1044.「本物の魔術師たち」
およそ千年前。
オブライエンがラガニアでおこなった所業――洗脳魔術や死霊術――を看破し、グレキランスの独立を宣言した彼の片方の手足を破壊した者。ヴラドの父親であるドラクル公爵お抱えの魔術師。
血族となった彼が此度の戦争において、四代目ガーミールとともに半馬人の隠れ家を制圧した話はヨハンから聞きおよんでいる。こちらの味方をするつもりはないということも。
しかしヘルメスは今ここにいて、オブライエンと対峙しているのだ。アリスを守り、自然とわたしやヨハンたちも庇う位置に立つ、ラガニア随一の魔術師。シフォンより強い相手をヨハンに訊ねたときのことを思い出す。彼は真っ先にヘルメスの名を挙げ、誰も勝てないとまで評したのだ。
ヘルメスはくるりと身体ごと振り返り、アリスを指差した。
「アリスくん。キミには言いたいことが山ほどある。キミの残念な脳では記憶しきれないほど多い。煙宿でマヤと戦ったな? キミは油断していた。マヤが自分より格下の相手だとでも思ったのだろう。大馬鹿者め。格上ほど己を過小に見せかけると考えなかったのか? ああ、いい。返事は結構。はっきり言うと、メフィストが止めに入らなかったら間違いなくマヤに殺されていた。仮死魔術から回復したらメフィストに礼と謝罪をするんだな」
オブライエンに背を向けてねちっこく喋るヘルメスに、思わず口を挟む。「ヨハンは復活しないんじゃないの?」
ヘルメスの視線がわたしを捉える。間を置かず、彼の口から溜め息が漏れ出た。
「途切れた魔術を繋いでおいた。理屈は説明しない。なぜならキミは、間違いなく理解出来ないからだ」
別に説明は求めていない。ヨハンが無事ならそれでいいから。
「ありがとう、ヘルメス」
ヨハンが生き返ると耳にしても、もちろん喜びはないし、わたしの発した感謝にも心は籠もっていない。至極当然だ。今のわたしはほとんどの場合において、なにも感じない。
ただ、自己認識に誤りがあったのは悟りつつある。冷静さはひとつの感情とも見做せる。己のルーツを知ったわたしは心がないのだと誤解したわけだ。今となっては拡大解釈だと容易に頷ける。今のわたしは冷静さの比重が内奥のほぼすべてを占めており、ほかの感情に至る経路がことごとく閉ざされ、結果的に心が動かない状態になっているだけ。目的意識と合理性が、冷静さという外殻の上にそびえている。それに気付いたのはナーサとの戦闘のときだ。
ナーサを殺めたのち、わたしはトリクシィのヒールを回収した。今以て、なぜそのような行動をしたのか不明だが、自分でも分からない言動は以前のわたしが表出したとも言えるし、冷静さの亀裂から溢れた感情の結晶とも言える。ヒールを捨ててしまえばいいのに、わたしは冷静さのなかにいても捨てようとは考えていない。たかがヒールひとつであれ、無駄な荷物なのは確かなのだ。それを自覚してなお捨てようとは思わない。それについて考えること自体が無駄だと自分に蓋をしている。
これらは単なる推測でしかないわけで、もちろん有意義ではない。にもかかわらず否定する気はないのだ。厳密には、肯定しようと否定しようと変わらない以上、積極的に認めまいとする動機もないという理屈。
とまあ、諸々の考えはさておき、わたしがヘルメスに感謝を述べたのはヨハンが生き返ると知ったからだ。彼とは約束をしている。無駄なコミュニケーションを取ると。
ヘルメスはわたしの言葉を軽い頷きで済ませてから、アリスへの説教を続けた。
「マヤとの二度目の戦闘も悲惨としか言いようがない。いや、戦闘ですらなかった。もし彼女が本気で戦っていたのなら、アリスくん、キミは今頃この世にいないだろう。そもそもキミはなぜ彼女が本気ではないと気付かなかったのか理解に苦しむ。得意になって影の魔術で裏をかいたようだが、実力の産物だと思うなかれ。ハイメ卿と対峙したときも――」
言葉を切り、ヘルメスがオブライエンと正対した。
五メートルほどの距離を置いて、二人は視線をぶつけている。ただ佇んでいるようにしか見えない。
アリスが一歩後退し、わたしに囁いた。
「あれだから嫌になるよ」と彼女は苦笑する。てっきりヘルメスが縷々並べ立てた説教のことかと思ったが、違った。「ヘルメス先生の言う本物の魔術師ってのは、あんなふうに戦うんだねぇ」
言っている意味こそ分からないが想像はつく。オブライエンもヘルメスも魔力が視えない。無いわけではなく、わたしに感じ取れないだけであるのはすでに証明されている。一度は途絶えたヨハンの仮死魔術を繋ぎ直したと言ったのだ、ヘルメスは。そしてこの場にいる死霊兵を亡骸に戻したのも彼に違いない。その際にも魔力は一切感知出来なかった。
おそらくアリスには、対峙する双方の魔力の流れが――どの程度かはさておき――感知出来ているのだろう。
「君、誰だっけ?」
不意にオブライエンが言う。涼しげな声だが、顔には微笑の欠片もなかった。
「案外忘れっぽいんだな、オブライエン。手足を吹き飛ばした相手を忘れるような残念な記憶力だとは。どうやら千年の時間はキミを耄碌させたらしい」
「どうでもいい出来事はいちいち覚えてないんだよね。君と違って」
二人は静かな舌戦と並行して、魔力による陣取り合戦をしているのだと、アリスが口早に囁いた。双方が濃淡様々な魔力を展開し合い、互いに間合いを詰めようとしているとの言である。
しかしオブライエンに分があるらしい。
「一見すると拮抗してるけどねぇ、あのヘルメス先生でも旗色が悪い。オブライエンがアタシから盗んだ紙があるだろう? あれはふたつでひとつの魔道具で、魔力の強いほうに強制的に転移させられるのさ。あのオブライエンが本体の一割未満の魔力だとしても、ヘルメス先生はそれにすらおよばないってわけだよ」
なるほど、と思った矢先、ヘルメスが声を張り上げた。
「アリスくんは即刻魔術を手放して農作業の勉学に励みたまえ。キミが生涯魔術を学んだところで魔術師を名乗れる日は来ない。ボクが強制転移紙片でここに来たと錯覚している時点でゴミカス確定だ。ボクはただの転移魔術でこの場に移動しただけ。非常に出来の悪い生徒を持ってしまったと激しく後悔している」
「撤回するよ、ヘルメス先生。アタシが悪かった。不出来な生徒の先入観を許しておくれ」
珍しい。アリスがこんなふうに平伏するなんて。
彼女はいつだって血に飢えた戦闘狂で、けれども少し優しい知恵者という印象だった。師匠に対してはこんな態度を取るのか。
アリスはわたしの耳元で「ヘルメス先生は耳まで出来がいい」と愚痴る。呆れたような声色なのに、少し嬉しそうな笑いが混じっていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『死霊術』→死者を動かす魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ドラクル』→ヴラドの父。ラガニア王の親戚筋にあたる公爵。厳格な性格。首都ラガニアの高級酒場の元締めをしていたことから、影で『夜会卿』と揶揄されていた。オブライエンの兵器『アルテゴ』の犠牲者。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『四代目ガーミール』→黒の血族で、ラガニアの公爵。二つ名は『穿孔卿』。代々家督を継ぐ者に、ガーミールの名が襲名される。鎧状の貴品『真摯な門番』を所有。自信家で、侮辱に敏感。そして口が軽い。しかし誠実。戦争には金を稼ぐために参加した。金銭を必要とする理由は、友人であるヘルメスの研究に注ぎ込むため。半馬人の隠れ家を襲撃したが、ヨハンの提示したプランの乗るべく、オブライエン討伐の可能性に賭けて犠牲になった。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を所持。実は騎士団長ゼールの養子。シンクレールの塩オムレツを気に入っている様子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。北門襲撃の際に夜会卿へ挑みかかるも相手にもされず、苦杯を飲む。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『仮死魔術』→一時的に心臓を止めて死を偽装する魔術。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。戦争においてクロエに討たれる。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。鋏型の貴品『緑青流鋏』を所持。ファレノの治安維持部隊である、男性のみで構成される白鳥近衛隊の長。実は女性だが、男として育てられ、常に男装している。アリスとの対話により自身の性別を白鳥近衛隊の面々に打ち明け、受容された。白鳥近衛隊あらため、『夜明けの翼団』を結成。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『強制転移紙片』→ふたつでひとつの魔道具。片方の紙片を持つ者を強制的に自分のもとへ転移させるという代物。より魔力の強い者のほうに転移される。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて




