Side Barock.「死のグループ」
※バロック視点の三人称です。
獣人の一種であるオオカミ族の一集落の長、バロック。片眼鏡に中折れ帽を身に着けた男。ゾラを筆頭に樹海の獣人で構成された『緋色の月』のメンバーである。『緋色の月』は血族と組んで戦争に参加し、人間殲滅後のグレキランスにおいて樹海を他種族の聖域とする目的があった。ところが人間に与する組織『灰銀の太陽』との交渉ならびに決闘を経て、血族にとっても人間にとっても敵であるオブライエンを標的に切り替え、両組織は合併に至った。人間が勝利したあかつきには獣人を含む他種族はグレキランスの庇護下に置かれ、血族が勝利すれば当初の報酬通り聖域を得るという、損のない第三の道が示されたのだ。
戦争参加という大枠で捉えれば同じ――と考えるのは愚であると見做していたのがバロックだ。小人の歴史書、否、ラルフの記憶は彼も追体験している。歴史書が紐解かれたとき、獣人の中央集落ルドベキアにいた者すべてが途方もない過去の旅路をたどったのだ。
ラルフの記憶を経験する前は第三の道を快く感じていたものの、体験以後では事情が変わった。自分たちがやろうとしているのは自殺に等しい。血族と組んで地上で戦うほうがよほど安全だと断言出来る。敵はたったひとりの人間に過ぎないなどと楽観視しているメンバーはさすがにいないが、危険度を正確に理解している者はひと握り。あくまでもバロック個人の推察に過ぎないが、長年培った観察眼によるものだ。先遣隊に任命されたケットシーの娘――ジェニーは明らかにリスクを把握していない。
バロックとしては戦争から手を引きたかったが、オオカミ族の集落の長という立場がある。そしてゾラの下命とあれば、辞退は実質不可能と諦めた。戦争がどのような決着をみるにせよ、樹海での地位が危うくなる。『捧げ物』の輪から外されるのは当然として、集落丸ごと樹海から追放される懸念も拭えない。
そうと決まれば腹をくくる。バロックは勇猛な性格ではないし、肉体的にも能力的にも戦闘に向いていない自覚があった。それでもやれることはある。知恵を振り絞って戦略を立て、異常事態が発生すれば即座に最適解を選び取る力は他者よりも秀でているのだから。
ゾラの指示にはすべて従う腹積もりだったが、尾根での待機中に決まった先遣隊第三グループへの配置にはさすがに異を唱えた。
『ゾラ様。畏れながら、第三グループに私を組み込むのはいかがなものかと……』
『なにが気に食わんのだ。ドルフか?』
タテガミ族とトナカイ族のハーフ、ドルフ。直情的で気性の荒い男だが、問題はそこではない。
『第三グループの要は人魚のメロです』
『そうだ』
『灰銀との一件で、私は彼女の恨みを買いました。末代まで残る程度の遺恨です。私が同行するとなれば、彼女は冷静ではいられないはず』
バロックはメロの妹を攫い、灰銀を裏切れと要求したのだ。一度は完全に屈服させたのである。最終的に人間の魔術師シンクレールによって敗北を喫したのだが、まず間違いなく許していないだろう。許されるような行為ではない。
灰銀と緋色が合併してから、メロの姿はほとんど目にしていない。あちらにとっては視界にも入れたくない奴というわけだ。
尾根でのバロックの申し入れは数時間後に却下された。ゾラ曰く『メロは問題ないと言っている』とのこと。
バロックは深い深い溜め息ののち、第三グループへの配置に承諾した。彼が懸念していたのはメロが冷静さを欠く点ではない。むしろそちらはどうでも良かった。
問題は自分の命である。作戦遂行中に殺されるのを恐れたのだ。ゾラがそのあたりの機微を汲み取ったかどうか怪しい。もっと直截的に、きっと殺される、と伝えれば誤解の余地はないが、ゾラを相手に命の心配を口にするのは愚の骨頂だ。
かくしてバロックは自分の命を諦めたのである。どうにかして死を逃れるつもりだが、無理筋だ。地下に転移した時点でメロは即座に彼女の能力――地面を泳ぐ力を使う手はずになっている。手を繋いだ相手も一緒に地面の下を潜れるのだから、これはもう死を免れない。
メロは手を離すだけでこちらを殺せる。
詰みだ。
『夢の管理者』による先遣隊の招集でようやくメロの姿を目にしたが、頑なに視線を合わせようとしなかった。彼女が、だ。同じグループのドルフとは気さくに話していたものの、こちらにはひと言も投げかけない。恨みの深さを察するには充分な材料。そこから殺意を汲み取るのも容易。
もちろん、此度の任務が重大なのは承知している。自分に出来る仕事はするつもりだ。たとえ死亡が確定していようとも。
与えられた役目をまっとうしなかったことが露見すれば、事は我が身ひとつの問題ではなくなる。やはり、集落丸ごと追放か虐殺の憂き目に遭うだろう。
第三グループが転移したのは、各グループと比較してもっとも高度の高い場所である。第二グループの面々が誤解した通り、『夢の管理者』による転移失敗だとバロックも考えた。
ただ、違和感はある。空気がやけに土臭い。天の高みにいるというのに。
ここが地下であると推断したのは、高度百メートルに至ってからのことである。グレキランスをそのまま地下に移動させるなど馬鹿げた話だが、オブライエンならばやりかねないとも思った。
メロが先行して落下し、すでにドルフと手を繋いでいる。
バロックは諦めの境地で、中折れ帽が飛ばされぬよう片手で押さえて落下の一途をたどった。
終わりだ。
メロとドルフはこのまま地面に着水し、私は死ぬ。仕事の機会さえなく、初手で墜落死とは想定していなかったが、どのみち死ぬさだめだ。
空を仰いで死ねるのは、そう悪いものでもない。
「――」
風の音になにか混じっている。
「――!」
声だ。
「バロック!!」
見下ろすと、メロがこちらへ腕を伸ばしていた。決死の形相で。
「バロック、早く手ぇ掴んで!!」
幻聴ではない。バロックは唖然としながらメロの手を掴んだ。滑らかで、温かい手だった。
周囲を銀髪の男が飛び交い、雷撃が放たれたが、一直線に落下した第三グループに被害はない。無事地面に着水した。
地下から眺める地上は、水中からの眺めによく似ている。依然として呆然自失のバロックは、急に手を引かれ、泳ぐメロの勢いのまま地中を流れた。
多少冷静さを取り戻した彼は、当初の目的のために泳いでいるのだと思ったが、どうやら違ったようである。
メロは唐突に泳ぎをやめ、ドルフを抱き寄せると、腕を地上に伸ばした。そして回収した品をバロックへと突き出す。少し不満げに。
「ほら、大事なモンなんだろ? 簡単に落とすなよ」
いつの間にか飛ばされていた中折れ帽を受け取り、バロックは深く被った。顔を半分、隠すように。
「ありがとう、ございます」
別に、中折れ帽は大事な物ではない。人間社会に出ない以上、希少な品ではあるが、手にした経緯に特別感もなければ、失って惜しいほどの思い入れもなかった。ただ、この瞬間、中折れ帽が大切な品物に感じたのは事実である。
「さて、どーしよっか。アレ。マジで意味不明なんですけど」
メロの視線の先をたどり、バロックは苦笑した。
確かに、これは異様だ。意味不明と言って差し支えない。
地下グレキランスのさらに地下。
その一角に、現れては消える、いくつもの白銀色の空間が見えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実、周囲をよく観察して行動している。仲間思いで姉御肌。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイ族の獣人。別名、鉄砕のドルフ。タテガミ族との混血。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。貧弱なトナカイ族を食わすため、仕方なく『緋色の月』に協力している。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村を獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。彼と樹海で戦闘し、その末に和解した。クロと一緒にいるために、ルドベキアに残ることに決めた。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて
・『夢の管理者』→人々の夢を管理する老人。実は『気化アルテゴ』の影響で異能を得た人物。あえて分類すると他種族にあたる。彼が仕事場にしている睡蓮の塊根から、別の場所へ人々を送り込むことも可能。戦争において他種族連合をグレキランスの地下に送り込む役目を負っている。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』『897.「夢のはじまり」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『シンクレール』→王立騎士団の元ナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。戦争において前線基地のリーダーを任され、簒奪卿シャンティと対峙。彼女の配下にいたシフォンの存在により、シャンティと共闘。そののち、シャンティは捕虜となり、シフォンは彼と行動するようになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『トナカイ族』→獣人の一種。樹海内での地位は低く、実りの少ない地に住んでいる
・『ケットシー』→獣人の一種で、猫に似た姿をしている。しなやかな毛で小柄。五感が優れている
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。大部分の人魚は臆病ゆえに排他的だが、族長であるメロはその限りではない。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。族長は代々、歴史書を記す役目を負っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『小人の歴史書』→コロニーの長が代々書き残す歴史書。子孫繁栄よりも大事な仕事らしい。最古の歴史書は記憶を保存した魔道具。詳しくは『285.「魔女の書架」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗すべく結成された。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。現在は『灰銀の太陽』と手を結んでオブライエンの打倒を目指している。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて
・『捧げ物』→獣人の集落同士を繋げる、物々交換の風習。情報交換や交流も兼ねている。詳しくは『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』『600.「或るケットシーの昔話」』にて




