幕間.「地上と玉座へ」
四方数メートルの白銀色の小部屋で、魔具制御局のジュリアは椅子に座してチェスの相手を務めていた。対面にはシルクハットに錆色の蝶ネクタイをした長身の男――オブライエン。昨晩からずっとチェスの相手をさせられている。
「チェックメイト。吾輩の勝ちだ。これで何連勝かね?」
「百十連勝です」
愉快そうに笑うオブライエンを冷ややかに見つめる。彼女としては勝敗に関心はなかった。この手のゲームは彼の得意種目である。今日に限らず、暇さえあればオブライエンは大概、盤上遊戯に誘うのだ。
暇。
その定義は通常であれば『なにもすることがない』状態を意味している。が、オブライエンの場合は異なる。身体を動かす必要のない時間を指す。ゆえに、地上の状況を逐一監視して思考をめぐらすだけなら、彼にとっては暇と見做せるのだ。
もう飽きたのか、オブライエンは伸びをして骨を鳴らしている。
「すべての門が落ちてしまったよ。嘆かわしい。せっかく用意してあげた砲台もほとんど壊されてしまった。ショックで心が張り裂けそうだ! ジュリア嬢もそう感じているに違いない!」
「いえ、ワタシはなにも感じません」
オブライエンが大袈裟に目を丸くし、額に手を当てた。
「あんなに兵器を与えたというのに勝てなかったのだよ!? ショック!」
「門が落ちるのは想定通りだったのではないですか?」
冷ややかに訊ねると、オブライエンは慣れた仕草で肩を竦めた。
「イエス。壁外の防衛勢力は残念ながら血族と魔物に敵わない。もっとも手厚い北門さえ陥落の運命は避けられなかった」
「梃入れするのでしょう?」
「それなんだがね、少し考えものなのだよ」
オブライエンの手が盤上を撫でると、チェスの駒も盤も白銀色に溶け、代わりに円形の壁に囲まれた都市が現れた。王都のミニチュアである。
「吾輩はね、ちょっと懐かしい気分になっているのさ。ラガニア城での園遊会を思い出す。吾輩を処断したドラクル公のご子息がグレキランス襲撃部隊の指揮官なのだよ。ヴラド少年。愛すべき悪戯っ子。大きくなったなあ。千年以上のときを経て再会するとなれば、実に感動的なシーンになるだろう。落涙必至だ」
「話を逸らさないでください」
「逸れていないつもりなのだがね。結構結構。梃入れするにしても方法は思案すべき。メフィスト氏の動きが気になるのだよ」
なにが気になるというのか、ジュリアにはさっぱり不明だった。昨晩の各門の状況はリアルタイムでこの部屋のスクリーンに映し出されていたのだから、彼女も状況は把握している。
「ワタシの見る限り、メフィストは問題なく働いたようですが」
「そう。それが気になってるのだよ。煙宿からの援軍を差し向け、ヴラド少年を包囲した。申し分ない戦いだよ。ただしヴラド少年のほうが格上。残念ながら撤退を余儀なくされた。前線で手を貸した艶美なオーガも本気で戦っていたように見える。結局は敗走したがね」
「ではなにが気になるのですか?」
オブライエンの手のなかで白銀色の液体が膨れ、やがてメフィストを戯画化した手のひらサイズの人形が現れた。彼は指先でそれを弄びつつ、机に肘を突く。
「全部メフィスト氏の思い描いた通りになっているのではないか。それが吾輩の疑念だよ。あの艶美なオーガがボロボロになって撤退するのも、援軍が死傷者を出したのも、ヴラド少年との一騎打ちを演じたのも、すべて芝居じみて見える。確かにヴラド少年の勢力は目減りしたが、微々たるものだよ。メフィスト氏一同は、もうこれ以上歯向かう力は残っていない……そんなアピールに感じられるねえ」
「演技だとしたら目的はなんでしょう」
オブライエンの手が真上へ伸び、ピンと人差し指を張った。
「吾輩が地上に追加の援護兵器を投入するのを期待している。あわよくば地下の最大戦力たる吾輩を表に誘き寄せようとしているのではないか。なぜ、と言いたそうだね、ジュリア嬢。考えてもみたまえ。地上の箱庭は吾輩の大事な作品だ。ラガニア人に横取りされるのは心穏やかではいられない」
「……はじめからそのつもりで砲台や白銀猟兵を配置したのでは?」
するとオブライエンは手を叩き、腹を抱えて笑った。ジュリアが眉間に皺を寄せるのも無理はない。
「あんな欠陥品でどうにかなる相手だとは思っていないよ。滅びてなお生き残り繁殖を続けるラガニア人を侮ってはいけない。彼らは門を突破する。はじめから確信していたよ、吾輩は。門を守る玩具の兵隊が何人死のうとどうでもいいのだよ。人なんて放っておけば勝手に増えるものだからね。ゆえに準備をした。ジュリア嬢も知っての通り、各地の職人を集めて日夜兵器の製作に取り組んでもらっている。それらを一斉投入してもヴラド少年団を殲滅出来るかは五分五分。ここで吾輩は選択を迫られている。吾輩が表舞台に出るか、ジュリア嬢を派兵するか」
命令であればジュリアは拒否するつもりなどない。この姿のオブライエンにはうんざりしているものの、本来の容姿の彼には千年以上変わらぬ愛情を持っているのだから。
「どちらを選んでも地下が手薄になる。嗚呼、ジレンマ! ……とまあ、これがメフィスト氏の遣り口だ。選択肢を与えて相手を近視眼的にさせる。ほかの方法から目を背けさせるというわけだね」
「では、どうするのですか?」
オブライエンの口が半月型の曲線を描いた。
「どちらも選ばない。地下の戦力を減らすのはナンセンスだ。それでいてヴラド少年団を無力化しよう」
「そんな方法――」
「不可能だと思うかね? 心外だ。不可能を可能にするのが魔術で、吾輩は千年の時を経た魔術師なのだよ」
さて、と言ってオブライエンが立ち上がる。白銀色の空間に出口が空いていた。彼女にとっては見慣れた事象だ。この空間は如何ようにも変化させられる。オブライエンの意思によって。
千年と少し。
随分長い時間のはずだが、こう振り返ってみると長大な感覚はなかった。これも不死ゆえの特殊な感性なのかもしれない。無限に続く人生を生きているのだから、時間に対する一般的な意識とは隔たりがあるのだろう。
千年あっても、ジュリアはオブライエンを理解し、把握したなどと思い上がったことは一度もない。この先もきっと彼の行動や思考を悟るのは無理だろうと諦めていた。それでも恋慕の情はいささかも減らないのだから、自分で自分が頼もしくなる。永遠を生きるよすががあるのは幸せだ。でなければ、自分のような凡人は退屈で消えたくなってしまうから。
「局長。どこへ行くのですか?」
出口へと歩む長身の紳士へ問う。
オブライエンは横顔だけ振り向いて、なんでもないことのように返した。
「地上と玉座に用があってね。吾輩が戻るまで、ここは頼むよ。無事戻ったら元の姿でキスしてあげよう」
地下に留まりながら地上と玉座に行くという矛盾を、ジュリアはちっとも奇妙に思わなかった。彼は天才なのだから不可能も可能にするはずだ。
そんなことより、本当の姿のオブライエンに戻ってくれると考えるだけで動悸がする。全身が弛緩して、けれども意志は強固になってゆく。
この空間を侵す者はひとり残らず排除する。
でなきゃ、オブライエンは褒めてくれない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『魔具制御局』→魔具や魔道具、魔術を統括する機関。拠点は不明。オブライエンが局長を務めている。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ジュリア』→魔具制御局のメンバー。オブライエンの部下。オブライエンの実験による最初の不死者。彼を心の底から愛している。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築されている。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『ドラクル』→ヴラドの父。ラガニア王の親戚筋にあたる公爵。厳格な性格。首都ラガニアの高級酒場の元締めをしていたことから、影で『夜会卿』と揶揄されていた。オブライエンの兵器『アルテゴ』の犠牲者。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『オーガ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族。血呑み、鬼人、生き肝食い、黒痣などの別称を持つ。肌に這う黒い紋様と、額の角が特徴。残酷な種族とされている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて




