1043.「心停止と交換条件」
甘ったれた保護者気取り。
自分の肉体に対し、冷静にそう思う。
オブライエンに摘まれた刃にいつまでも力を込め続けているのは以前のわたしに違いない。
『最果て』で出会い、ハルキゲニアでビクターの毒牙にかかり、『毒食の魔女』のアドバイスを聞き入れることなく重症を負わせてしまった少年。ノックスの王位継承に異を唱えなかったのもわたしだ。だから今、空中に映し出された悲劇の元凶もわたしにある。冷静なわたしにとってはどうでもいい出来事だが、かつてのわたしは無駄な義務感や罪悪感を覚えているのだろう。無論、そこには怒りや憤り、後悔の情があるはずだ。ここにいる優男のオブライエンに牙を剥いても、玉座のオブライエンにはなんら影響ないだろうに。まったくもって理性的ではない。
「王様はまだ生きてるから、そんなに怒らなくていいよ。クロエさん」
それを聞いてますます力を込めるわたしは、救いがたい大馬鹿者だ。
しかし、やがて力が抜けていく。
冷静なわたしが肉体の主導権を取り戻す。
意気消沈するくらいなら、はじめから刃を向けなければいいのに。
「さて、メフィスト。取引をしよう」
オブライエンが刃を離したので鞘に仕舞った。ヨハンはというと、疲弊した顔で彼を見上げている。
彼としてもノックスに思い入れがあるのだろう。王城でリスクを冒してまでオブライエンと対話し、誓いを交わした張本人だ。それが仇となってノックスが危機的状態に陥っているとしても。
「取引とは?」
「簡単な話だよ。ここにいる僕――二重歩行者は本体を殺されない限り消えない。君の二重歩行者と違ってね。玉座の二重歩行者も同じ。そして知っての通り本体は不死身さ。さて、君たちが狙っているのは二重歩行者の消滅じゃないだろう? 檻のなかの本体だ。死なないと知りながら殺そうとしている。となれば、不死者を殺す算段がある。具体的な方法を教えてくれないかな。そうすれば――」
言葉の途中でヨハンの身体がガックリと弛緩した。胡座をかいた姿勢で、ゆるゆると地面に頭が接する。
まるで死体だ。普段通りだけど。
「あは」とオブライエンが短く笑う。「なるほど。魔術で自分の心臓を止めたんだね。でも死んだわけじゃない。そのうち復活するようタイマーを仕込んである。いい作戦だ。僕が言葉だけじゃなくて脈拍や発汗量、筋肉の微動や呼吸の頻度まで読んでるのが分かってたんだね」
とんでもない話だが、事実なのだろう。オブライエン自身の明かした情報取得も、秘密を抱え込んだまま心停止したヨハンも。
オブライエンの微笑がわたしへと向く。
「クロエさん。彼と一緒に行動していた君は知ってるよね。僕の本体を殺すための方法」
「知らない」
即答ののち、周囲を吹き抜ける風音がした。下草が一斉に鳴き、夜の冷気を散らしていく。
長いことわたしを見つめていたオブライエンだったが、やがて溜め息とともに首を横に振った。
「メフィストは本当になにも教えなかったんだね。まあ、それもそうか。彼は自分以外の誰も信用しない性格だろうし。いいよ、別に。大体予想はついてるから。なんの問題もない。別働隊は僕を殺せないさ。間違いなく作戦は失敗する。メフィストも死んじゃったしね」
「復活するんじゃないの?」
これは無意識の言葉ではない。今のわたしが意図して発した声だ。
オブライエンの言った通りならヨハンの死は偽装で、いずれ生き返るはず。
「復活しないよ。生き返るために必要なタイマーは解除した。だから彼は心停止したまま二度と目覚めない。ただし、僕が目覚めさせようとすれば話は別」
「目覚めさせて」
ヨハンがいなくなると困る。わたしだけじゃ進めない道がきっとあるから。ここでの死は受け入れられない。
冷静に導き出した答えだ。
「それじゃ、こうしよう」オブライエンはニコニコとこちらを覗き込む。一点の曇りもない笑顔。彼はこの場に現れたときから一切淀みがない。「僕がメフィストの代わりになってあげるよ。君はニコル君とイブちゃんを殺したいんでしょ? 僕と組んだほうがきっと上手くいくし、今よりずっと楽だよ」
考えるより先に口が動いていて、わたしははっきり「嫌」と返していた。
オブライエンは大袈裟に両腕を広げる。そして首を傾げた。
「なんで? メフィストに出来る程度のことは全部僕だって出来るよ? もっと言うと、僕のほうが効率的に最短距離でやれる」
「嫌」
オブライエンがヨハンより魔術的に優れているのは確かだし、道のりだって平坦で短いものになるだろう。それは分かる。
ただ、ヨハンに出来ることを彼がすべてやれるというのは思い上がりだ。ヨハンにはヨハンにしか出来ないことがある。
「ねえ、クロエさん。物事はちゃんと考えて結論を出したほうがいい。君が持ってるサーベルを修理したのは誰?」
「オブライエン」
「そう、僕だ。元のサーベルの力を維持しつつ、たったひとりの例外を除いて壊せないよう強化してある。ここで言う例外が誰かは分かるよね?」
「オブライエン」
「正解。じゃあ、こういうのはどうかな。メフィストを生き返らせてあげる。その代わり、君は彼じゃなくて僕と一緒に旅を続ける。もし断ったらサーベルは――」
サーベルを抜き、刃を握って持ち手を差し出す。きょとんとしたオブライエンへと。
このサーベルはわたしにとって大事な武器だ。手放すなんてありえない。
ただし、唯一無二の物ではないのだ。替わりなら見繕える。
手のひらが切れて、血が刀身を伝った。切っ先から落ちる赤の雫が太陽の光を浴びて、鮮やかに映えている。
「壊していい。だからヨハンを生き返らせて」
「どうして彼にこだわるの?」
「ヨハンの代わりはいないから」
事実だ。
誰もヨハンの代わりになんてなれない。
固執しているつもりはないし、そもそも今のわたしに執着心なんてないけれど、オブライエンではなくヨハンと歩む道のほうが安全で確実だと言える。ヨハンはわたしをしょっちゅう裏切るけれど、その実、裏切っていない。玉座で王を射て、わたしを殺そうとした件以外は。
今現在、ヨハンとわたしは契約によって縛られている。だからわたしの目的を害するような裏切りはしないし出来ない。なにか抜け道があるなら別だが。
逆に、オブライエンは裏切っていないふうを装って、平気でわたしを殺すように思える。ラルフの記憶を追体験する限り、彼はあらゆる意味で手段を選ばない。わたしを殺さないまでも、なにかの実験台にはするだろう。
オブライエンの顔から笑みが消えた。それでもなお、麗しさはいささかも損なわれない。
わたしはなんとも感じないけれど、誰からも愛されるような容姿だと思う。
ヨハンと違って。
「君は選択を間違えたよ。クロエさん。残念だけど――」
発砲音が声を遮り、一発の魔弾がオブライエンの額ギリギリで制止した。誰の弾丸なのかは明白だ。
「しつこい男は嫌われるよ、オブライエン。アンタはちっとも魅力的じゃないんだよ。お嬢ちゃんにとってはね。もちろん、アタシにとってもアンタは最悪だ」
アリスがわたしを庇うように前に出て、サーベルを回収し、わざわざ鞘に納めた。彼女の横顔がやけに満足そうだったのは謎だ。
発砲音が幾度も鳴り響き、オブライエンの周囲を漆黒の触手が踊る。
弾丸はいずれも彼に命中することなく宙の一点で動きを止め、触手はオブライエンに触れようとするや否や仰け反っている。
オブライエンの魔術はもちろん、魔力すらわたしには視えないし感じ取れない。でも、すべて魔術によって為されているのだと断言出来る。千年生きた魔術師の魔力を見抜けるはずがない。
アリスが実らぬ攻撃を続けるなか、オブライエンの手がひらりと虚空を撫でた。
次の瞬間には、彼の手が紙片を摘んでいた。
なんの変哲もない紙切れ――ではない。
魔道具だ。魔力で分かる。
「これ、誰が作ったの? 転移魔術だと思うけど、やけに複雑だね。もっとシンプルな構造にすればいいのに。ま、なんだっていいや。アリスさん。どんな方法を使っても今の君じゃ僕にかすり傷ひとつ負わせられないよ。逆にこっちは、いつだって君を痛めつけられる。たとえばこんなふうに――」
紙片を掴んでいないほうの手がアリスへと向けられる。
その刹那、爆音とともにいくつかのことが同時に起こった。
アリスの周囲を粉塵が舞い、オブライエンが咄嗟に手を引いて後退したのである。おまけに死霊兵が一斉に崩れ落ちた。
爆裂魔術。
たぶん、オブライエンが行使したのはそれだ。死なない程度にアリスを痛めつけるつもりだったのだろう。しかし実を結ばなかった。
粉塵のなかに佇むアリスのシルエットは先ほどと同じ位置にある。そして彼女の前に、先ほどまで存在しなかった影があった。
煙が晴れ、乱入者の姿が露わになる。
錆色のブローチで留めてある、褪せた緑のローブが朝風に靡く。憂鬱そうな顔をした癖毛の男が、じっとオブライエンを見据えていた。薄い唇が開き、快晴に似合わぬ粘っこい声が放たれる。
「到底魔術師とは呼べないほど未熟で、原始的な知能しか持っていないゴミカスだが、そんな生徒でも守る義務が講師にはある。オブライエン。キミのような劣悪な奴には指一本触れさせない」
血族の肌をしているが、その姿はわたしの記憶に保存されている。
千年前、オブライエンの半身を破壊した魔術師。
ヘルメスだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『イブ』→魔王の名。ラガニア王の三女だった。ラガニア王直系の生き残りは彼女のみ。肉体は成熟した女性だが、精神は幼い状態のまま固定されてしまっている。魔物を統率する力を有する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『魔弾』→魔銃など、魔砲によって放たれる弾丸を指す。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『爆裂魔術』→対象に魔力を注ぎ込み、爆発させる魔術。詳しくは『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて




