Side Meena.「小さな理想郷」
※ミイナ視点の三人称です。
オブライエンが地上でヨハンらと接触した頃、ミイナは相変わらずソファで足を組んで壁を睨んでいた。
日が昇って数時間。いまだに作戦決行の合図がないのが腹立たしくてならない。もとより癇の強い性格だが、グレキランスに足を踏み入れてからというもの、ずっと苛立っていた。
約二週間。ハルキゲニアからの援護部隊としてグレキランスに入り、されども壁外で戦うことなく過ごした彼女である。そもそも援護のために来たわけでなく、目的は人探しだ。
アカツキ盗賊団の創始者『親爺』の姿を追ってここまで来た。シルクハットを被った長身の男に攫われた彼を見つけ出すのがミイナの目的で、当初のプランでは早々に発見して保護したのち、壁外の戦力と合流する腹づもりだった。もちろん下手人を叩きのめして。
今日という日まで『親爺』はおろか、シルクハットの男も目にしていない。文字通り王都中を駆け回ったのだが影すら掴めなかった。
アカツキ盗賊団の仲間たちがどうなっているか、さすがに気にかかる。昨晩血族の襲撃を受けた可能性が高い。
ジンは生きているのか。
そしてハルは無事なのか。
ふと気付くとそんな憂いが頭を飛び交っていて、己の軟弱さにまた怒りを募らせる。
ずっと反発して生きてきた。『親爺』に拾われてからもずっと。
ハルキゲニア地方――通称『最果て』において、孤児がたどる道はおおむね同じである。物乞いか盗人か。ミイナは無論後者だった。誰かに頭を下げて施しを受けるなんて考えるだけでムカムカする、そんな子供である。五歳か六歳あたりで両親を喪い、どこに伝手があるでもなく、さりとて孤児院など存在しない寒村で育った。等しく貧しい村だ。村人は、魔物の餌食になった両親の一粒種を哀れみはしたろう。しかし手は差し伸べなかった。
孤独になった彼女がほかの村や町へ向かったのは、見知った顔が自分を見ないふりをするのが心底嫌になったからだ。
畑の作物を盗り、ネズミと争って食い物を漁り、どこかの暗がりで眠る日々。腕っぷしは強かったが所詮は子供だ。年長の孤児に獲物を奪い取られた経験は何度もある。両親が健在の頃から意地っ張りな性格だったが、孤児になってからはそんな性質が輪をかけて強くなり、どんな悲惨な目に遭おうと泣かなかった。否、泣くのを禁じた。泣くと弱くなる。涙は弱者の象徴だ。強くなきゃ渡っていけない道を歩まされていると日々実感しているのだから、自然な気付きだろう。
そんなミイナが掏摸を得意としたのは、我が事ながら不思議だった。自分を器用だと思ったことはない。むしろ何事もガサツなほうだった。けれど、往来でひとの荷物から貴重品を――あるいは鞄ごと――抜き去るときだけは素早く滑らかに身体が動く。
ある日、ある町で初老の男を標的にして、ミイナは見事に金を掏った。小さな袋に銅貨が十数枚。彼女にとっては大金だ。そして銅貨のほうが価値が高い。小汚い姿で銀貨や金貨を使うのはいかにも不自然。銅貨なら身なり相応だろう。銅貨一枚あれば丸パンひとつ買える。もっと出せば肉だって食べられる。
次の日も、その次の日も、ミイナは初老の男から掏った。毎日同じ時間、同じ場所を歩くのだ。筋肉質だが注意散漫で、腰に銅貨の詰まった袋を下げている。
一週間続けて同じ相手から同額の銅貨を掏った頃には、さすがに訝った。なぜ毎日盗られているのに対策しないのか。
相当裕福なんだろう、という安直な結論で彼女は納得した。
だが次の日の収穫物には銅貨だけでなく紙切れが入っていた。その町の地図で、中心から離れた場所が赤い丸で囲ってある。
罠だと思った。宝の地図なわけがない。
それでも彼女が地図の示す場所へ赴いたのは自信があったからだ。なにが待っていようと腕力で切り抜けられる。それに、ほかの孤児に美味しい獲物を横取りされるのは損だ。
星明りの灯る深夜、ミイナは町外れの一軒家に忍び込んだ。例の地図が示した場所である。小さな平屋で、鍵はかかっていない。音を殺して部屋から部屋をめぐる。夜目は利くから、金になりそうな物、とりわけ小さな貴金属や銅貨がないか探ったが、どの部屋にも盗めそうな品はなかった。
やがてたどり着いたのは寝室である。初老の男がベッドに横たわって鼾をかいていた。ほっと胸を撫で下ろしたのは当然のこと。待ち伏せされているのをずっと危ぶんでいたから。
ミイナの警戒は妥当であり、そして的中していた。部屋に入るなり、景色がまるきり別物に入れ替わったのだ。小さなランプを灯したテーブル越しに初老の男が座しており、背後の扉は施錠されていた。
狼狽するミイナをひとしきり見やり、男はゆったりと鷹揚に言った。
『話をしよう。これからのお前さんと、わしの話を』
ミイナが黙って突っ立っていると、男がテーブルの上をサッと撫でた。すると、湯気を立てたスープと、いかにも香ばしそうな肉が現れたのである。
『腹が減っているだろうから、お前さんのために用意した』
世に魔術師という輩がいるのは知っていた。しかしハルキゲニア地方では存在自体が珍しい。まさか、自分が一週間も続けて物取りをした相手が魔術師だとは思いもしなかった。
ミイナは口を固く結んで黙っていたが、腹の虫が勝手に鳴いたので頬が熱くなる。男が柔和に笑んで『毒は入っとらんよ』と口にしたのも気に入らない。絶対に食うものかと拳を握った。
そんな彼女を眺めて諦めたのかなんなのか、男は問わず語りに話したのである。
ミイナのような孤児が、たらふく食える世界の話だ。荒んだ心が信頼を取り戻す理想論。男はミイナの行為を――盗みや暴力や殺しを――決して非難しないと誓い、むしろ肯定した。なにもかもから見捨てられたのだから、すでに多くを失っているのだから、奪ったところでバチは当たらない。ただ、孤児のなかでも弱い者は次々に死んでいく。弱肉強食は世の摂理だが、殊、人間においては当てはまらない。当てはめてはいけない。
男が描き出したのは孤児だけの盗賊団である。身寄りがない者同士が集まって、自分たちを見捨てた世界から少しばかり取り戻し、それを仲間で分かち合う。
男の理想論は夜明けまで続いた。そうして最後にミイナを勧誘したのである。『最初のメンバーにならんか』と。
東の空に暁が出づるなか、すっかり冷めたスープと肉を喰らった。それを見て男は――『親爺』はなんの邪気も感じられない顔で微笑した。
『親爺』が作りたかったのは、と現在のミイナは考える。世界に復讐するような組織じゃない。なによりもまず、心身ともに傷付き、飢えた孤児を回復させる場所を作ろうとしただけではないか。確かに盗賊団の仕事として殺しもやったが、たぶん、『親爺』の本意じゃない。アカツキ盗賊団が煙たがられ、それを排除しようとする動きを悟って打って出たように思う。草創期こそ『親爺』も前線で盗みや殺しをしたものだが、数年後にはもっぱら自分の仕事――魔具の製造に打ち込むようになった。盗賊団の規模も増し、団員同士の結束も確かになったからだろう。
ちっぽけだけど、『親爺』は『親爺』のやり方で世界の一隅に理想郷を作ったのだ。きっと。
不意に衣擦れの音がして、ミイナはテーブルに目を向けた。
「紙をくれ」
グレガーが小さく呟く。対面の紳士然とした男――ウィンストンはなんの躊躇いもなく一枚の紙片を彼に手渡した。
この二人が只者ではないのは知っている。特にグレガーには煮え湯を飲まされた。『鏡の森』で足止めされて、手も足も出なかったのだ。
そして壮年――というより初老――の紳士ウィンストンも、ミイナの見る限り普通じゃない。髪も髭も装いもどこぞの執事然としているが、常に気配を殺しているのだ。仕事柄、暗殺をした経験もあるが、この男はたぶん、それが本職ではなかろうか。足音も空咳も演技だ。自分がこの家を訪れたときに一瞬で意識を奪われた事実が雄弁に物語っている。玄関を叩き割ろうとした矢先、気が付くと扉が開け放たれていて、そこには誰もいなかった。おそらくこちらの意識の隙間を縫って背後に回り込んだのだろう。
ミイナは立ち上がり、グレガーの手元の紙を見下ろす。それがなんなのか彼女は知らない。だが、彼によって記された文字は雄弁だった。
『作戦決行』
グレガーとウィンストンが同時に頷く。
合図を待って行動すると聞いていたが、ミイナの知る限りそれらしいものはなにもなかった。にもかかわらず二人は、待つのではなく行動を決したのである。
共益紙に文字が記されたのが、地上のオブライエンによる共益紙の破棄の直後だったのは、まったくの偶然である。
腕まくりをしたミイナは、どうしてかグレガーにソファに座るよう指示された。
「動くんじゃねえのかよ」
いきおい、喧嘩腰の言葉になる。するとウィンストンは首を横に振った。一方でグレガーは席を立ち、ひとり玄関へと歩む。むろんミイナも立ち上がったが、執事の腕に制された。お前は行くな。そう言いたいらしい。
外への扉を開ける間際、グレガーが振り返った。
「寝室のドアを直しておいてくれ。軋みがひどい。上の箇所が悪くなっているようだ」
ミイナが首を傾げ、ウィンストンが頷く。自分には分からない符丁が二人の間に成立しているのはこの際どうでもいい。グレガーの首根っこを捕まえてなにもかも白状させてやりたい気持ちをなんとか抑えて、ソファに腰を落とした。
二人がなにを企んでいるのか知らないが、『親爺』を救出できればそれでいい。まだその時機じゃないというのなら、憤懣を噛み殺して待つだけだ。
執事はというと、テーブルの上に残された紙片をじっと見つめて微動だにしなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『親爺』→アカツキ盗賊団の元頭領。クロエの所有するサーベルは彼が製造した。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にあった。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジン』→アカツキ盗賊団の副団長。主にミイナの暴走を止める役目を負っている。弓の名手。矢と矢筒がセットになった魔具と、射程距離増加の魔術の施された弓の魔具を持つ。詳しくは『20.「警戒、そして盗賊達の胃袋へ」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『ウィンストン』→『毒食の魔女』の邸で執事をしている魔術師。丁寧な口調の壮年男性。ジェニーとは犬猿の仲。昔から魔女の命を狙って暗殺を繰り返している。魔女を殺害したオブライエンに並々ならぬ復讐心を持っている。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『279.「物好きな主人」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。水に浸すと文字が消える。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて




