Side Vlad.「濁流から回帰して」
※ヴラド視点の三人称です。
クロエたちが中央から――すなわちヴラドの前から撤退して数分後、彼は情報の海から回帰した。
周囲には部下がおり、何事か話しかけている。交信魔術が絶えず戦況を送ってくる。
「閣下、ご無事ですか!?」
『前衛部隊より。死者なし。負傷者四名。バルクハルト殿は依然、シャオグイならびに人間の男ひとりと交戦中。以上』
「ヴラド様、聞こえておられますか!?」
『右方部隊より。デボン軍の兵員と人間が手を組んでこちらを陽動している模様。死傷者ゼロ。陣形の乱れなし。迎撃指示を求む。以上』
「ヴラド公爵、いかがいたしましょう」
『左方部隊より。敵影なし。依然、死者十名、負傷者三十名。待機状態。以上』
嘔吐感と目眩に襲われながら、ヴラドは何度か深呼吸した。配下の者に悟られぬよう、最小限の身体の動きで。顔色ひとつ変えない。
周囲の部下の囀りも否応なく耳に流れ込む交信も、すべて不快だった。なによりメフィストに騙されたのが腹立たしい。とはいえ、サフィーロという望外の収穫はそれら不快を拭い去る程度には喜ばしかった。
クロエを強制転移箱に格納しようとしたのは、完全に無意識下の行動である。惑乱し、正常な思考と意識の連続性を失った状態にあっては、我が身が勝手に動いたとしか言いようがない。情報の洪水に掻き乱された脳であろうと、己の為した動きは断片的に記憶している。
「無事だ。なにも問題はない。前衛部隊を除く総員は待機せよ。私はしばし右方へ向かう」
周囲の部下に向けて言葉を放つ。交信魔術に対しては待機命令のみを出した。そして足を右方に向ける。
理由を問う者はいない。ヴラドの異常を察して集った血族はいずれも弁えているのだ。主君の行動理由を問いただす非礼を。
右方の中心部――脳兵の車輌まで到達すると、ヴラドはすぐさま内部の状態を確認した。脳兵はひとり残らず死んでいる。いくつもの致命傷と脳の撹拌。例外なくそのような状態にあった。生命維持用と視覚情報の送受信用のチューブは健在である。
漆黒の厚布を閉ざして振り返ると、鎧姿の血族が膝を突いて地面に頭を擦り付けていた。右方部隊の長である。今になるまで車輌内部の損害に気付かなかったのだろう。
「殿下。わたくしめの手落ちです。申し訳の言葉もございません。しかるべき罰を――」
「お前の失態ではない。不問とする。ただちに送受信用のチューブを閉塞するよう、魔道具技師に命ずる」
通常であれば、この場で部隊長の首を刎ねるに足る。だが今はひとりの人員さえ惜しいのだ。部隊長を殺さないと判断した理由はそれに尽きる。夜闇を潜航するメフィストの二重歩行者をただちに見抜くのは困難極まるという事情は度外視して。
それに、こちらの落ち度もある。指示があるまで脳兵の車輌に指一本触れるなと命じたのは自分だ。エール死亡により露出した車輌を放置したのは、右方部隊の忠実さを示している。自己判断能力の欠陥とは見做せない。主君が勝手を嫌うのを、彼らはよくよく心得ていただけだ。
メフィストは脳兵の脳と彼らの生命を破壊し、それ以外には一切手を加えなかった。妥当である。チューブなどの情報集約機構まで壊してしまっては視覚情報の濁流は起きない。
技師が作業するのを待ちつつ、遠巻きに感じる気配に意識を向けた。
陽動作戦を展開している人間と血族。脅威ではない。だが、排除するとなれば手傷を負うだろう。右方の部隊員は防衛に特化している者が多い。
「デボンの部下と人間は放置せよ。守りに徹し、部隊員に傷ひとつ負わせるな。魔力消費も可能な限り抑えるように」
「おおせの通りにいたします」
跪く部隊長の返答に、ヴラドは頷きひとつ送った。
魔道具技師数名が車輌内部で忙しく動いている。蝙蝠の目を取り戻すには必要な作業だ。千の眼はこの車輌と接続されている。集約機構が閉塞しない限り、個々の蝙蝠の目を取り戻すことは出来ない。新たに蝙蝠を放って、それらを目とすることは可能だが、多少の危うさが付きまとう。こちらに悟られることなく新規の蝙蝠に目印を付けて、視界を欺かれる懸念があった。すでに展開している蝙蝠であれば、その憂いは消える。すべての蝙蝠を騙すのは無理筋だ。いかにオブライエンの縁者であっても。
車輌そのものを破壊すれば技師の作業を待つ必要はないが、替えの利かない道具だ。一方、脳兵なら用意出来る。人体を、脳だけ機能する状態にさせればいいだけの話。制圧後のグレキランスで、価値のない人間を脳兵に仕立ててやれば済む。復活した千の眼でグレキランス地方を常に監視出来るようにしておきたい。
技師の作業は実に一時間以上かかったが、ヴラドは特段の叱責はしなかった。一刻を争う戦場であれ、焦って失敗を犯すほうが問題だ。
個々の蝙蝠の視覚に接続し、次々と切り替える。同時に処理出来る視覚情報は三つ。それが己の限界である。自分自身の視界と、蝙蝠二匹の視界。いささか心許ないが、仕方あるまい。
中央に戻ったヴラドは、二匹の視界で戦場を俯瞰した。ひとつは後方に撤退したクロエたちの監視。もうひとつは、北門の戦況。前者に動きはない。後者には苛立ちを感じた。バルクハルトがシャオグイと人間を相手にしているのは知っていたが、まだ決着がついていないとは。バルクハルトが手を抜いている様子はない。一見すると間もなく決着がつきそうな状態だが、存外しぶといのだ。シャオグイが食い下がるのは理解出来るが、人間の男が耐えているのだから奇妙である。シャオグイにさえおよばない実力にもかかわらず、吹き飛ばされては立ち上がる。何度も。何度も。片足を失っているというのに。全身の傷は増える一方であるのに。
あの男も強制転移箱に納めるに値する。バルクハルトが勝利したのちに命が残っていれば、だが。今のうちに前線に出て格納するのはナンセンスである。そんなことをすればバルクハルトの反感を買うだろう。横槍を嫌う男だ。戦闘に水をさされるのがなによりも不快。北門突破後の壁内制圧が本番だ。前哨戦に過ぎない北門で、彼の心にわだかまりを残すわけにはいかない。
ヴラドが砲台の破壊を思い留まっている理由もそこにあった。バルクハルトは砲台のハンデさえ織り込んで戦っている。下手に援護をすれば臍を曲げるだろう。シャオグイと、不撓不屈の人間。両者を相手にバルクハルトは嬉々としているはずだ。グレキランス地方に入ってから、ナーサ以上に血に飢えていたのは察している。もっとも、ナーサのように飢餓感を表出させることはなかったが。
「ヴラド様。ワインはいかがでしょう」
「要らん」
エールの後釜を狙おうとしているのか、数人の手下が侍っている。不愉快だ。グレキランス制圧後、脳兵にしてやろうか。
奉仕したいのなら私に脳と生涯を捧げるのに異論あるまい?
よほどそう詰め寄りたい。が、兵員を減らすわけにもいかない。内心で悪態をつくのがせいぜいだ。
「ヴラド様。立ったままではお疲れになるでしょう。わたくしめが椅子になりましょうか」
「要らん」
貴様の骨で椅子を作ってやろうか、喋る糞袋め。
「ヴラド様。退屈なさって――」
「私が暇に見えるのか? 見えるだろうな。愚物には突っ立っているだけに見えよう。私がなにを見てなにを考えているか一ミリでも推察しての発言か? ナーサとエールが消えて意気揚々か? 結構。結構なことだ。今すぐ貴様の全身の皮膚を剥がし、目を刳り抜き、口を――」
愚物がその場に尻もちを突き、わなわなと震えだしたところでようやく自制心を取り戻した。
「冗談だ。気にするな」
愚物は依然、震えている。それもまたこちらの神経を逆撫でした。鬱陶しいことこの上ない。
「お許し、ください」
「冗談だと言ったろう。許す。だが、少し静かにせよ」
「あ、はい」
ようやく気付いたが、この愚物は後方部隊の者だ。右方や左方、そして前衛の精鋭から落ちこぼれた雑魚に過ぎない。殺すか殺さぬか一瞬だけ迷ったが、殺さないことに決めた。有って無いような戦力だが、使い道はある。
夜明けを前にしてバルクハルトが勝利し、シャオグイが撤退した。すべてを蝙蝠の目で見ていたが、彼女の追跡に割く時間も兵員も惜しい。
スピナマニスを連続で投擲し、最後の砲台を破壊した。
前線の魔物が一斉に駆動する。
北門の勢力はこれで終わりだ。後方のメフィストどもは静かにしている。機を窺っている風情だが、奴の奸計を探る時間は残されていない。
策は間違っていなかったと今でも考えている。レミントンの射撃は正確に砲台を破壊した。バルクハルトは人間側の猛者を討ち取った。本隊の損害は最小限。
諸侯の離反や撤退も問題視していない。グレキランス制圧後のおこぼれを授かる者が消えたのは却って喜ばしい。
「総員、進軍せよ。北門の残存勢力を殲滅する」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて
・『バルクハルト』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。全軍で唯一軍馬を用いる容貌魁偉な猛将。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『デボン男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。怪奇趣味の男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『強制転移箱』→対象をあらかじめ指定した場所まで転送する魔道具。戦争において夜会卿の各部隊長がひとつずつ所有している。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『脳兵』→夜会卿ヴラドの私兵。意識を持たず身体を動かすことも出来ず、しかし脳だけは生きている状態に改造された血族。ヴラドの使役する蝙蝠の魔物の得た情報を処理するためだけの存在。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『二重歩行者』→ヨハンの得意とする分身の魔術。影に入り込んで移動することが可能。詳しくは『12.「二重歩行者」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『スピナマニス』→アルマジロに似た魔物。家屋ほどの大きさの中型魔物。外殻には鋭いトゲが生えている。標的を見つけると身体を丸めて転がるように突進する。詳しくは『281.「毒食の理由 ~獣の片鱗~」』にて
・『レミントン』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。射撃王の異名を持つ弓の名手。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて




