Side Jennie.「白光の獣人」
※ジェニー視点の三人称です。
第三グループのバロックが地図作成に向けて観察をはじめた頃、ジェニーとクロ、そして白イタチの獣人ヴィクトルはようやく地上に降り立った。ただし、安全とは程遠い。依然として周囲は銀髪の男が飛翔し、雷撃が絶え間なく飛び交っている。ひと息つく時間もない。
「クロ。ジェニーは戦ってくるにゃ」
浅い頷きを確認し、ジェニーは宙へと跳躍した。飛来する雷の回避は難しいものの、不可能ではない。彼女の履いた靴は、大好きな魔女から貰った魔具だ。空中を自由自在に駆け回れる能力を有する。より厳密に言うならば、任意のタイミングで靴裏に視えざる足場を作成する力。
雷をことごとく避け、蛇行しつつ空中を移動する。そして目についた銀髪を思い切り蹴り飛ばした。空震が響き渡り、敵の姿がみるみる遠ざかる。自分の蹴った相手がどうなったか、最後まで確認する余裕はない。ジェニーは次なる標的へと足を進めた。
今のジェニーは、おしとやかじゃないにゃ。
そう独白する。自分を拾ってくれた『毒食の魔女』の言った『おしとやか』の意味を、いまだにジェニーは取り違えていた。彼女は獣人としては不完全である。獣の証は耳と頬髭と尻尾だけ。自制心さえ保っていれば、それらは出現しない。魔女の言う『おしとやか』とは、ジェニーが人間と同じ姿でいられるように、人間の社会にとけ込めるように課した制約だ。彼女は本意を知らず、大人しくすること、暴れないことが『おしとやか』の意味だと思っている。
空を駆け巡るジェニーは、彼女にとっても、亡き魔女にとっても『おしとやか』ではない。猫耳が露出し、頬髭がピンと伸び、尻尾が出ている。そして全力で暴れていた。
とりおき彼女の視界に、優美な白イタチの姿が映る。彼はジェニー同様、空中を移動しつつ、視線を手元に落としていた。共益紙である。敵の雷撃を遺漏なく回避し、ときどき手をかざしては閃光が弾けた。あとにはなにも残らない。光に呑まれた銀髪の男たちは、例外なしに消滅した。
ジェニーが全身全霊で銀髪たちと戦えているのはヴィクトルの影響だ。
『あれは人間じゃないし、言葉も通じないから、思い切り戦って大丈夫だよ』
地上へ降り立つまでの間にヴィクトルが口にした内容である。ジェニーはそれを愚直に受け取った。
敵だから戦う。あるいは、攻撃されたから反撃する。彼女はそのような性格ではない。魔物であれば容赦しないが、相手がひとのかたちをしていたら、どうあれ対話を試みるのがジェニーである。そのほうが『おしとやか』だからだ。
正体不明だが、銀髪の男たちは人間ではない。他種族でも血族でもない。だったら何者なのか――と考えるのが自然だが、ジェニーはさしたる疑問もなしに拳を振るい、蹴撃を見舞った。
目まぐるしく変わる視界が地上のクロを捉えた。彼も戦っている。銀髪を路地におびき寄せ、持ち前の俊敏さで一撃のもとに屠っていた。跳躍するにしても、路地の屋根より上には至らないよう調整し、なおかつ手足が家屋の壁面に届く距離で跳ぶ。ジェニーのように自在に空中を移動出来ない彼に出来る、最大限の予防線だ。家屋の壁を足場にすれば、身に迫る雷を避けて立体的な戦いが可能。そうやって敏速に雷を躱すクロを目にして、ジェニーは彼の賢さに舌を巻く。やっぱりクロはすごいにゃ、といった具合に。そして我が事のように嬉しくなった。友達がすごいと心が弾む。混じりっけなしの感動だ。嫉妬なんて入り込む余地がない。ジェニーはそのような女性である。
でも、と思う。
ヴィクトルもすごいにゃ。
ほとんど出会ったばかりと言っていい獣人だが、付き合いの長さはあまり関係ない。すごいものはすごい。共益紙からほとんど目を離さず、ときにはなにかを記しつつ、敵を抹消する姿は尋常ではなかった。
かくして第四グループは三者三様に危なげない戦闘を繰り広げている。しかし敵は一向に減らなかった。敵側の援軍と、三人が撃破する数が拮抗していたのである。敵の多くをバアルら第二グループが引き受けていた影響だが、その事実をジェニーはもちろん知らない。
ジェニーが知る範囲の第四グループの役割は、敵の大将であるオブライエンの位置を特定することと、オブライエンの足止めである。現在の状況に対する適切な行動は、彼女には不明だ。
「このまま戦い続けよう。地図が出来上がったら僕が案内する」
ヴィクトルの声が耳に入った。爽やかな口調である。声色も清涼。今も敵の攻撃に晒されているとは思えないほど。
「分かったにゃ」
ジェニーはヴィクトルを信頼した。彼が指針を定めることになんの疑問も抱かない。ゾラが認めたすごい獣人であり、仲間だからだ。そもそも他人を疑うより、まずは信用するという、長所とも短所とも取れるジェニーの性格が大いに影響しているのは言わずもがな。
戦場に変化があったのは、それからしばらくしてのことである。
一本の矢が空を切り裂き、銀髪の男に命中した。反射的に矢の到来した方角を見やると、屋根の上で矢をつがえる男の姿がある。そして人間は彼ばかりではない。あちこちの屋根や大通り、あるいは路地で弓兵が構えていた。次々と放たれる矢は、いずれもジェニーやヴィクトル、そしてクロを標的にしていない。命中しない数のほうが多かったが、どれも銀髪の男を狙っての攻撃だった。
「みんなありがとうだにゃ!」
ジェニーは声を張り上げ、笑みを送る。弓兵の何人かが親指を立てて苦笑した。
『鏡の森』の君主――幻術のグレガーの交信魔術によって人間たちが行動した事実などジェニーは知り得ない。そしてほかならぬ弓兵たちがいずれも昨晩、壁上から退避した者たちだということも。その大部分が南門に配属された、いわばゴッドの舎弟たちであることも。
あちこちで一斉に鬨の声が上がる。弓兵たちのものではない。
簡易的な鎧をまとった人間――内地の警備兵――があちこちから現れ、ひとつところを目指して駆けた。ジェニーが彼らも仲間だと思ったのは不思議ではない。
警備兵は皆、青い光を湛えた剣を掲げ、クロのいる場所へと突撃した。彼らの得物は玉座付きの近衛兵が帯びていた魔具と同一である。言うなれば、意識を失っても戦わせる剣。それを支給したのが誰か。
オブライエンだ。
剣に操られた警備兵たちは交信魔術など無視して剣の奴隷と化している。心では他種族に加勢しなければと思いながらも、向かう先は地上のクロだ。剣はひたすらにアルテゴを宿した者を狙う。血族や魔物はもちろんのこと、他種族も例外ではない。
路地で挟撃されたクロは頭上を見上げたが、部屋にも警備兵が登っている。数メートル先まで迫った警備兵がなにを標的にしているか、彼もさすがに気付いたが、もはや取り返しの付かない状況にあった。警備兵の頭上を飛び越えて逃げるのが一番。それゆえクロは身を屈め、跳躍の姿勢を取った。飛び越えた先にも警備兵が蠢いているのを知らずに。
不意に、警備兵の動きが一斉に停止する。その直後、青い剣はひとつ残らず折れ、魔具としての機能を失った。
警備兵は立ち止まり、苦しげな呻きを漏らす。悔悟の言葉が重なり合う。
「君たちにそんな武器は似合わない」
ヴィクトルの声だ。呟きほどの声量にもかかわらず、ジェニーやクロはもちろん、すべての警備兵がそれを耳にする。
「君たちに正義の剣をあげよう。それを使って、敵を討ち取ってくれないかな」
地上のあちこちに白の光が灯った。警備兵全員の手が、輝かしい白色の剣を握っている。
警備兵たちは多少戸惑いながら、虚空へ刃を振るった。切っ先の描いた軌跡が白色の斬撃となり、空中の敵――銀髪の男たちに直撃する。
「よし。僕たちは地上に降りようか」
とヴィクトルがあっけらかんと口にした。
なにが起こったのか、どうしてこうなったのか、ジェニーにはさっぱり分からない。いつの間にかジェニーの隣まで高度を落としたヴィクトルが手を差し出す。
降り注ぐ雷撃は二人に到達する前に、白の光に打ち消された。警備兵の刃ではない。ヴィクトルによる魔術なのだと直感した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村を獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。彼と樹海で戦闘し、その末に和解した。クロと一緒にいるために、ルドベキアに残ることに決めた。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて
・『クロ』→ケットシー。ジェニーの幼馴染。ルドベキアの獣人とともにケットシーの集落を滅ぼした。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』
・『ヴィクトル』→白イタチに似た獣人。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」幕間.「少女と獣の恩返し」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『バアル』→山吹色の毛を持つ、巨躯のタテガミ族。『緋色の月』の五番手。投てき能力に優れ、筋力に恵まれている。シーラの夫。直情的で野蛮な性格。シンクレールに敗北し、オオカミ族の酋長バロックの支配魔術で抵抗を封じられた。詳しくは『Side Alec.「使命と憎悪」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『ゴッド』→実名不明の浅黒い男。騎士団ナンバー9。多くの舎弟を従えている。重力魔術と吸収魔術の使い手。戦争においてレンブラントを追い詰めるも、敗北して死亡。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『近衛兵』→グレキランスの王城および王を守護する兵隊
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。水に浸すと文字が消える。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』




