Side Jennie.「おしとやかじゃない証拠」
※ジェニー視点の三人称です。
クロによってジュリアの拘束から解放されたものの、ジェニーの意気はなんら減退していなかった。
目の前の眼鏡の秘書を倒す。ジェニーの目的は打倒オブライエンだが、そこに至る道のりにある障害に対し、力を惜しむ気はない。とはいえ、ジュリアに掴まれていた拳以外はじくじくと痛んでいた。鉄塊同然の相手を攻撃し続けたのだから当然の代償である。クロに阻まれてなお突撃を仕掛けようとしながら、痛みが力を奪っていた。
「クロ! どいてほしいにゃ!」
彼はジェニーを一瞥もせず、ジュリアを見据えている。それでいてジェニーの一挙一動を簡単に妨害するのだから見事なものだが、彼女の焦りが募るのも致し方ない。
クロは姿勢を低くしてジュリアを見上げていたが、彼としては腑に落ちない点がある。
なぜ攻撃してこないのか。それどころか一歩も動いていない。
「あなたの目的はなんだ」
クロがそう問いかけたのは、ジュリアの意識を少しでもジェニーから遠ざける意味もあり、また、話は通じると判明しているからでもある。籠絡の手がかりを掴むためにも、言葉ひとつ無駄には出来ない。
ジュリアは顔から嘲弄の色を消し、冷厳に返した。
「オブライエンを守るためよ」
「なら、どうして僕たちを攻撃しないんだ」
敵の排除は守護と同義だ。攻撃しない理由がない。少なくともクロにはそう思えた。だからこそ、彼女には別の算段があると考えるのが妥当。
「さあ、どうしてかしら。考えてご覧なさいな」
「……オブライエンの分身が来るのを待っている」
共益紙上で、この地下空間に欠けている重大な要素が一点。オブライエンの二重歩行者がいないこと。本来ならジュリアだけに任せず、分身こそが出張るはず。そうしたクロの読みは至極当然だ。今も分身が地下王都の玉座に拘束されている事実を知らないのだから。
「不正解。貴方、あまり賢くないのね。なんで待つ必要があるのかしら? ワタシひとりで貴方たちなんてどうにでも出来るのに」
実は攻撃能力を有していないのではないか。そんな推測に駆られた矢先のことである。
ジェニーはクロに抱かれ、否応なしに横っ飛びに移動した。彼女の視界にもそれが映る。細長い棘がジュリアの腹部から伸び、床を打ったのだ。先ほどまでクロとジェニーが重なるようにして居た場所。彼が対処しなければ二人とも貫かれていただろう。それくらいはジェニーにも分かる。
一方でクロは、敵から放たれた最初の攻撃に別の情報を読み取っていた。するするとジュリアの身体に呑まれて消える白銀色の棘。この速度であれば、たった一メートルの距離でも回避可能。意図的に速さを落としていない限り。クロとしては、どうも回避される前提の一撃ではないかと訝っていた。彼女の後方に展開された白銀の壁。それが現れたのは一瞬のことで、今の棘よりもずっと速い。
「ジェニー。タイミングを合わせて攻撃する。だからそれまで待機」
早口に告げられたクロの囁きに、ジェニーはなんの抵抗も覚えない。二人で一緒に戦うのは彼女にとって願ってもないことである。それに、無茶な攻撃じゃ突破出来ない事実は骨身に染みていた。クロが戦わないなら自分だけでなんとかするしかなくて、だから直情的な攻撃を繰り返すしかない。たとえ自滅が待っていようと。それゆえ、クロの提案には素直に従った。
無論、クロはジェニーを騙している。彼女が突出し、犠牲になるのを憂いたのだ。ジェニーの性格をよく知っているからこそ、歯止めが効かなくなる前に楔を打ったのである。
「簡単に殺せるのに、どうして攻撃しないんだ」
「自分で考えなさい」
遊惰な攻撃を放っておいて、言葉は冷徹そのものだ。
「……オブライエンから攻撃を禁じられてる」
「貴方は本当に愚かね。さっき攻撃したでしょう?」
「あれは攻撃のうちに入らない」
不意にジュリアが消えた。ジェニーとクロ、双方の視界から。
ジェニーが視線を顔ごと彷徨わせた刹那、鈍く重い音が響き渡り、クロのいた場所へ――自分のすぐ目の前へと向きなおる。そこに彼の姿はなく、ジュリアが立っていた。クロはというと側面の壁に叩きつけられ、口から血をこぼしている。
「誰が見てもこれは攻撃でしょう? 貴方は本当に馬鹿ね。……貴女も学習力がちっともないわ」
ジュリアへと飛びかかったジェニーの手首が軽々と捕まれ、またしても宙吊りになった。そして再び、自滅同然の攻撃を繰り出す。
拳が痛い。足首も悲鳴を上げている。それでもやめなかったのは、目的意識ばかりではない。
親友が傷付けられたのだ。黙っていられるはずがない。
「他種族なのに、人間みたいな見た目ね。貴女、どこにも居場所がなかったんじゃない?」
それを聞き、ジェニーの内側で怒りが沸いた。
「あるにゃ!! なのにオブライエンがジェニーの居場所を……オヤブンのいる場所を奪ったにゃ!! 絶対に許さないにゃ!!」
今のジェニーにとって、居場所は樹海だ。クロと和解した結果そうなった。けれども本当はイフェイオンの邸こそ本来の居場所なのだと思えてならない。それも、大好きな魔女が生きている邸でなければ意味がない。邸のメイドとして働き、魔女をオヤブンと呼んで慕い、結構な頻度で叱られる。そんな日々が永遠に続くと思っていた。
ずっと。
ずっと。
「オブライエンはひとつも間違えないわ。彼の行為で貴女の居場所が消えたのなら、それは正しい顛末よ」
「なにも正しくないにゃ!! オブライエンが間違ってるにゃ!!」
ジュリアの空いた片腕が持ち上がる。それはジェニーの視界を束の間遮って上へと向かい――。
「黒い獣人。貴方の大事なこの娘を、今から壊すわ。まずは耳。次は尻尾。頬ヒゲも抜く。獣の証を奪ったあとは、片目を潰す。それから手足の指を一本ずつ千切る」
頭頂部付近に突き出た、猫の耳。おしとやかじゃない証拠。ジェニーは右耳に触れる手指の感触を得たが、意に介さなかった。
魔女が死んだのを正しいと言い張るジュリアが許せない。だから痛みなど関係なしにありとあらゆる攻撃をしかけた。
「やめろ!!」
クロの声が廊下に反響し、虚しく消えた。
耳に強烈な痛みを覚え、音の具合がおかしくなる。
ジェニーの目の前に、ふさふさした物体が――血まみれの耳が映えた。ジュリアの指先に摘まれた耳が、不意に落下し、彼女のヒールに潰される。
ジェニーの視界にはクロの残像が映っていた。猛スピードの攻撃がジュリアのありとあらゆる場所へと打ち込まれる。
しかし、いずれも功を奏していない。
「良かったわね。これで一歩、人間に近付いたんだもの」
痛みとともに、次々と身体が欠けていく。
左耳。
尻尾。
頬ヒゲ。
クロがなにやら叫んでいる。両耳を失っても音を聴き取れたのが不思議だ。ただ、ジュリアの指先が眼玉へと接し、潰されたとき、さすがに攻撃する気力が失せてしまった。頬ヒゲを抜かれた時点で、身体の脱力は著しいものがあったが、それでも攻撃を続けたのだ。視界ひとつを失って、ようやく脱力が勝ったのである。
ここは戦場で、相手は絶対的な強者。
ジェニーはようやく、越えるべき障害の絶望的な高さを正視したのだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村を獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。彼と樹海で戦闘し、その末に和解した。クロと一緒にいるために、ルドベキアに残ることに決めた。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『クロ』→ケットシー。ジェニーの幼馴染。ルドベキアの獣人とともにケットシーの集落を滅ぼした。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。水に浸すと文字が消える。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『イフェイオン』→窪地の底に広がる豊かな町。王都に近く、特産品の『和音ブドウ』を交易の材としている。かつて『毒食の魔女』によって魔物の被害から逃れていた。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』にて




