僕にとってアルテゴが必要だったから放置したのか。それとも誘導されているのか。疑問に思ったんじゃないかな、ウィンストン。もちろん別のケースも考えられるね。明らかな誘導だからこそアルテゴの使用を躊躇させるとか」
ウィンストンは答えない。両手で銃を構える。無論、標的はオブライエンである。
銃口が震える。
呼吸が乱れる。
そんなこちらの姿を見て、相手はくすりと笑った。
「僕が今も気化アルテゴを吸引していないと思ってるんだね。だから身体を撃ち抜いて、無理やり体内に入れようとしてる。無駄だよ。僕はちゃんと気化アルテゴを吸ってる」
わざとらしい深呼吸ののち、オブライエンは愉快そうに続けた。
「机の上にアルテゴとは別の液体があったでしょ? 白く濁った液。あれはワクチンの残りさ。ワクチンは二人分しか作らなかった。机にあったのはジュリアの分なんだけど、彼女、飲もうとしないんだよね。……ごめん、話が長くなって。結論、僕にアルテゴは効かない。アルテゴが体内に入った時点でワクチンが浄化するからね」
千年前にラガニアでアルテゴが撒かれたとき、人々は間を置かず変異していった。
液化アルテゴの容器が割れ、気化してから充分に時間が経っている。にもかかわらず、オブライエンに変異の兆候は見られない。
ウィンストンは銃口を下げ、しかしもう一度それをオブライエンに向けた。腕が冗談のように震え、照準が定まらない。
「まだ……吸引していない可能性もある」
縋るように言う。オブライエンは肩を竦め、自分の胸を指さした。
「なら、撃てばいいよ。再生過程で気化アルテゴが体内に混ざる」
言葉の直後、ウィンストンは発砲した。銃弾が敵の腹部に直撃し、その身を吹き飛ばす。
ややあって、オブライエンの肉体が再生した。
「ね? 僕は無事さ。だからアルテゴじゃ殺せない。頑張って準備したようだけど――」
ウィンストンは汗を拭い、呼吸をもとに戻した。
ここまで一度も焦ってはいない。本心からの狼狽もない。すべて演技だ。
オブライエンは自分の右腕を持ち上げ、目を丸くして小指を見つめる。その先端は白銀色の塵となって霧散しつつあった。
「ねえ、ウィンストン。僕になにを撃ち込んだの?」
オブライエンにアルテゴは通用しない。はじめからウィンストンはそのように考えていた。なにしろ彼はアルテゴの開発者なのだから。なんの対策もしていないわけがない。
「血族を怪物に変える物質だ。悠久のときを経て生まれた、アルテゴの不純物。ラガニアでは『毒石』と呼ばれている」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『ヴィクトル』→白イタチに似た獣人。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」幕間.「少女と獣の恩返し」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『毒石』→不純物が入り混じった『固形アルテゴ』。肉体を怪物化させる効能がある。詳しくは『920.「危険物を背に」』にて
・『黒の矢』→ヨハンが王に対して放った攻撃を指す。詳しくは『265.「空想の矢」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より




