1038.「傍観の理由」
「ヨハン。アンタさぁ、グレキランスを救う気なんてこれっぽっちもないんじゃないかい?」
いかにも痺れを切らした様子でアリスが詰問した。ヨハンはというと、地面にべったりと座り込んで破壊された北門を眺めている。アリスのほうを一瞥もしない。
危険域から脱して以降、わたしたちはなにもしなかった。北門防衛の援護に回ることもなく、さりとて別の場所に移動するでもなく。客観的に見れば敵の総大将――ヴラドに敵わないと悟って敗走したように映るだろう。
「いいえ。救うつもりでずっと動いてますよ」
「今は動いてないじゃないか」
「動かないほうがいいタイミングもありますからねえ」
「で、動かなかった結果、門が壊されたんじゃないか。連中は今頃壁のなかに入ってる」
このままなにもしなければ王都は制圧されるだろう。有力な人員はほぼすべて門に割いているのだから。ヴラドに抵抗出来るような人材はいないはず。
「そうですね」
「そうですね、じゃないんだよ。アンタ、このままなんにもしないつもりなのかい?」
「今のところは様子見ですね。休息は大事ですから。私は魔力を使いすぎましたし、アリスさんもそうでしょう?」
腕を組んで舌打ちを返すあたり、アリスも消耗しているのだろう。実際、彼女から感じ取れる魔力は平時よりも随分少ない。
撤退してから数時間も経ったと言えるし、数時間しか経っていないとも言える。ひとの回復速度はそれぞれだ。魔力にせよ傷にせよ。現にマヤもベアトリスも目を覚ましていない。スピネルもだ。加えて煙宿の兵士――特にアリスの部隊に割り当てられた者は疲労が抜けていないように見受けられた。それと比して、ヘイズの血族と竜人は壮健である。考えるまでもない。彼らはほとんど誰とも戦っていないのだ。ナーサを筆頭とするヴラドの後方部隊はわたしが殲滅したし、その後は敵陣中央付近で待機していた。そしてナルシスが叫んだ撤退指示でさっさと後方に戻ってきたのである。
収穫はヴラドとの会話を何者かに横流ししたことと、ヴラドの目を潰したこと。あれだけのリスクを冒したにしては得られたものが少ない。
そしてシャオグイは戻ってこなかった。ヨハン曰く、いざこざがあったとのことである。いつものごとく詳しくは語らなかったが、喧嘩別れしたらしい。樹海での執着ぶりからは考えづらい話だ。
「話半分で聞いていただきたいのですが」
いまだに溜飲の下がらないアリスに対してなのか分からないが、ヨハンは小声で呟いた。
「私たちはなにひとつ無駄なことはしておりません。懸命に戦って、それでも敵わずに逃げるほかなかった。消耗し、休息を必要としている。誰にも覆せない事実です」
「わたしは全然疲れてない」と口を挟んでみたのは、暇に任せた気まぐれだ。例の無駄なコミュニケーションの一環である。
ヨハンは「お嬢さんは例外ですよ」なんて苦笑した。
「それじゃ、黙ってグレキランスがヴラドに潰されるのを遠くから眺めるのも無駄じゃないって?」
アリスとしてはすぐにでも打って出たい様子である。彼女の雇用主であるルカーニアは壁内にいるのだろう。彼が殺されるのを見過ごすのは許しがたいといったところか。単にじっとしていられない性分なのも、アリスを苛立たせている要因に違いない。
「無駄じゃないですよ。動かないことでヴラドの視界をひとつ奪っていますから」
「なんだい、それ」
ヨハンは空を見上げて不敵に笑んだ。
「ヴラドが大量の視覚を得る手段は奪いましたが、ごく少数の視界ならば自力で処理出来ます。蝙蝠二匹が限度でしょうな。いまだに空に散らばっている蝙蝠の目を切り替えて、情報を得ているはずです。そのうち一匹は私たちの監視に割く必要がある。あの男は極度の心配性ですから。石橋を叩き続けた挙げ句、それで橋を壊すタイプですね。それでいて、やっぱりこの橋は安全ではなかった、と言って憚らない居直り癖もあります」
不死者にもかかわらず心配性なのか。奇異だ。とはいえ、あまり馬鹿には出来ない。わたしの刃をことごとく防ぎ、ベアトリスの攻撃を凌いだのも知恵と研鑽あってのものだと思う。その根幹に心配性があるのだとすれば、一概に悪癖とは言えない。
「それならアタシらが二手に分かれたらどうだい? そうすりゃ、蝙蝠の視界は全部奪える」
「それはやりすぎです。ヴラドが踵を返して、こちらを先に排除しにくる可能性が高くなりますよ。何事もバランスが大事なわけでさあ」
わたしたちを潰せば、ヴラドは後ろを警戒する必要がなくなる。蝙蝠一匹分ならヴラドの許容範囲なのだろう。たぶん。
「あっちから来てくれるって言うんなら好都合さ」
「アリスさん。相手はこちらよりも遥かに強いんですよ。それに、北門を突破した勢力がすべてではありません。東西南北それぞれの門が襲撃されていることはケインさんからの交信で分かっているでしょう? おそらく全部落とされましたよ。彼らが壁内で合流したのち、仲良くこちらの排除に乗り出した場合、私たちに勝ち目はありません。確実に負けます」
「それなら合流される前に叩いたほうがいいじゃないか」
「その場合も勝ち目はほぼゼロですよ」
「それじゃ結局、アタシたちの存在意義はヴラドの目玉ひとつ奪うためだけってことかい」
そう聞こえる。ヴラドの視界ひとつ奪ったところでなにかメリットがあるようにも思えない。
ところが、そうでもないらしい。ヨハンは首を横に振った。
「アリスさんは子供の頃、積み木遊びをしましたか?」
「……したけど、それがどうしたって?」
「立派に積めたら嬉しいですよね」
「ヨハン。魔弾で頭ブチ抜いてやろうか?」
ヨハンが大袈裟に両手を挙げた。実際アリスは魔銃を抜いてる。さすがに撃つつもりはないだろうけど。
「話を逸らしてるわけじゃないですよ。一生懸命作った積み木の城を誰かに壊されたら腹が立つでしょう? 壊そうとしてる輩がいるなら阻止するのが当然です。しかし、そういった悪い輩を近寄らせないために雇った用心棒は役に立たなかった。いよいよとなれば自分が守るしかない」
ヨハンは目を眇め、破壊された北門に視線を注いでいる。
言いたいことが分かった。おそらくアリスも察したことだろう。無言でホルスターに魔銃を仕舞った。
わたしたちは必死に戦ったように見えただろう。そして惨めに敗走し、行く末を見守っている。ヨハンの喩えた用心棒がわたしたちだ。半端に壁内へ入り込めば、積み木の作者は静観する。少なくとも、わたしたちが死ぬまでは。
ヨハンは待っているのだ。
王都グレキランスという巨大な積み木の制作者が、躍起になって敵の排除に乗り出すのを。
わたしたちは潰すべき相手が勝手にぶつかるのを待っている。ヴラドとオブライエンが殺し合い、疲弊するのを虎視眈々と狙っているわけだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて
・『ルカーニア』→王都の歓楽街を取り仕切る老人。斜視。王都襲撃の日、武器を手に魔物と戦うことを呑み、引き替えにアリスを永久に雇用することになった。詳しくは『Side Alice.「ならず者と負け戦」』にて
・『ケロくん』→ハルキゲニアで魔術の講師をしているカエル頭の魔術師。正式名称はケラケルケイン・ケロケイン。本名はアーヴィン。詳細は『第三話「軛を越えて~②カエル男と廃墟の魔女~」』『幕間.「ハルキゲニア~時計塔最上階~」』参照
・『魔弾』→魔銃など、魔砲によって放たれる弾丸を指す。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて




