Side Nox.「悪夢と玉座」
※ノックス視点の三人称です。
天蓋付きの豪壮な寝台に足を垂らして座るノックスは、ぼんやりと壁を眺めていた。王位を継いでからというもの睡眠時間は極端に短くなっていたが、それでも何時間か眠ることは出来た。
寝台を囲う紗のカーテン越しに見る壁掛け時計は、すでに早朝を示している。
今日は一睡も出来なかった。横になることさえ、空恐ろしくて無理だった。
憂いや不安は山ほどあったが、彼が眠れなかったのは悪夢のせいである。ユランによる玉座急襲以降、決まってひどい夢を見て夜半に目を覚まし、今しも眼前に広がっていた光景が夢だと安堵して眠りに就くと、またぞろ悪夢で目を覚ます。一時間少々の眠りを繰り返すうちに、睡眠そのものに恐怖した。
夢の内容は同じではないが、傾向はある。必ずクロエとオブライエンが登場して、彼女が死に瀕するか、むごい拷問にかけられるのだ。ノックスはそれをただ見ていることしか出来ない。夢のなかの彼は檻に囚われているわけでもなく、拘束具を着けられているわけでもなく、まったくの自由だった。それなのにクロエを助けられない。手を伸ばすのも無理で、せめて目を閉じたいのだが、それすら不可能だった。ときどきは大臣のデミアンや元処刑人のセロが出てくるけれど、彼らは端役で、せいぜいオブライエンの補助をするか、嬲られるクロエを嘲弄する役柄。見ていられない光景を、見ることしか出来ない。発声機能そのものが消えたかのごとく、叫んでもなんの音も出なかった。
なんでこんな夢を見るようになってしまったか、ノックスなりに考えて、すでに結論めいたものは出ている。守られるよりも守りたい。その意志はちゃんとあるのに、実態が伴っていなかった。玉座の間での一件で思い知ったのだ。
ユランに首を捧げようとしたデミアンを守れなかった自分。
オブライエンの盗聴になにも気付かなかった自分。
ユランと戦うクロエになにも出来なかった自分。
無力なのが嫌だから『毒食の魔女』のもとで修行をした。クロエに守られてきたから、今度は守る側になりたかったのは、少年の純真な思いであろう。王冠を戴いて事情は変わったものの、その気持ちはずっと消えずに残っている。理想と現実の隔たりが彼に悪夢を見せたに違いない。夢のなかでさえ、クロエは常に少年を守る側だった。そしてオブライエンに敗北し、饒舌な口上とともに残酷な仕打ちがはじまる。
悪夢を無視して眠るべきなのは分かっていた。特に昨晩は。なにしろ、王都の目と鼻の先まで血族が迫っていると知らされていたから。血族が壁内に攻め入り、人々が脅かされるそのとき、なにをするか少年は決めていたのだ。
全力で王都の人々を守る。なぜなら王様だから。
このことはデミアンにも告げていない。
きっとクロエは最前線で戦うと思ってもいた。玉座の間で彼女が血族の血を引いていると知り、また、感情喪失についても聞かされたが、少年のなかのクロエという存在感は揺るがなかった。そもそも揺らぐはずがない。『最果て』の孤児だった自分を導いてくれた最初のひとに変わりないのだから。
耳鳴りと頭痛、そして眠気に苛まれながらノックスは立ち上がった。紗のカーテンを押し上げて、随所に金細工を凝らしたドアへと向かう。ドアノブに手をかけたとき、寝間着のままだと気付いて引き返した。
純白の絹の夜着を脱ごうとしたその瞬間、景色が一変し、少年は混乱に陥った。いつの間にか自分は眠っていて、悪夢を見ているのだと解釈したのである。そうでないと説明がつかない。なんで自分が玉座の間にいるのか。どうして玉座に、シルクハットに錆色のネクタイをした長身の男――オブライエンがいるのか。
頬をつねる。相応の痛みが走る。
「ノン。これは夢ではないよ、少年」
オブライエンが愉悦混じりに言った。無意識に後ずさり、背後に硬質な感覚を得る。振り返ってもなにもない。ただ、魔術製の透明な防御壁であるのは分かった。
「そう怯えなくていい。吾輩を信頼したまえ。と言っても理解がおよばないかな? 状況を教えてあげよう。君は先ほどまで寝室にいた。吾輩が君を玉座に転移させた。先に言っておくと、王城は今、すべての扉、すべての窓が吾輩の魔術で施錠され、防護されている。どんな強烈な攻撃を加えようと打ち破れない」
言葉の途中で足を組み、オブライエンが悠々と語る。
ノックスはただただ呆然としていた――わけではない。魔力を集中させていた。いつでもオブライエンを攻撃出来るように。
敵意を剥き出しにしたら却って不都合な相手なのは理解している。彼が敵だと知っている事実は絶対に見破られてはならない。クロエが語ったラルフの記憶は最重要機密だからだ。たとえそうだとしても、今の状況で攻撃を準備するのは不自然ではないと判断したのである。むしろ、呆然としてなにもしないほうが不自然だと直感した。
「吾輩は哀しいんだ。少年。途轍もなく傷付いている。なぜか分かるかね?」
「……分からない」
「そうだろうねえ。吾輩は途方もない年月を王都グレキランスのために注ぎ込んだ。人生のほとんどすべての時間を捧げて奉仕したのだよ。それが、どうだ。メフィスト氏は――いや、君の前ではヨハン氏と呼ぶべきかな。ともかく彼は戦乱に乗じて、あろうことか吾輩を討とうとしている。しかもグレキランスの門が破られ、血族の蹂躙に遭っているさなかに、だ」
ノックスがハッとしたのも無理はない。夜の間ずっと耳を済ませていたのだが、門が破られ、血族がなだれ込んで来たような物音はなかった。
オブライエンの言葉は信用出来ない。しかし、彼が嘘を口にしているとは思わなかった。理由はない。直感だ。ただ、この少年が培った勘は経験に裏打ちされている。ハルキゲニアの研究者ビクターのもとで散々な目に遭ったこと。ヨハンに一度、手酷い裏切りを受けたこと。ジュリアに扮したオブライエンに、先々代の王――ネモを殺せと命じられたこと。それらすべてが少年の鋭敏さを育てたと言える。
実際、ノックスの直感は当たっていた。門は破られ、血族の闊歩を許している。だが王都が丸ごと地下に没した点は想像のおよぶものではなかった。
「君は吾輩のことを知ってるのではないかな? ほら、脈が早くなった。皮膚に汗が滲んでいる。脳への信号も多量になっているじゃないか。呼吸も乱れているね。瞳の震えもある。……ノックス! 駄目じゃないか。なにも知らないふりをするなら、表情と口と態度だけ偽ればいいと思うのは浅はかだよ。君に嘘は似合わない」
開閉する口に、唾液が糸を引くのが見えた。
ノックスが咄嗟に手のひらを向け、自分に出来る最大限の魔球を放ったのは軽率ではなかろう。目の前の男はすべてを見抜いてしまっている。であれば討つべきだ。もとより討伐計画がある以上、自分が先んじてもなんら不都合はない。
高速で迫る魔球を、オブライエンはそのまま掴んで見せた。握力を込め、ゆっくりと魔術を魔術のまま凝縮し、やがては拳のうちに握り込まれる。
オブライエンがパッと手を開くと、色とりどりの花弁が宙を舞った。
「吾輩はね、実はこういう魔術が好きなのだよ。麗しい魔術。人畜無害な手品。家族が驚きつつも喜んでくれるようなもの」
この言葉にも、ノックスは嘘を感じ取れなかった。ただ、クロエから聞いた話とは印象が異なる。それも無理ない話で、ノックスは実際にラルフの記憶を追体験したわけではない。オブライエンにとって、他者の脳に細工を施すのも、死者を蘇らせるのも、アルテゴで世界の在り方を変えてしまうのも、相手を害する気で為されたものではない。彼のなかでそれらの所業はすべて正しく、そして無害で麗しいものだっただけだ。
「少年。残念だが、ヨハン氏は約束を違えた。よって君の安全は保証出来ない。いや、少し違うね。遺憾ながら君を殺そうと――」
「輪廻の壁!」
ノックスが狼狽しつつも展開したのは、六角形の防御魔術だった。単なる防御ではない。防御壁に接した魔術を吸収し、逆襲する魔術。
申し分ない練度だった。
ただし、オブライエンはノックスを相手に魔術を行使する必要などなかったのである。
少年の手足が弛緩し、視界が大きく揺らいだ。目眩と嘔吐感のなか、自分が床に転げている事実を否応なく理解させられる。
心臓が強く打っている。目を開けているのも辛い。指一本、動かせそうになかった。
魔力吸収体質。オブライエンはとうにそれを見抜いており、死に至るだけの魔力を注ぎ込むだけで済む話だ。ただ、多少の容赦も加えていた。死ぬまでに数時間はかかるよう制御していたのである。殺すだけなら一瞬で済む。しかしこの状態のノックスに一定の利用価値があるのは確かだった。現に、地上に送り込んだ二重歩行者により、地下王都の玉座は天のスクリーンに映し出されている。
それから、ノックスはオブライエンの昔話を延々と聞かされた。グレキランスのはじまりから現在に至るまでを。少年の耳はそれらの言葉を、ただの音としてしか拾えなかった。衰弱が著しい。死に向かって歩かされている。
悔しかった。なにも出来ずに死んでいくのが。もうクロエに会えないことが。結局彼女を守れなかったことが。
どのくらい時間が経ったか分からない。
それは不意に訪れた。
両の足で立つ筋骨隆々の金獅子。
真っ赤な装束の血族。
巨大な鎚を担いだ巨漢。
「……ご機嫌よう、闖入者諸君。歓迎しよう」
全身真っ赤な衣装の血族――ユランが一歩踏み出す。
「どうやら俺たちは当たり籤を引いたみてえだ。……お前がオブライエンだな。話がある。大事な話だ」
ユランをよそに、金獅子が少年を振り返り、忌々しそうに溜め息をついた。そして身を屈ませて肌に触れる。死へ向かう苦しみの途上で、ノックスは不思議と肉球の感触に、ちょっぴり心地良さを覚えた。
こんなにも凶暴な姿なのに、このひとは優しい。
そんなふうに思った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った小太りな大臣。偏狭な性格だが、献身的な面もある。現在はノックスの側近として働いている。職位は最高大臣。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『セロ』→ノックスにより処刑人の任を解かれ、王の守護者兼、友人となった。王家の血を引いている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ネモ』→王都の先代の王。ヨハンに胸を射られ、その影響で『黒の血族』と化した。息子である王子ゼフォンによって地下に幽閉されていたが、ノックスに救出された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~②名も無き王~」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術
・『アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『固形アルテゴ』『液化アルテゴ』『気化アルテゴ』がある。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『固形アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。固形。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『液化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。液状で、外気に触れると『気化アルテゴ』となる。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『気化アルテゴ』→オブライエンの発明した兵器。『液化アルテゴ』が気化したもの。膨張を繰り返し、急速に広がる。吸引した人間は多くが魔物となり、一部が他種族に、ごくごく一部が『黒の血族』へと変異する。オブライエンは双子の兄であるスタインの体内に『液化アルテゴ』を設置し、生命活動の停止に伴って外気に触れるよう仕組んだ。スタインが処刑されたことにより、ラガニアは滅亡することとなった。詳しくは『間章「亡国懺悔録」 幕間37.「アルテゴ」』にて
・『輪廻の壁』→禁止魔術である吸収魔術を応用したもの。魔術を吸収する壁を展開する。吸収した魔術は壁の消滅とともに放出される。詳しくは『Side Leonel.「師に捧ぐ――憎悪と覚悟のうちに」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて




