Side Barock.「地下経路図」
※バロック視点の三人称です。
二時間強。
地下に着水してからそれだけの時間が経過していた。
一秒でも早く地図を完成させなければならないのはバロックも重々承知していたが、失敗するわけにはいかない。観察と測量に大幅な時間を費やしたのは彼にとって必然だった。
「メロさん。失礼ながら背中を貸していただけますか? 獣人の――」
ドルフの背は体毛のせいで書きづらい。雑な文字であれば書けなくもないが、精度が要求される作業にはおよそ不向き。そのようなことを言おうとしたのだが、メロはやはりなんの抵抗もなく背を差し出した。
「変なトコ触んなよ?」
冗談っぽい笑みを浮かべる彼女に対し、気の利いた言葉を返せなかった。頭のなかに出来上がった図面を崩さないためには無駄口を叩く余裕などない。
背に触れる。冷えて感じるのは、こちらの手の温度が高いせいだろう。背中に共益紙を置き、手で押さえ、メロと繋いでいたほうの手を離す。彼女の身に触れてさえいれば地下を泳ぐ力は維持される。身体のどの箇所であってもだ。
地下の部屋たちが依然として移動するなか、バロックは『上方からの平面図』と小さく書き入れ、素早く線を描き始めた。緻密に。ひとつの間違いもなく。
次は『右側面図』と書き、またぞろ線を描く。
次は『王城方向からの正面図』。
縮尺を記し、最後に問う。
『不足あらば書き足す。問題なければ地下の固定を。そののち、経路上に部屋を追記する』
脳が破裂しそうだ。指先が痺れている。呼吸の荒さは、体温上昇によるもの。まったくもって優雅ではない。今の自分は、さぞみっともない顔をしていることだろう。
「これが地図か? ぐちゃぐちゃの線ばっかじゃねえか。しかも三つも描いて」
「縮尺の都合で細かく描き入れるしかなかったのです。一方面だけ描いても意味が分かりませんから、平面図と正面図と側面図を合わせて立体を製図しました」
案の定ドルフは首を傾げている。彼が分からずとも問題はない。伝えるべき相手に伝わればよいのだから。
「ウチにも見せて~」
相変わらずメロは気安い。彼女の肩に触れたまま、共益紙を渡す。するとメロはすぐさま首を傾げた。
どうせ分からないだろう、と思った矢先――。
「迷路じゃん」
「おや……。ええ、そうです。厳密には迷路ではなく、ほぼ一本道の経路ですが」
通路と階段。バロックが三面に渡って描いたのは経路に過ぎない。
「どこをどう見りゃ一本道になんだよ」
「三つの面を総合すれば道になります。たとえば、ドルフさんの石像を作るとしましょう。正面から見たドルフさんだけでは、ドルフさんの全身を立体的に把握出来ません。上空から見下ろし、右側面から眺めれば、全体像が分かります」
「それじゃ背中は分かんねえだろ。左側もだ」
「それらの遮蔽された部分は点線で記せばいいのです」
ドルフは分かったような分からないような顔で右斜め上に視線を流している。やがて理解を諦めたのか、話を変えた。
「それはいいとしてよお、なんでこんないっぱい道を描いたんだよ。もっと単純に出来たんじゃねえか?」
「それは――」
言いかけたバロックを遮ったのはメロである。
「ウチは分かるよ。移動する部屋を全部通るようにした。どう? 正解っしょ?」
「惜しいですね。しかしまあ、ほぼ正解です。十分間で移動する部屋すべてに接する経路を描きました。あの移動する部屋すべてが安全とは限りません。むしろ、罠のほうが多いでしょうね。ですので、部屋はあくまで接するだけ。経路上にいくつも出っ張りがあるでしょう? 部屋への出入り口です。大部分は通路上の凹みになりますが、そのうちの二十個は必ずどれかの部屋に繋がる」
地下空間にどこまで干渉出来るのか定かではないとヨハンから聞いている。自在に変更可能である公算が高いが、オブライエンはそう甘くない。干渉されたと分かれば即座に対応するはず。オブライエンの本体がいる部屋が隔離され、干渉を受け付けないよう固定されたなら終わりだ。ゆえに、地下空間へのアクセスは一度に留める。こちらから先手を打って固定すればいい。隔絶された空間には通路を作成して。もっとも、この場合は複雑怪奇な経路を一発で作り上げて、同時に固定する必要がある。
バロックは不意に訪れた変化に、思わず深い息を吐いた。部屋の移動は停止している。いくつもの通路が、階段が、絡み合う枝のように見えた。
こちらの想定と寸分の狂いもない経路である。
「やるじゃん、バロック」
振り向いたメロの笑顔に、なんだか気が緩んでしまった。この人魚はとことん演技が上手い。そう思い直さないと心が揺らいでしまう。
「しかし、運がない」
入り組んで見えるようで、ほとんど一本道の通路。その末端に敵の本丸があるのだから、これからの道行きには憂いを覚えて仕方なかった。そして唯一の丁字路が、本丸の遙か先で別の部屋に繋がっている。見る限りなにもない部屋だ。罠でなければいいが、どのみち入ることのない部屋のはず。
「それでは、地図を完成させましょう。メロさん。共益紙をこちらに」
「はーい」
共益紙を渡すや否や、メロはこちらの腰に腕を回し、泳ぎはじめた。すべきことは理解している。自分も、彼女も。上半身が揺れないように泳いでいるのはメロの配慮だ。泳ぎながら、背中を机にして地図を描き入れるための。
無駄の多い通路の隙間を縫って部屋部屋を仔細に観察する。なにもない部屋は、本丸の対岸だけだ。それ以外は実に様々である。
白銀色の球体が配置された部屋が複数。
真っ赤な液体を湛え、回廊で囲った部屋。
複数の人間がなにやら物作りをしている部屋。
頭からチューブを生やした男が座り込む部屋。
眼鏡の女性が佇立している部屋。
物置小屋らしきもの。
薄青い液体に満ちた、円筒形の容器が無数に並べられた大部屋。
黒色の液体や鉱物が入った、いくつものガラス瓶が棚に並べられている部屋。
バロックは経路に部屋の配置を描き入れ、矢印を伸ばして各部屋の特徴を端的に記す。
書き終えた共益紙を眺めて、バロックは疲労たっぷりの息を吐いた。
これで仕事は終わりだ。
『地図完成。メロより。バロック代筆』
これを合図に、皆が動き出すはず。メロと自分の役目は終わりだ。
「もう書けた? ウチにも見して」
メロに共益紙を渡す。と、彼女は口を曲げて詰め寄った。
「なんでウチが書いたことにしてんの? 意味不明なんですけど」
「いえ、責任転嫁ではなくて――」
「そうじゃないってば」
メロがペンを取り上げる。そして共益紙を突きつけた。『メロより。バロック代筆』の部分が二重線で消され、代わりに『バロック大活躍!』と太字で書かれていたので、思わず笑ってしまう。
笑って、笑って、少し涙が出た。
殺されるのが分かっているのに、こうも笑える自分が滑稽だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実、周囲をよく観察して行動している。仲間思いで姉御肌。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイ族の獣人。別名、鉄砕のドルフ。タテガミ族との混血。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。貧弱なトナカイ族を食わすため、仕方なく『緋色の月』に協力している。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。水に浸すと文字が消える。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて




