1045.「丁々発止の魔術戦」
天を這い進む太陽が影を濃くしていく。わたしたちはもちろんのこと、向かい合う二人の男――ヘルメスとオブライエンも等しく。
わたしには感じ取れない魔力のせめぎ合いが今も繰り広げられているであろうことは想像に難くない。
やがて双方を隔てる空中のあちこちで火花が散った。どちらが先に仕掛けたのか分からないが、おそらくは魔術が展開され、かたちを為す前に相殺されたといったところか。
ヘルメスが平然と口を開く。
「オブライエン。ボクは戦いに来たわけではない。不出来な生徒を守るために腰を上げただけだ」
「ならアリスさんを連れて消えればいいんじゃないかな。邪魔はしないよ。もともと彼女に興味はないし」
ちらとヘルメスが後ろを振り返る。視線の先はわたしでもヨハンでもない。そしてアリスでさえなかった。煙宿の援軍のひとり――どうしてかここにいるロットへと注がれている。その間も火花は止めどなく散っていた。
やがてヘルメスはオブライエンへと向き直る。
「ここには子供もいる。すべての子供がそうであるように、彼もまた未来の象徴だ。キミの毒牙にかけられるのを見過ごすつもりはない。ついでにメフィストたちも守っているだけだ。なに、大した負担はない。ボクにとっては一人を守るのも千人を守るのも微差だからな」
「守れるといいね」
刹那、視界が真っ赤に染まって揺らめいた。火炎の魔術が展開されたのだと分かったが、身動きひとつ取れなかったのはあまりに素早く、予備動作なしに発生したからである。ただ、わたしの身が焼かれることはなかった。ココお手製の燃えない服をまとっているからではない。
周囲を見回すと、やはり誰ひとり炎の被害を受けていなかった。
今、わたしたちは半球状の透明な防御魔術に覆われているのだろう。指を伸ばすと硬質な感触がある。熱は一切感じない。そして今さら驚きはしないが、この防御魔術にも一切の魔力を感じなかった。
ヨハンが『絶対に勝てない』と断言した理由が頷ける。これほど見事な隠蔽と練度を備えた魔術を行使出来る者はグレキランス中を探してもいないだろう。
いや、それは拡大解釈か。
今ヘルメスが相手にしている男――オブライエンだけは比肩しうる。
火炎の魔術には魔力が感じ取れるものの、こうして周囲を取り囲む業火として顕現するまで、オブライエンはまったく魔力を視せなかったのだ。その気になれば火炎の魔術も隠蔽可能とみるべき。隠す必要がないから視せているのだろう。
ヘルメスによる隠蔽された防御もさることながら、オブライエンの業火も見事なものだ。目が眩むほどの魔力が籠められている。
ヘルメスの姿は火炎に呑まれてまったく見えない。
不意に炎が消え去り、彼の後ろ姿に焦げ跡ひとつ見出せなかったのは当然だ。業火に焼かれたなら防御魔術に綻びが生じる。完璧に維持されていた以上、ヘルメスが無傷なのは道理だ。
ただ、無事ではなかったものもある。
周囲の下草はそのままに、兵士の亡骸が消えていたのだ。骨も残さず。
「下劣な心性だ」とヘルメスが断じたのは、亡骸を燃やしたおこないに対してだろう。
「君には関係ないよ。僕がグレキランス人をどうしようと勝手さ。ラガニア人が口を挟む筋合いはない」
「人間はキミの玩具ではない。誰の所有物でもない。キミの倫理的欠陥は千年前から明らかだったが、なにひとつ変わっていないようだ」
オブライエンは興味なさそうに空を仰いだ。
実際、ヘルメスの言葉は彼の心になんら影響を与えていないだろう。雑音とそう変わらない。
そんなオブライエンの態度は、おそらくわたしと似ている。どんな優しい言葉や甘い台詞も口に出来るけれど、心は少しも動かない。
わたしと彼との違いは完成度だけ。オブライエンと比較すると、こちらはいくらかの綻びがある。しばしば頭に浮かぶ『無駄』というやつだ。
「グレキランスのためなら倫理なんてなくていいんだよ。何人死んだってかまわない。一定数の生き残りがいれば勝手に増えるからね。君たち血族だってそうやって、長い時間をかけて復興させたんじゃないの? 今は亡きラガニア国を」
ヘルメスの姿が消え、オブライエンの背後に移動していた。ヘルメスのかざした手から爆音と粉塵が炸裂し、けれど今度はオブライエンの姿がない。いつの間にやら空中に立っていて、指を鳴らすと同時に隕石じみた氷塊が降り注ぐ。天を仰ぎ、氷塊に釘付けになったヘルメスはまたも転移魔術を行使して――。
「ヘルメス先生はさ」とアリスが呟く。その視線は何度も転移を繰り返しながら大規模な魔術をぶつけ合う二人を俯瞰していた。「口が悪くて、厳しくて、容赦がない。半馬人の隠れ家で一日修行したアタシに、ほかの血族がなんて言ったと思う? 『よく一日も耐えられたな』って。笑っちまうよ。でも先生は正しい。オブライエンほどじゃないにしても、世の中には心の腐った魔術師が山ほどいるんだから、優しくのんびり教え諭すなんて悠長なやり方じゃ駄目なのさ」
まあ、それでヘルメス先生がトラウマになる奴もいるだろうから、一長一短だけどね。
彼女はそんなふうに締めくくった。
アリスがなにをどんな具合に学んだのかは知らないが、殊、魔力感知についてはわたしより格上だ。以前はそれほど差がなかった。わずか数日でアリスが急成長した事実を鑑みるに、彼女の言葉は正しいのだろう。ヘルメスが師として優秀なのかは弟子入りしていないわたしには分からないが。
魔力の探り合いは終わり、本格的に魔術をぶつけ合う段階へと推移した二人の戦闘は、唐突に幕を降ろした。強者同士の戦いは往々にしてそんなふうに終わる。傍目には見抜けない深慮遠謀、権謀術数が絡み合い、必然的な決着として表れる。
地面に転移したヘルメスの足が、一歩踏み出そうとしてなんらかの視えざる抵抗を受けたのが第一段階。
彼の背後に転移したオブライエンが、黒色の魔力球を放ったのが第二段階。
ヘルメスが振り返って右手をかざし、魔力球を解除したのが第三段階。
解除された魔力球が爆発したのが第四段階。
笑みを浮かべるオブライエンの背後に転移したヘルメスが、漆黒の触手で敵の全身を拘束したのが最終段階。
「おかしいな。転移出来ないように罠を仕掛けたのに」
「キミの罠はいつでも抜け出せた。罠を張るという行為自体に意図が見え透いているので乗っただけだ。容易には解除出来ないよう調整された魔力球を放つのも読んでいた。解除をトリガーとして内部の爆薬が炸裂するのも見通していた」
血が点々と地面を彩る。
ヘルメスは魔力球の爆発により、右腕の肘から先を失ったのだ。
否、失う必要があったのだとわたしには分かる。オブライエンの爆薬が成果を収めたからこそ、一瞬の油断を突けたに違いない。
「分かっていると思うが、今のキミはいかなる魔術も使用出来ない。影の魔術に拘束されている限り、新たな魔術は自動的に分解される。加えて、二重歩行者の解除も防いである。キミの負けだ」
千年前にオブライエンの半身を吹き飛ばしたヘルメス。結果的に、あの場で殺められなかったことがラガニア崩壊に繋がったとも言える。
千年後の今はヘルメスが腕を失い、オブライエンを捕らえた。その結果がどうなるかはこれからの話であり、推測のおよばない領域である。
「そっか」
触手に巻き付かれた状態で仰向けになったオブライエンは、あっさりと呟いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。戦争において元騎士見習いたちともに、縫合伯爵ルドラの長女ラニを追い詰めた。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。戦時下の煙宿において大活躍を見せた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『魔球』→魔力球、魔力弾、魔力塊とも呼ぶ。初歩的な攻撃魔術
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて




