Side Meena.「意識の支配者」
※ミイナ視点の三人称です。
ザムザと名乗った男。その容貌が地上――正確には地下王都――に跋扈していた雷の魔術師であることは、タテガミの獣人も知っていた。合流地点であるウィンストンの住まいに行くまでの間に、まだザムザたちが残存していたからだ。目の前の男と異なるのは髪色と装束のみ。あるいは、喋っている点。
オブライエンの手先だと知った以上、大人しく牽制しているわけにはいかないと誰もが察していた。ただ、この場の他種族――トロール以外――は奇妙にも感じている。オブライエンの手の者なら、なぜ仕掛けてこないのか。そしてなにより、なぜ目的地に向かう肝心要の部隊を追わないのか。こちらを相手に時間稼ぎしたところで、本命は今も動いているのだから益はない。
タテガミの獣人は半歩踏み出し、切っ先を相手の心臓に向けた。
「なぜ大人しくしている? 貴様はオブライエンの手先なのだろう?」
「どちらも矛盾しないからだ」
即答だが、情報が欠けている。オブライエンの正体も、他種族連合の目的も、地下王都のザムザについても、そもそもザムザという名前自体も、ミイナは知らない。それでも、入り口付近のタテガミと竜人が醸す胡乱な雰囲気から、ザムザと名乗った男が単なる闖入者ではないのだと悟った。だからこそ金棒を担ぎ、大股で入り口へと歩む。
「ならば、貴様はなんの目的でこの部屋に現れたのだ」
「目的はない。ただ、やってはいけないことだけ指示されている。職人に危害を加えないこと。職人に危害を加える者を抹殺すること。職人を部屋の外に連れ出す奴を殺すこと。俺に歯向かってくる奴を討つこと。この部屋を出てはいけないこと。この四点に優先順位はない。どれも絶対に破ってはならないルールだ」
ミイナは思わず足を止めた。今まさに彼女らは『親爺』を連れ出そうとしている。しかし男が動く気配はないのだ。
室外に出すまでは殺戮対象ではないということだろうか。
それにも増して妙なのは、部屋を出てはいけないという事項である。
「オマエはどこにもいなかったじゃねえか。アタシがここに来てから、さっきまでずっと」
思わずミイナが訊ねると、ザムザは先ほど同様、即答した。
「いや、俺はずっとこの部屋にいた。半年近く、ずっとだ。オブライエンの指示があるまで出られない。今もなんの指示もない。だから俺は部屋を出なかった」
室内に足を踏み入れて、全部ではないもののよく観察したはずだ。しかも自分以外に六人も他種族がいる。誰ひとりザムザに気付かないなんてありえない。
「そんなはずはない」とタテガミが呟く。声のトーンが低いのは、なかば以上戦闘に意識を向けているからだろう。
「いや、事実だ。お前ら七人は――というより、ほぼすべての生き物は共通して視界を頼る。視野の外にあるものは見つけられない。もし目に入ったとしても、別事に意識を奪われていたら見落とす」
七人全員の視界から外れるように動いていた。そんな言葉を真に受ける気にはなれない。だから、タテガミの放った「魔術か」という断定には頷けるものがあった。
しかしザムザは首を横に振って否定する。
「俺に使える魔術はひとつだけだ。オブライエンはそれしか教えてくれなかった。こうも言える。それだけで充分だった。……もっとも、使う機会もないし、使う気もない」
ミイナはもちろんのこと、この場の他種族に魔力察知の力はない。ゆえに、魔力の含有量などで男の言葉の真贋を見極めるのは不可能だ。ただ、ミイナの経験上、ザムザはなにひとつ嘘を口にしていないと直観した。しかし、嘘がないこととは別に問い詰めるべき事柄もある。
「『親爺』を洗脳したのはオマエの仕業か?」
「『親爺』? お前らが抱えてる職人のことか?」
「そうだ」
「俺は職人に手出ししていない。彼らはここに来たときから、ずっと変わらない。働いて食って寝る。また働いて食って寝る。無駄口は利かない。手も抜かない。そうじゃない職人の在り方を、俺は知らない」
今もずっと、金槌を打つ音がしている。立ち働く靴音も、図面を記す音も。こんな異常事態にあってなお、職人たちは決して作業を止めなかった。そこに彼らの意志がないのは明白である。そしてザムザが犯人でないとすれば、オブライエン以外にいないだろう。
職人をもとに戻せるのも、オブライエンだけに違いない。だとしても言葉が口から溢れ出る。
「『親爺』たち……ここにいる職人を普通に戻せ」
「普通ってなんだ?」
「喋ったり、笑ったり、自分の意志でなにかしたりしなかったり、そんなふうに戻せって言ってんだよ! ここに来る前の『親爺』を返せ!」
反響する叫びのなか、ザムザが首を傾げた。
「俺はここにいるときの職人しか知らない。だからお前の言う、来る前の『親爺』がどんなだったか分からない。そもそも俺は職人たちになにもしていないし、なにも出来ない。諦めてくれ」
タテガミの獣人が槍を振るったのは、言葉の直後である。
タテガミは、消えた、と思ったろう。ザムザは今、彼の背後にいる。一切を目にしたミイナは悪寒を覚えた。ザムザは音もなくタテガミの股ぐらを滑り潜って、彼の背後に回ったのだ。まばたきひとつ程度の時間で。
タテガミが振り向く。その首の動きよりも先にザムザが横に移動し、そして入り口に戻った。正面に向き直ったタテガミが仰天したのも無理ないだろう。
「今のは危害のうちに入らない。そもそも、お前たちは俺に危害を加えられない。事実だ。だから排除する気がない」
燃え上がる怒りのさなか、一連の動きを目にしたミイナは多少の冷静さを取り戻していた。ついさっきまで七人の視界から外れていたという言葉が真実味を帯びる。今しもザムザが披露したのは、タテガミひとりを標的にした、死角を突く動きだ。タテガミにとっては、そこにいたはずの存在が不意に消滅したと感じたろう。一対一では勝ち目がないどころか、どこにいるのか把握するのも不可能だと知らしめるには充分である。
しかしタテガミは怖気づくどころか、意気を漲らせていた。背を見れば分かる。荒い呼吸は動転のそれとは異なり、野性の獰猛さを示していた。
『親爺』を抱える竜人と、彼を補佐するタヌキ顔の獣人を除き、全員が一斉に動いた。ミイナは職人たちの間を縫うように駆け、先陣を切った四人――トロール二人、土色の竜人、そしてタテガミのもとへと急ぐ。
四人はめいめいの武器でザムザを襲撃した。
確かにそう見えた。
が、結果はまったくの想定外である。
竜人の爪がトロールの背を裂き、トロールの棍棒がもうひとりのトロールの頭に直撃する。タテガミの槍は竜人の足に突き刺さった。
四人が四人とも、互いを傷付け合い、呻きを漏らす。
四人よりも離れた位置にいたミイナでさえ、ザムザの動きすべてを追えはしなかった。ただ、彼が同士討ちさせるよう巧みに誘導し、視界をコントロールしたであろうことは分かる。両腕を上げて上背のあるタテガミと竜人の視界を奪い、すんでのところでトロールの動きを避け、自分を取り囲む四人の距離感を足運びで狂わせた。そして攻撃が訪れる瞬間には、危険域を脱したのである。
今、ザムザは四人から数メートル離れた位置で同士討ちに至った彼らを眺めていた。ちょうどミイナに背を向けて。
足に力を入れ、一気に跳ぶ。振り上げた金棒を握る腕に力を込めて。
激突するか否かのタイミング。本来なら着地と同時にザムザの脳天を直撃するはずだった金棒が、なんの抵抗もなく虚空を切った。
そうなることが分かっていたからこそ、ミイナは腕の力と下半身の捻りとを全力で駆使し、失敗した振り下ろしの勢いを殺して金棒で薙ぎ払った。ぐるりと。一回転。
視界のどこにもザムザはいなかった。
「お前も同じだ。俺の害にはならない」
真後ろから聴こえた声に、ミイナは歯噛みする。
単に視界に入らないだけではないのだと、至近距離で理解したのだ。四人が四人とも後れを取ったのは、彼らが弱いからではない。
ザムザの動きは足音もなく、呼吸音も捉えられないほど薄い。気配と呼びうる要素がことごとく無なのだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。クロエの所有するサーベルは彼が製造した。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸で執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンに並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




