Side Winston.「狂気の兵器」
※ウィンストン視点の三人称です。
人間を変異させる兵器――アルテゴ。固形、液体、気体と三種の段階があり、効能を発揮するのは気化したアルテゴのみ。液体のアルテゴは揮発性の高い物質であり、容易には取り扱えない。
当のオブライエンが千年と少し前、家庭教師ラルフに語った内容だ。無論、ウィンストンも知っている。ヨハンはなにひとつ漏らさず伝えたのだから。ただ、ウィンストンが固形アルテゴに幾ばくかの望みを抱いていたのは確かだ。たとえ無害だとしても、液化する条件が必ずある。オブライエンの体内に撃ち込んだことにより、未知の条件が満たされればと思ったのだが――どうもアテが外れたらしい。
「まさか、アルテゴの粉末だけ用意したわけじゃないよね? 君、汗がすごいよ」
オブライエンの微笑に毒はない。分体とは大違いだ。しかしどちらも同一人物で、こいつはどんな演技でも出来るのだろう。
無垢に見える顔の下に、邪悪な心性があるのか。
そうでもなかろう、とウィンストンは断定した。この男は紛れもなく悪党で、道義も倫理も備えていない。だから平気で他人を犠牲に出来る。思うに、彼の人生において――千年を含め――葛藤が生まれた瞬間はひとつもないのではないか。それでいて悪逆にも誠実にも振る舞える。達者な演技の下には膨大な虚空があり、たったひとつの柱が彼の行動を規定しているのだろう。
グレキランス。
それだけがあらゆる行為の原動力になっている。その地に暮らす人々にさしたる愛着はなかろう。彼の愛した人々は皆、死んでいる。例外がひとりだけいるが、オブライエンが彼女のことを本当はどのように思っているのか知れたものではない。
「思い詰めた顔をしているね。必死に策を練っているのか、それとも頃合いを見計らっているのか。どっちでもいいよ。実を言うと、僕は少しだけ嬉しいんだ。君たちの作戦はどれも見事だったよ。地下王都に入り、さらに地下のルートを確定させた。僕の二重歩行者を封殺出来たのも偶然じゃないように思うよ。こっちの用意した罠を全部突破して、ジュリアさえどうにかしてみせた。率直に感心してる」
混じり気なしの本心だろう。実際、ウィンストンとしても本当にここまでたどり着けるかどうかは賭けだった。王城にオブライエンの分体があるのは魔力で察している。地下の異様な状況はバロックの三面図で悟った。ほかにも、こちらの関知しないところで多くの者が懸命に道を確保したのだと分かっている。
責任は重い。個人的な復讐に違いはないが、達成しなくてはならない使命だとも思っている。
「だから、残念だよ。繰り返しで悪いけど、君は僕を殺せない。というより、誰であっても僕を殺せないんだ」
「なぜ言い切れる」
問いかけの間も、ウィンストンはオブライエンに銃口を向けていた。会話に興じる素振りを見せて意識を逸らそうとしているのは、相手方も察しているだろう。こうして凶器を向け続けている理由に別の目的があるとさえ読み取っているかもしれない。
オブライエンは人畜無害な笑みを絶やさず、人差し指を立てた。
「まず、僕は不死者だ。加えて魔術の干渉も受けない。この時点で多くの選択肢が消える。それは分かるよね? となると、僕を僕じゃなくさせるのが唯一の方法。つまりアルテゴを凶器として扱うというアイデアが残る。ただし、気化したそれを僕に吸引させるのは極めて困難。なにしろ液化したアルテゴを用いる過程でどうしたってリスクがあるから。どこに詰め替えるにしても、肝心の液体は空気に触れた時点で気化する。つまり、準備段階で君は人間じゃなくなるのさ」
気化アルテゴを吸引した場合、九十パーセントの確率で魔物になる。他種族になる可能性は九パーセント。血族は僅か一パーセント。そう聞いている。
オブライエンが余裕を見せているのは道理だ。今のウィンストンの姿を見れば、気化アルテゴを吸っていないと分かる。そこから導き出せるのは、そもそも液化アルテゴを弾頭に移し替えていない可能性。
ウィンストンは背後に手を回し、鞄のなかで指先を泳がせる。冷えた金属の手触りがした。
オブライエンが視線を移すのも自然なことだ。
「部屋を閉じたね。さあ、ウィンストン。次はなにをしてくれるんだい?」
オブライエンと共同で変幻自在の地下空間を製作した男、レイブン。彼の遺産ともいえる地下空間の鍵を再び使用したのだ。部屋を隔離するために。これでもう、誰も足を踏み入れない。
ウィンストンは相変わらず汗を浮かべたままトリガーを引いた。三つ目の弾丸がオブライエンの身に達する。
弾頭は敵の体内で爆発し、しかしその身を飛び散らせはしない。三発目の弾丸のみ、弾頭の接触で生じる爆破威力を抑えてあった。
「なにを撃ち込んだのかな」
オブライエンは目を細めて、いたずらっぽく笑む。
ウィンストンは汗を手の甲で拭い、平静を装って「液化アルテゴ」と返した。
薬品室の密閉された容器。机にあったそれは、液化アルテゴだと察しがついた。まっとうに移し替えるなら気化を免れない。それゆえ、容器内の一部を弾頭に転移させたのである。魔術によって、だ。
これが通用しないなら、と考える。焦りが鼓動を速く、強くしていた。
「あ」
オブライエンの口から息が漏れ、彼はその場でのたうち回った。
「あああああぁぁぁ!! 嫌だ! 嫌だ嫌だ! 僕はここで終わるわけにはいかないんだ! うわああああああ!!」
ひとしきり叫んだのち、彼は足を崩した姿勢に戻り、やや恥ずかしそうに微笑んだ。
「俗っぽい演技だったね。さすがに自分でも下手くそだって分かる。ウィンストン。君が撃ったのは液化アルテゴだ。でも、気化していない。もちろん僕は呼吸するし、臓器もある。でも失敗だったね。体内に食い入った弾丸は外気に触れていない。僕の体内で爆発する直前に、シルバームーンで包み込んだ」
オブライエンが片手を突き出すと、手のひらから白銀色の球体が落ちた。
「この球の内部に液化アルテゴがある。ウィンストン。君の計算は完璧すぎて、却って徒になったんだ。弾頭の半分は液化アルテゴではなく、空にしておくべきだったね。そうすれば弾頭内で気化したのに。弾頭の容積分、液化アルテゴをきっちり移し替えるのは器用だけど、この場合は悪手だ」
心臓を押さえ、俯きがちに深呼吸をする。
確かに、そうすれば良かったのだと頭で唱えた。残された弾丸のなかに、これ以上の兵器はない、と考える。
顔を上げてオブライエンを見据えるウィンストンの表情には、どこにも焦りがなかった。
表情。思考。反応。体温。鼓動。それらすべて、ウィンストンは制御出来る。子供の時分からずっと、魔女の暗殺を試みては失敗してきたのだ。その過程で、己の肉体を欺く技術は自然と身についた。
誰ひとり殺したことのない、老練の暗殺者。魔女の殺害は暗殺にカウントしていいものか怪しい。彼女自身、殺されるのを願ったのだから。
銃口を向けたまま鞄に手を伸ばし、管状の物体を檻のなかに投げ入れた。地面に叩きつける軌道で。
容器が割れ、黒色の液体――液化アルテゴがみるみるうちに消えていく。否、気化していく。
「そっか」オブライエンは少しばかり寂しげな表情でウィンストンを見やった。「相討ちでいいと思ったんだね。自分がどうなろうと、僕を魔物かなにかにしてしまえばそれでいい、って。大した覚悟だけど――」
オブライエンの言葉が止まったのは、こちらの変化を目にしたからだろう。
姿かたちを偽るのは、暗殺者の初歩的な技術だ。
「吾輩はすべての準備を終えてここに来た」
ウィンストン肌は紫に――血族のそれに変わっていた。この場に噴出した気化アルテゴの影響ではない。もっと前に、血族になったのだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸の執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンへ、並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『レイブン』→大昔の人物。マグオートの出身者であり、グレキランスからラガニアへの亡命者。流刑に遭ったバーンズと出会い、ヘイズを築いた。ラガニア崩壊以前、オブライエンに手を貸していた人物。オブライエンの根城である地下空間の製造に携わった。地下空間の製造以後は、王都の西方にある運河で初代の渡し守をしていた。詳しくは『922.「技術の源」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『シルバームーン』→オブライエンの扱う銀色の液体魔具。あらゆる硬度や質感を含め、あらゆる形状を模すことが可能。詳しくは『592.「局長と銀の月」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




