Side Jade.「恋でも愛でもない感情」
※ジェイド視点の三人称です。
紅色の背中――コルニオラを見つめつつ、碧の鱗を持つ竜人のジェイドは彼女から付かず離れず駆けていた。背後の竜人数名も、最後尾の獣人および人間も粛々と足を動かしている。現在残ったメンバーはたったこれだけだ。
ジェイドはこれまでのことを振り返る。
ミイナを襲撃した球体どもが格納されている部屋は、道中に四つあった。それらを別の部屋に引き寄せて対処出来たのは三つまで。残りひとつは頃合いの部屋がなかったし、そもそも連中を引き寄せること自体が不可能だった。球体どもの先で、血を散らして戦う何者かがいたのである。それがドルフであると気付くまでにはそう時間はかからなかった。
コルニオラの指揮のもと、多くの人員が廊下での球体の排除に回され、果敢に戦い、そして命を散らせたのである。球体は想定よりも少なかった。理由は考えるまでもない。トナカイ族とタテガミ族のハーフである獣人ドルフが、たったひとりで多くの球体を屠ったのだ。
球体の排除を終えると同時に、ドルフは倒れた。ジェイドは彼の身体を目にしたときから、なぜこの男は戦えているのだ、と奇妙に感じたものである。両の角を失い、身体のいたるところが抉れていた。全身を真っ赤に染め、失われた血、流れ続ける血液を意に介さず戦っていたのである。ジェイド自身も死ぬ覚悟で出征したのだが、もし覚悟に質量があるのなら、きっとドルフのほうが大きいのだろうと思う。もとより彼は、樹海内で絶滅に瀕したトナカイ族の集落を守るために戦争参加を決め、『緋色の月』の一員として動いていたのだ。殊、守る力と意志ならば彼に軍配が上がるのは至当である。
ドルフ救出により喪われた命は多い。ほとんどの者が敵の光線に射抜かれて落命するか、深手を負った。最後尾付近まで下がっていたコルニオラが射るような目付きで仲間の背を見つめていたのは、ジェイドにとってなんら不思議な事態ではない。彼女は竜人の住処である『霊山』から、生まれながらの被虐者たちを連れて去ったのだ。そして樹海でサフィーロと決闘し、勝利を手にするほどの実力者でもある。彼女の行為はすべて、優しさに基づいた果断だ。こうすべきと思えば迷わない。その結果、多くの犠牲者が出ると分かってなお、最適ならば選び取る。
仲間の屍を越え、球体の残骸を蹴散らして目的地まで駆ける彼女の背に、ジェイドはなにひとつ不満や酷薄さを感じなかった。注ぎ込んだ人員の多くが犠牲になるのは、誰もが理解している。道中で全滅することだって充分にありえた。最後尾の獣人と人間以外に、数名であれ竜人が生き残っているのはむしろ成果と言っていい。
「ここからは俺たちが先頭を進みます」
竜人たちが、次々とジェイドとコルニオラの横を通り抜けた。
「……ありがとう。任せるわ」
一切の濁りなく発したコルニオラの背を見つめ、思う。
このひとは今、言葉を呑み込んだ。本心では『駄目』と言いたかったろうに。意気溢れる竜人を鼓舞するばかりが理由ではあるまい。
ここにいる竜人のなかで、もっとも強いのはコルニオラだ。彼女はそれを自覚している。だからこそ、絶対に守らねばならない後ろの面々を意識したに違いない。先頭を行くのは危険が伴う。不意の罠が訪れるのならば、一番先を歩む者が犠牲になる。それを全部理解して、彼らに任せたのだ。
ジェイドは足を緩めることなく、視界に映える紅色から視線を逸らさない。
『きっと死ぬわ。それでもいい?』
深い木々に囲まれた集落が脳裏に浮かぶ。樹海に移住した竜人はゾラにより廃集落を与えられた。自給自足が原則だが、『捧げ物』なる物々交換の輪にも入れてもらえたのは僥倖である。木々を切り倒し、家を作り、水源と食料の確保までやらねばならないと皆が覚悟していたところに、望外の厚遇を得たのだ。
竜人の半数は、今も深い木々の香りのなかで過ごしている。この瞬間も。
全員が出征に名乗りを上げたのだが、半数に留めたのはコルニオラの判断である。ジェイドは居残り組に割り振られ、どうしても納得がいかなかった。彼女のことは尊敬しているし、恩義も感じている。移住した竜人はすべて『半鱗』――生まれ落ちたそのときにヒエラルキーの下層に配された者だ。しかしながらジェイドだけは違う。『純鱗』――すなわちヒエラルキーの上層として生まれた。戦士として育ち、蒼の竜人サフィーロを崇拝した経緯を持つ。にもかかわらず、コルニオラの優しさに触れ、樹海に残ると決めたのだ。きっと白い目で見られるだろうと若干捨て鉢な気持ちがあったのは否定出来ない。
まったくなかった。そんな差別は。
『半鱗』たちが遠慮しているか、あるいは等しく心根が柔らかいのかというと、そうではない。
彼らはコルニオラを心酔し、その在り方を讃えている。だから差別も区別もされないのだ。また、こちらの目に触れないところでコルニオラによる根回しがあったのかもしれない。彼女は常に未来を見据えている。少し先の未来も、遥か遠い未来も。『半鱗』の大脱走が速やかにおこなわれたのも、誰ひとり離反しなかったのも、彼女が先の先まで見越して長い時間をかけた労を表している。
どうしても出征すると言って聞かなかったジェイドに、コルニオラは死を直截言葉にした。それでもいいのか、と。無論、首を縦に振った。
自分はどうなってもいい。たとえ死が待っていようとも、コルニオラのそばを離れる気になれなかった。彼女の盾になれれば幸福だ。
この気持ちは恋ではない。愛でもない。崇拝という言葉が比較的近いが、なかなかどうして、ピタリとくる語句がない。樹海で束の間、安らいでいたときのコルニオラはとても気さくな女性で、サフィーロのように、一分の隙なく傲岸な高貴さを湛えてはいなかった。
よく笑うひと。細かいところに気付いては、手助けするひと。誰に対しても隔てなく、驕ったところなんてひとつもない。そしてとびきり頑固だ。出征の日を偽って、こちらを置いてけぼりにするくらいには。まあ、結局それは失敗したわけだが。なんとなくそんな魂胆だろうと思っていたからこそ追いつけた。
追想に耽っているうちに、コルニオラの背中にぶつかってしまった。
「すまん」
「謝らないで。それより、ほら」
彼女の示す先で、竜人が短い列を為している。
分かれ道だ。共益紙経由で、その意味するところは知っていた。右に曲がれば、ふたつの部屋を過ぎたのち、目的地へと至る。
都合何キロ進んだのだろう。ともかく、いくつもの階段や、球体という罠を掻い潜り、ようやくゴールが見えたと言ってもいい。
だからだろう。竜人たちが分かれ道に踏み出し、しばし周囲を見渡していた。
彼らが警戒する気持ちは分かる。痛いほど。なにしろ目的地の手前の部屋は地図によると『女』なのだ。オブライエンによる最初の不死者――ジュリア。彼女が最大の難敵になるであろうことは想定済みである。
「コルニオラさん」通路に踏み出した竜人が言う。「左右どちらにも敵影はありません。進み――」
言葉が絶える。音はなく、鮮血が舞った。
通路を横断したいくつもの眩い弾丸が竜人を嬲り、射抜き、その命を奪ったのである。
分かれ道の手前に居残ったコルニオラとジェイドを除いて。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェイド』→碧の鱗を持つ竜人。サフィーロを崇拝している。煽られるとつい反応してしまう性格。『純鱗』だったが、サフィーロの怒りを買い、一方的に『半鱗』に格下げされた。しかしクロエの働きにより『純鱗』に返り咲く。樹海にて『半鱗』のリーダーであるコルニオラと決闘した末、彼女たち『半鱗』とともに生きることに決めた。詳しくは『681.「コツは三回」』『684.「鱗塗り」』『Side Jade.「正しさの在り処」』
・『コルニオラ』→心優しい女性の竜人。深紅の鱗を持つ。被差別階級である『半鱗』のなかで、戦士長のポジションを与えられている。クロエとともに竜姫を捜索する役目を受けた。竜人の持つ階級意識から脱するため、血族であるハンジェンとともに、『半鱗』を率いて『緋色の月』に合流した。詳しくは『682.「紅色の施し」』『693.「半鱗の戦士長」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。夜会卿に拉致されそうになったクロエの身代わりとなった。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイ族の獣人。別名、鉄砕のドルフ。タテガミ族との混血。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。貧弱なトナカイ族を食わすため、仕方なく『緋色の月』に協力している。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『純鱗』→竜人たちの優遇階級。誇り高い存在とされている。生まれた時点で鱗の色により『純鱗』か『半鱗』かに選別される。次期族長を決める乱闘に参加出来るのは『純鱗』のみ。詳しくは『683.「純鱗と半鱗」』にて
・『半鱗』→竜人たちの被差別階級。賤しい存在とされている。基本的には生まれた時点で鱗の色により『純鱗』か『半鱗』かに選別される。『純鱗』の権力者によって、一方的に『半鱗』と決めつけられて転落するケースもある。詳しくは『683.「純鱗と半鱗」』にて
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『トナカイ族』→獣人の一種。樹海内での地位は低く、実りの少ない地に住んでいる
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。現在は『灰銀の太陽』と手を結んでオブライエンの打倒を目指している。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『捧げ物』→獣人の集落同士を繋げる、物々交換の風習。情報交換や交流も兼ねている。詳しくは『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』『600.「或るケットシーの昔話」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。水に浸すと文字が消える。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて




