1037.「頼んでもいないのに」
負傷したスピネルをうつ伏せにし、すぐさま治療がおこなわれたのは至極当然のことである。彼の背中を目にした竜人は一様に沈鬱な面持ちを浮かべ、いくつかの溜め息をこぼした。
夥しい数の傷。竜人の鱗は堅固だが、ヴラドの魔術はそれを上回っていたわけだ。とはいえ剣は貫通することなく、したがってわたしたちが新たな傷を負わなかったのは不幸中の幸いだろう。何人かの竜人が薬草を傷口に貼り付けつつ、誰にともなく呟いた。
「スピネルは臆病者だった。力もない。弁も立たない。樹海への出征もしなかった。しかし、我々は認識をあらためねばならん。彼の精神に崇高な勇気が宿っていると」
頷きが広がる。そこには竜人以外のものも混ざっていた。ベアトリス軍の血族も、煙宿の兵士も、味方を危機から救った事実を否定などしないようである。
地面に横たわる漆黒の鎧――ベアトリスの周囲には、彼の部下が侍っていた。見る限り、ラブロマンス至上主義者の使用人カイルはいない。戦力になりそうもないし、地下都市ヘイズに置いてきたのだろう。それはどうでもいいとして、今のベアトリスもある意味では痛ましい姿と言えるだろう。
『虚喰』は使用すればするほど、所有者の肉体を蝕むと聞いている。ヘイズで『虚の母』を討伐したのち、彼の身体は肩から下がすべて空洞だと当人が説明した。ベアトリスの兜は顔のほぼすべてを覆い隠しており、露出しているのは両目だけだが、片方が失われている。どこまで喪失したのかは分からないが、顔のほとんどが空洞化したのだろう。閉じた瞼の先に眼球が残っているかすら不明である。彼としては本気でヴラドを消そうとしたに違いない。
生きてはいるだろう。たぶん。厳密に言えば、生かされている。以前のベアトリスの言が真実ならば、鎧の内部では心臓も喪失していたはずだから。そうであっても生きていた以上、今彼は気絶しているだけだ。
左方へ向かった煙宿の兵士たちも、わたしたちより先に帰還している。もちろんそのなかにはアリスの姿もあったし、なぜかロットもいた。無論、全員が無事なわけではない。後方に帰還したのは約半数。そのなかには負傷者も大勢いる。
「ところで」スピネルの治療にあたっていた竜人が不意に立ち上がった。「サフィーロ様はどこに?」
穏やかとは言い難い目付きだ。
こういうとき、ふざけた返事をしてはいけない。それくらいは今のわたしにも分かる。ただ淡々と事実を述べるだけ。
ヨハンがなにか言おうとする前に、わたしは口を開いていた。
「ヴラドの持ってた箱に吸い込まれたわ。おそらく魔道具。破壊出来ないと判断して、撤退を選んだの」
竜人の顔がこわばる。全身から殺気を漲らせていた。こいつはサフィーロの信者かなにかなのだろう。
「サフィーロ様を奪還せず、尻尾を巻いて逃げ出したのだな?」
「わたしに尻尾はないわ、あなたと違って」
「愚弄しているのか!? 質問に答えろ! なぜサフィーロ様を見捨てた!」
「あの場では撤退が最優先事項だった。それだけよ」
「見捨てたことは否定せんのだな!?」
「どちらとも言えない。わたしはヴラドの魔道具について詳しく知ってるわけじゃないし、たとえ箱を奪ったとしてもサフィーロを出せるかどうか分からないわ。一刻を争う状況で箱を回収するリスクは冒せない。それに、本来はわたしが箱に吸い込まれるはずだったのよ。サフィーロがわたしを突き飛ばして、代わりに吸い込まれたの。頼んでもいないのに」
拳を握ってわたしへと踏み出した竜人を、ヨハンが手で制した。わたしと正対する彼の表情は冷え切っている。
鋭い打擲の音が夜闇に響いた。
大した痛みではない、ヨハンのビンタなんて。しかし謎だ。わたしは正しいことしか言ってないのに。ちゃんとコミュニケーションを取っているつもりなのだが、どうやらヨハンのお気に召さなったようだ。
「クロエ」
呼ばれて、おや、と思う。呼び捨てにするなんて珍しい。だからどうということもないが。襟を捻り上げられるのも同じ。普段のヨハンとは随分と印象が違う。だけど、なにも感じない。だって感情がないんだから。
「サフィーロさんはお前の身代わりになったんだ。『頼んでもいないのに』? 助けられた人間の言うことか!!」
ヨハンはわたしの感情喪失を知っている。だからこれは彼の演技だろう。おそらく。
なんとなく狙いは分かった。
「じゃあ、今からヴラドのところに行って回収してくればいいの? スピネルが――」
言いかけたところで、ヨハンの交信が耳に入った。
はじめから教えてくれればいいのに。わたしが口にすべき言葉も態度も、彼が指示すれば面倒は少ない。
わたしの襟を掴むヨハンの手首をなるべく壊さないように握り、叫んだ。
「じゃあどうすれば良かったって言うの!? わたしたち全員で必死になって戦っても勝てなかったのよ!? ようやく隙を突いて、でもほとんど猶予がなくて……わたしだってサフィーロを取り戻したいわよ!! でも……方法なんて……ぅ、うう……どうすればいいか分からなかった。ごめんなさい、サフィーロ。本当に……わたしなんかのために……身代わりになってくれるなんて……」
途中からは顔を覆っての泣き真似だ。涙を自由に出せるほど器用じゃないから。でも涙声くらいは作れる。
ヨハンがやっているのはヘイズに竜人たちを転移させたとき、サフィーロが採った態度と同じだ。怒りを代弁し、いくらかでも竜人たちの気を鎮める方法。
ヨハンが襟から手を離し、わたしは大袈裟に崩れ落ちて見せた。
「……サフィーロさんは貴女を庇ったんです。彼の名誉を決して傷付けないでください。次、思い上がったことを吐くようなら許しません」
言って、ヨハンは竜人へと向き直った。
「クロエお嬢さんの非礼をお詫びいたします。無論、私もその場に居合わせたのですから、責任があるのは承知しておりますよ。彼を助けることが出来なかったのは事実です。しかし、今ヴラドに接近するのは彼の行為を無にしかねません。……失礼ですが、貴方は『霊山』での族長決定の闘技に参加しておられましたか?」
水を向けられた竜人は重々しく頷いた。
「では、あの場で誰ひとりクロエお嬢さんに勝てなかったのはご承知ですね。今のお嬢さんはあのとき以上に強くなっております。それでもヴラドに一撃も与えられなかったんですよ。悔しい限りですが、格が違う」
「……では、我々が出征したのは無駄だったと?」
「いいえ。お陰様でヴラドの目を潰せました。我々の頭上に広がっている蝙蝠の魔物はヴラドと視覚を繋いでおりますが、人道的とは言い難い方法で維持された代物です」
「どんな方法だ」
「人体の多くの部位を切断し、目も鼻も口も潰し、生きているだけの状態にした血族たちを寄せ集めて、蝙蝠から得る視覚情報を処理させていたんですよ」
ざわめきが広がる。わたしも初耳だが、言うまでもなく驚きはない。同情もしない。そんなこととは別に、ヨハンは話を擦り替えるのが上手いな、とだけ感じた。
彼はひとくさりヴラドの冷血さを説き、竜人の質問に次々と答えていき、サフィーロの問題は結局のところなあなあになった。彼らとしても、わたしが勝てなかった相手に挑みかかるのは無謀と感じたのだろう。妥当だ。何千体の竜人がいようともヴラドひとりに勝てるとは思えない。
座り込んだわたしの頭が雑に撫でられた。なにかと思って見上げると、アリスだ。
「お疲れ、お嬢ちゃん」
「別に疲れてないわ」
「だろうね。それでヨハン。収穫はあったのかい?」
「ええ。先ほど竜人の皆さんに語った通り、ヴラドの目を潰しました」
悠然と語るヨハンを、アリスが睨んだ。
「それだけじゃないだろう?」
「あとは……少し会話をしたくらいですね」
「へえ。どんな話なんだい?」
「あまり愉快ではない話ですよ。まあ、気にしないでください。得られた情報を然るべき人間に伝えただけでさあ」
誰だろう。また例の交信魔術――耳打ちでもしたんだろうか。
わたしの疑問を悟ったのか、ヨハンはボロボロの鞄を軽く叩いた。
「お嬢さん。『最果て』でリッチを倒したときのことを覚えてますか?」
頷く。
それで満足したのか、ヨハンはなにも言わなかった。アリスは怪訝な顔でヨハンに詰め寄ってあれこれ聞き出そうとしていたが、無駄だ。彼は話さないと決めたら徹底的にはぐらかす。
わたしとしては興味ないが、ヨハンがなにをしたのかは分かった。
メイド人形ハルと組んでリッチを倒した夜。ヨハンの鞄を経由してわたしの言葉を聞いていた人物がいる。アカツキ盗賊団の団長、ミイナだ。つまり、ヨハンの鞄は声を届ける魔道具と見做せる。
ヴラドの話した事柄は、オブライエンへの執着だ。それを誰に聞かせたのかは知らないし、教えてくれないだろう。そもそも知ったところで益もない。
わたしの関心は常にニコルだ。戦争の推移に直結した問題でもある。ゆえに、無駄な問答を続けるアリスを遮ってヨハンに訊ねた。
「ヨハン。これからどうするの?」
「しばし待機です。私も随分消耗してしまいましたから」
ヨハンの足に目を移す。包帯をぎゅうぎゅうに巻いている。雑な処置だ。
「そのあとは?」
「戦いますよ。人間のために」
それならいい。誰のためであってもかまわない。もっとも加熱している戦場から離れなければ、いずれ遭遇するはずだから。
わたしが殺すべき相手――ニコルに。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『カイル』→ベアトリスの召使い。ロマンスに目がない。彼自身、どうやらラブロマンスをこっそり執筆しているらしい。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『虚喰』→無形の靄を自在に操る『貴品』。鎧と剣とでセットになっており、能力を使えば使うほど、鎧内の使用者の肉体を空洞化させるデメリットがある。詳しくは『926.「系譜は虚ろに終わりゆく」』にて
・『虚の母』→ヘイズの集合墓地に存在した怪物。四つ脚の獣の背に、血族の女性の上半身が生えた形態をしている。生者を丸呑みにし、歩くだけの存在である亡者へと変える。クロエとベアトリスによって討伐済み。詳しくは『915.「虚の母」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。戦争において元騎士見習いたちともに、縫合伯爵ルドラの長女ラニを追い詰めた。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『最果て』→グレキランスの南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『リッチ』→呪術を使う魔物。ゾンビを使役する。詳しくは『16.「深い夜の中心で」』にて
・『ヨハンの鞄本体』→交信魔術の施された鞄。詳しくは『17.「夜明け前~ハルと死霊術師~」』にて
・『ハル』→ネロの死霊術によって蘇った少女。メイド人形を演じている。元々はアカツキ盗賊団に所属。生前の名前はアイシャ。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『アカツキ盗賊団』→孤児ばかりを集めた盗賊団。タソガレ盗賊団とは縄張りをめぐって敵対関係にあった。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ミイナ』→アカツキ盗賊団のリーダー。詳しくは『第二話「アカツキ盗賊団」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて




