1040.「都は落ちず」
グレキランスを建国し、世界に魔物と血族と他種族を生み出した張本人。
オブライエン。
いつの間に現れたのか、どうしてここに姿を見せたのか、皆目見当がつかない。わたしがどう振る舞うべきかも分からなかった。ただ、右手は自然とサーベルの柄を握っていて、いつでも抜刀出来る状態にある。
「ど――」
どうしてあなたがいるの。
たぶん、そんなことを口走ろうとしていた。意思とは関係なしに。反射的に。
それを遮ったのはヨハンである。
「どうも、オブライエンさん。その姿でお出ましになるとは思いませんでした」
ヨハンの言葉を耳にして、自分の迂闊さを思い知った。この姿のオブライエンを見るのははじめて。そう装わなきゃならない。わたしの知る彼はシルクハットに錆色の蝶ネクタイをした男なのだから。彼のこの姿を知っていることは、彼の過去を知っていると自白するのに等しい。この戦争においてオブライエンを討ち取ろうと画策しているところまで読まれる懸念がある。
「こいつがオブライエン? アタシの知ってる顔じゃないねえ」
アリスがそう口にした。同調しようかと思ったけど、やめておく。余計な言葉で彼を刺激してしまいかねない。ただでさえ今のわたしに普通のコミュニケーションなんて難しいのだから。
「アリスさんはご存知ないでしょうな。もちろんクロエお嬢さんも。我々の知る紳士と同一人物です」
ヨハンだけは知っていても不自然ではない。もとよりラガニアの出身なのだから。『記憶の水盆』を通じて過去の所業を把握している可能性もあれば、図像で人相を知っている可能性もある。そのようにオブライエンは捉えるはずだ。
ヨハンは今、リスクを冒している。けれどもそれはオブライエンの想像の範疇に留まる程度のリスクだ。彼の千年前の姿を認識していることと、不死者であると把握していることはイコールではない。先祖の名前と姿を継承しているだとか、それらしい理由はいくらでも見繕えるだろう。あえてそう明言しないあたり、ヨハンは慎重だ。嘘を見破られるのをなにより懸念している。背後に感じる殺気は、きっとベアトリス部隊の血族たちが放つものだ。グレキランスはともかくとして、ラガニアでは彼の名前と歴史が連綿と語り継がれているはずだから。ユランがグレキランスの歴史を誤りだと糾弾したように。
隠さなければならないのはラルフの記憶を知っている点だけ。
なのに――。
「あはっ」
オブライエンは笑って首を横に振った。晴天に相応しい爽やかな笑い。
「いいよ、メフィスト。言葉を選んだりする必要はないんだ。君とクロエさんは僕をよく知ってるでしょ? もしかしたら、ここにいるみんなも」
考えを読まれたのかと思った。彼ならそれすら可能なのではないか、と。そんな魔術はもちろん存在しない。けど、結局わたしの知る魔術の知識はグレキランス由来の限定的なものだ。彼を常識的な物差しで計るのはナンセンスである。
だが、そうではないようだ。
「君たちの疑問は分かるよ。どうしてそれを知ってるんだ、って。もしかしたら思考が盗み取られたのかもしれない、って。あはは。そんなこと誰にも出来ないよ。魔術のおよぶ領域じゃないからね。僕は自分の頭で考えただけ。とても強い信頼に基づいて」
「信頼?」
「そう、信頼だよ、メフィスト。ラルフ先生はとても優秀だ。きっと素晴らしい遺産を残したはず。先生は最後に、僕じゃなくてラガニアを選んだんだよ。なら、僕にまつわる物事全部をそっくりそのまま記録すべき。先生じゃ僕をどうにも出来ないから。遙か先の未来に賭けたんじゃないかな。いつか僕を止めてくれる優秀な存在に」
とぼけてもいい。否定してもいい。でもそれらはきっと看破される。ヨハンが沈黙を保っている以上、わたしも口を開くわけにはいかない。
これが本当にオブライエンの推測だとしたら、賢い。筋は通っているし、なにより真実を射抜いている。記憶を保存する装置が小人の歴史書とまでは分からずとも問題ではないのだ。
「ひとつ質問してもいいですか?」
そう口にしたヨハンを横目で見る。流れた汗が筋となって首へと至っていた。初夏の日差しは夜の冷気を徐々に温めているものの、まだ肌寒さはある。
「なんだい」
笑顔で首を傾げたオブライエンは、誰が見ても無邪気な好青年だ。実際、当人に邪気なんてひとつもないだろう。ラガニアを一度崩壊させたのも、倫理を無視した魔術を作り出したのも、グレキランスの人々に偽の歴史を植え付けたのも、悪意に根ざしていない。誰も彼の純粋な行為を止められなかっただけだ。
ヨハンの指先が、遠く北門の方角を指す。
「今、グレキランスが襲撃されていますが……あちらを無視してどうしてここに来たのですか? 貴方にとってなにより大事な場所でしょう?」
「そうだよ。グレキランスは僕の故郷だからね」
「では、なぜ故郷の危機を放置しているのです?」
白銀色の髪が風を孕んで揺れる。
オブライエンは王都の方角へと向き、わたしたちに背中を晒した。
「みんなよく頑張ったね。北門のみんなも。ほかの門のみんなも。君たちもそうだよ。必死に戦って、それでも勝てなくてここにいる。でも無駄じゃなかった。ヴラド君の部隊はそれなりに減ったし、一番強い騎馬の男は、騎士団長とオーガが懸命になって弱体化させた。なによりメフィスト。君はヴラド君の目を奪った。戦場でなにより大事なのが情報だってことをよく心得てるね。君たちが後方に留まってるのも、ヴラド君の視界をひとつ後方に固定するため」
わたしたちの頭上にいる蝙蝠たちを指差す。相変わらず背中を向けたまま。
「ヴラドは貴方にご執心ですよ。空にいる大量の蝙蝠の視界を切り替えて、絶えず監視しているはずです。グレキランス制圧を一旦中止して、ここまで走って来るのではないでしょうか?」
ヨハンの指摘は妥当だ。仇敵オブライエンがここにいると知れば、ザムザや白銀猟兵を振り切って一目散に向かって来るはず。
「平気だよ。今、蝙蝠たちは全部虚像を見てるから。メフィストは横になって寝てる。クロエさんは凛と佇んでる。もちろん、その景色に僕の姿はない」
何百匹もの蝙蝠の両目に共通した偽りの映像を見せる。並の魔術師では無理だろう。つまりオブライエンなら可能だ。
「なるほど。それなら安心ですね。それで、なぜここに貴方が現れたのか教えていただけませんか?」
オブライエンが振り返る。翻った髪が陽光を眩く反射した。
「全部、君の思い通りに推移してる。ヴラド君の勢力を削ったのも、目を奪ったのも、お膳立てだ。僕が地下に留まったまま、それなりの兵器を動員して倒せる程度に済ませておいたんだよね、君は。疑われないように、慎重に。何人もの仲間を犠牲にして。君自身もちゃんと傷を負って。それら全部、地下の兵器を手薄にさせるためだ。出来る限り安全に僕を殺したかったんだよ、君は。別働隊がラルフ先生の檻までたどり着く確率を上げるために」
いかにもヨハンのやりそうなことだ。目的のためなら手段を選ばない。合理的だと思う。ただ、こうも思うのだ。どこかオブライエンに似ている、と。
「……返事をしてくれないのは寂しいけど、君の気持ちも分かる。認めても認めなくても、言葉の真偽を見抜かれると思ってるんでしょ。うん。その通り。言葉を通じてほとんど分かる。話を続けるけど、君が危惧したのは僕がグレキランスに現れてヴラド君たちを瞬殺しちゃうケースだよね。だから、兵器で対応出来る範疇まで敵の総勢を減らした。君は僕ひとりよりも、大量の兵器のほうをむしろ恐れたんだ。地下に送り込む勢力はそれなりに多いんでしょ? 大勢が分散して僕の本体を目指したなら、僕の二重歩行者とジュリアだけじゃ対応しきれない。そんなところかな。残念だけど、今壁の内側でヴラド君と遊んでるのは兵器の一部だけ。彼を足止めするくらいの数しか動かしてないんだよ」
「……そんなことをしたらグレキランスが崩壊する」
ヨハンの呟きに、オブライエンは首を横に振った。
「崩壊しないよ。だってあれ、グレキランスの偽物だもの。門が壊された瞬間にすり替えたんだけど、気付かなかった?」
ヨハンは唖然としている。たぶん、みんな同じ表情をしているはずだ。
――本物のグレキランスがどこにあるか教えてあげよう。
彼はそう前置きして手指を動かし、ごくシンプルに告げた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。戦争において縫合伯爵ルドラの次女マヤやハイメ子爵と親交を深めた。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『記憶の水盆』→過去を追体験出来る魔道具。魔王の城の奥にある。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『王城』~」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。夜会卿との戦闘において肉体のほぼすべてが空洞化した。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『ラルフ』→かつてオブライエンの家庭教師をした男。ラガニアで起きた悲劇の一部始終を『追体験可能な懺悔録』というかたちで遺した。『気化アルテゴ』の影響で小人となり、『岩蜘蛛の巣』にコミュニティを形成するに至った。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。族長は代々、歴史書を記す役目を負っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『小人の歴史書』→コロニーの長が代々書き残す歴史書。子孫繁栄よりも大事な仕事らしい。最古の歴史書は記憶を保存した魔道具。詳しくは『285.「魔女の書架」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『騎士団長』→名はゼール。王都の騎士を統括する存在。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『オーガ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族。血呑み、鬼人、生き肝食い、黒痣などの別称を持つ。肌に這う黒い紋様と、額の角が特徴。残酷な種族とされている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『紫電のザムザ』→騎士団ナンバー1の男。銀の髪を持つ魔術師。幼い頃の記憶がない。ときおり頭のなかに響く『声』に従って行動をする。実はオブライエンによって作られた、魔道具に限りなく近い人間。故人。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~啓示~」』『Side Winston.「紫電の組成」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて




