Side Jennie.「地下の天空」
※ジェニー視点の三人称です。
オブライエンがヨハンと接触した頃――すなわち血族がグレキランス地方に到達して十一日目の早朝。ケットシーのジェニーは眠りから覚めた。
ほとんどの者がそうであるように、覚醒直後は身体が弛緩し、脳が半睡の状態にある。ジェニーは普通の人々よりもずっとその傾向が強かった。彼女の言葉で表すならば、ポワポワしている。
欠伸して見回す景色は、寝入った頃とそう変わらない。何脚かの椅子に種々雑多な半人半獣が腰かけ、ドーム状の広間のそこここに色とりどりの小さな球が転がっている。
『夢の管理者』を名乗る老人曰く、睡蓮の塊根。そのなかでジェニーは心置きなく惰眠を貪ったのである。夢のなかで眠りに落ちるという矛盾は彼女の頭には微塵もない。眠いから寝る。それだけの理屈だった。眠っている間に合図があれば、同族のクロが起こすと請け合い、彼女は安心して眠りに就いたのである。
他種族連合のリーダーであり、獣人の事実上のトップであるタテガミ族の酋長ゾラが言うには、夜には合図が来るとの話だったが、こうして目覚めるまで叩き起こされなかった以上、合図はまだ届いていないらしい。
「クロ。おはようにゃ」
ポワポワした頭でゆらゆらと左右に揺れつつ、ジェニーは隣で正座しているクロに笑いかけた。彼はいつものように無表情で「おはよう」と返す。
目を擦ってゾラを見やると、椅子に座して紙片を睨む彼の身体のあちこちに小さな花が咲いていた。よくよく見るとそれらは羽が生えており、小さな身体を持っている。花と見違えたのは彼女らの衣装が俯いた花弁に似ていたからだ。『夢の管理者』が言うには、夢を見ている間に現実の肉体を失った者たち――その彷徨える残滓を掬い上げた果ての姿が小さな妖精、ピクシーとなる。
ゾラの身体を遠慮なくベッド代わりにしているピクシーたちは、ジェニーにとっても不思議な光景に映った。どこからどう見ても暴力的で、威圧を撒き散らしているというのに。でも身体は確かにフカフカのモフモフなので納得感はある。
夜にゾラと『夢の管理者』の間で問答があったことをジェニーは知らない。昨晩のうちに合図が来るだろうと推定したのはゾラである。さっさと他種族連合の転移を済ませたい『夢の管理者』にとっては、苦々しい待ちの時間だ。老人が『まだか』と問い、ゾラが『まだだ』と返す。そんな定型的なやり取りが夜間に何度も繰り返された。
「よく眠れたかい、ジェニーさん」
横合いから声をかけてきたのは、白イタチの獣人ヴィクトルである。爽やかで澄みきった、朝に似合いの声音だった。
「ぐっすりだったにゃ」
「それは良かった。休息は大事だからね。どんな状況でも」
嫌味ではない。ジェニーほどではないものの、ドームに集った精鋭部隊――地下のルート確保をおこなう先遣隊のいくらかは交代で眠ったのだ。
「ヴィクトルはずっと起きてたにゃ?」
「いや、しっかり休んだよ」
「なら良かったにゃ」
相好を崩すジェニーはなにも考えていない。言葉を額面通りに受け取る。良くも悪くも。ヴィクトルが一睡もしていないことなど知るよしもなかった。
ジェニーの割り当てられた先遣隊第四グループのメンバーは彼女のほかにクロとヴィクトルだけ。地下のルート確保が具体的にどのような仕事になるか、彼女はぼんやりとしか理解していなかった。どこかにオブライエンがいて、そこまでの道のりを確かなものにする。その程度の理解だ。無論、道中で降りかかる火の粉を払う任も帯びており、その点に関してはなんの疑問もない。襲われたら戦う。それだけ。
もう一点、重要な役目を帯びていた。第四グループに限ったことではないが、オブライエンまでの道のりにおいて守らなければならない人間がいる。それが誰なのか、ジェニーは具体的には知らなかった。
ただ、納得がいかない。
なんで人間なんだにゃ。
『毒食の魔女』を間接的に殺めた男――オブライエン。仇敵と言っていい。自分にもそいつと戦う資格はあるし、恨みも大きい。なのに、どこかの人間が選ばれた。その点について尾根にやってきたヨハンを問い詰めたのだが、理屈ばかり並べられて、ジェニーはちっとも理解出来なかった。もちろん納得するわけもない。
ヴィクトルが不意にハンカチを差し出した。
「ありがとうだにゃ」
そう言いつつ、ジェニーは受け取ることなく涙を袖で拭う。大好きな魔女のことを考えると、いつだって鼻がツンとなり、涙がこぼれる。ユランが言うには魔女の邸は無事らしいが、そこにはもう、大切なひとはいないのだ。どこにもいない。思い出のなかにしか彼女の姿は残っていなかった。
もし人間が失敗したら自分がなんとかする。心のなかでそう決めていた。
不意にゾラの毛が逆立ち、一斉にピクシーが飛び立った。
「作戦開始だ。各グループごとに転移を頼む」
立ち上がったゾラが『夢の管理者』に呼びかける。老人はホッと息をつき、第一グループ――総大将ゾラ、血族のユラン、トロールの族長エルダーを転移させた。傍目には三人が消えたようにしか映らない。
次に第二グループ――タテガミ族のオッフェンバックとミスラ、そしてバアルとシーラ夫婦が消える。
そして間を置かず第三グループ――タテガミ族とトナカイ族のハーフであるドルフ、オオカミ族のバロック、人魚の族長メロが消えた。
第三グループはほかの先遣隊とは別の役務を帯びていたが、それはジェニーの知るところではない。
いよいよ第四グループの番である。起きたばかりとはいえ、身体も心を急激に引き締まる。涙はすでに引いていて、やり遂げる意志を確固たる輪郭で整えた。
右手でクロの手を掴み、左手でヴィクトルの手を取る。
やがて景色が一変した。
「にゃ!?」
ジェニーが動転したのも無理はない。彼女は王都上空にいたのだから。朝陽を浴びて、壁の先に広がる大地が見える。彼女の視線が王都北門を捉え、ますます動揺したのは当然だろう。
合図が来るのは門が破壊されたあと。そう知らされていた。なのに門はキッチリと閉ざされている。
彼女が落下を免れたのは、ほとんど無意識に靴――空中を闊歩可能な魔具を行使したからだ。左右の手にぶら下がったクロとヴィクトルをなんとか支えつつ、一歩一歩、階段を降りるように高度を落としていく。
「おじいちゃんは間違えたにゃ」
そう口にしたのも無理からぬことである。本物としか思えない王都が眼下に広がっているのだから。それを訂正したのはヴィクトルだ。
「いや、間違ってないよ。ここは地下だ。風がない」
確かに、こんな高さにありながら風を感じないのは不自然だった。それだけでこの場所が地下であると断定するには早計だが、ヴィクトルは多くの証拠を一挙に掴み取り、比較的分かりやすい理由ひとつを述べただけである。
視えざる階段を降りつつ、不意に地上から蛇行しつつ迫る複数の影を感知した。
「そうだよね」とヴィクトルが独りごちる。
直線状の雷が一斉に放たれ――襲撃者もろとも閃光のなかに消え去った。いつの間にやらヴィクトルがジェニーの手を放しており、悠然と空中を歩いている。
「ジェニーさんとクロくんはそのまま降りて。僕が邪魔者を蹴散らすから。大丈夫。相手は人間じゃない。心のない兵器だよ」
なんでそこまで分かるのだろう、と不思議に思う。ただ、人間じゃなさそうな感じはジェニーも直観していた。迫りくる襲撃者はいずれも同じ姿かたちをしている。そういう魔術なのかもしれない、と想像するのがジェニーの精一杯だった。
それにしても、奇妙なのはヴィクトルの対処だ。空を撫でるだけで、全部の攻撃が敵もろとも消え去る。先遣隊に選ばれた以上、精鋭なのだろうとぼんやり思っていたが、どうやら想像以上に強いらしい。
不意に殺気を感じ、ジェニーはクロの身体を背負うようにしてその方角を見やった。
天高く聳えるグレキランス城。その頂点よりやや下の位置から、どす黒い気配がしていた。漂うなどという表現では足りない。叩きつけるような、それくらい強烈なもの。
地下の城でなにが起きているのか。嫌な予感をひしひしと感じつつ、彼女はヴィクトルの保護のもと、駆け足で空中を降りた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村を獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。彼と樹海で戦闘し、その末に和解した。クロと一緒にいるために、ルドベキアに残ることに決めた。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ケットシー』→獣人の一種で、猫に似た姿をしている。しなやかな毛で小柄。五感が優れている
・『夢の管理者』→人々の夢を管理する老人。実は『気化アルテゴ』の影響で異能を得た人物。あえて分類すると他種族にあたる。彼が仕事場にしている睡蓮の塊根から、別の場所へ人々を送り込むことも可能。戦争において他種族連合をグレキランスの地下に送り込む役目を負っている。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』『897.「夢のはじまり」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『クロ』→ケットシー。ジェニーの幼馴染。ルドベキアの獣人とともにケットシーの集落を滅ぼした。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。恋愛に関しては極度に潔癖な一面もある。勇者一行でありヨハンの兄でもあるジーザスと契約し、人間殲滅を目的とした戦争への参加を余儀なくされている。クロエに敗北し、ヨハンの提示した戦争での役割を受け入れることとなった。すべての種族が争いなく共生する世界、『ユグドラシル』を理想としている。しかしながら過去、人間との交流によって失意を味わい、結果、人間に対する愛憎の念を抱くようになった。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』『Side Grimm.「獅子のひとりごと」』にて
・『ピクシー』→手のひらサイズの妖精。肉体の死により夢に閉じ込められた精神体が、『夢の管理者』によって掬い上げられた結果の姿。詳しくは『第三章 第二話「妖精王と渡し守」』にて
・『ヴィクトル』→白イタチに似た獣人。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」幕間.「少女と獣の恩返し」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『エルダー』→トロールの族長。鉄槌の魔具を所有している。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』にて
・『オッフェンバック』→純白の毛を持つタテガミ族の獣人。『緋色の月』に所属。自称音楽家の芸術至上主義者で、刺激を得るという動機でハックの和平交渉を台無しにした。炎の魔術を得意とする。クロエとの戦闘に敗北し、あわや絶命というところを彼女に救われた。それがきっかけとなって『灰銀の太陽』への協力を申し出る。が、『緋色の月』に返り咲き、再び『灰銀の太陽』と敵対することに。詳細は『774.「芸術はワンダー哉!」』『780.「君が守ったのは」』にて
・『ミスラ』→女性のタテガミ族。しなやかな黒毛。多くの獣人と異なり、薄衣や足環など服飾にこだわりを見せている。オッフェンバックの元恋人であり、わけあってゾラに侍るようになったが、オッフェンバックとよりを戻した。二本のシミターを用いて踊るように戦う。『緋色の月』の戦士であり、『黄金宮殿』の使用人。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』『789.「絶交の理由 ~嗚呼、素晴らしき音色~」』『797.「姫君の交渉」』にて
・『バアル』→山吹色の毛を持つ、巨躯のタテガミ族。『緋色の月』の五番手。投てき能力に優れ、筋力に恵まれている。シーラの夫。直情的で野蛮な性格。シンクレールに敗北し、オオカミ族の酋長バロックの支配魔術で抵抗を封じられた。詳しくは『Side Alec.「使命と憎悪」』にて
・『シーラ』→女性のタテガミ族。バアルの妻。義眼の魔術を扱う。義眼から得られた情報は他者と共有可能。頭部、手足、胸部、局部を除いて毛がなく、全身に傷を負っている。自身の経験から苦痛を快楽に転化する論理を持ち、ゆえに加虐嗜好と被虐嗜好を持ち合わせている。イカロスの全身に義眼を埋め込み、道具として扱った。詳しくは『Side Alec.「黒の剣鱗」』『Side Alec.「氷の剣、獣の拳」』にて
・『トナカイ族』→獣人の一種。樹海内での地位は低く、実りの少ない地に住んでいる
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイ族の獣人。別名、鉄砕のドルフ。タテガミ族との混血。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。貧弱なトナカイ族を食わすため、仕方なく『緋色の月』に協力している。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。大部分の人魚は臆病ゆえに排他的だが、族長であるメロはその限りではない。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実、周囲をよく観察して行動している。仲間思いで姉御肌。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて




