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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」
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1036.「世界への奉仕」

 ヨハンが口にした二度目の撤退指示。それに逆らう気はなかった。ドームが瓦解(がかい)し、硬直するヴラドは絶好の(まと)だけど、わたしの気持ちはもう冷めている。ヴラドを無力化したのはまず間違いなくヨハンだ。


 どうせなら無力化したあとにベアトリスの攻撃を打ち込むよう指示すればよかったのにと思わないでもないが、考えあってのことだろう。


 すぐさま(きびす)を返して撤退への一歩を踏み出したところで、(えり)を掴まれた。油断してたわけではない。相手の行動が速すぎたのだ。まあ、わたしにも瑕疵(かし)があったのは認めよう。たとえ忘我状態にあろうと、敵の手の届く範囲で背を向けてしまったのは失態だ。


 その直後に起こった事態は理解がおよばない。サフィーロに突き飛ばされ、倒れゆく視界のなかで彼の姿が消え去った。ヴラドの手にした小箱に吸い込まれたのである。


 尻もちを突いたわたしの頭にはなんの想念も浮かばなかった。サフィーロの行為の意味も不明。吸い込まれる直前、彼が最後に見せた表情も謎だ。目を(すが)め、鼻息ひとつ。それだけなら不快を示している。しかし口角はやや持ち上がっていた。本意ではないが不快でもない、そんな印象。


 サフィーロはわたしを嫌悪し、失望していたはず。なのになぜ、身代わりになるような真似をしたのだろう。分からない。分からないことに思考を()くのは馬鹿馬鹿しい。


 わたしはさっさと立ち上がり、ヴラドから離れてヨハンのところまで駆けた。


「お嬢さん。マヤさんとベアトリスさんを運べますか?」


 やけに真面目な顔と声でヨハンが言う。たぶん問題ないだろう。まずはマヤのところまで行って左肩に背負い、次にベアトリスを右肩に乗せた。前者は大した負担ではないが、ベアトリスは重い。それに、両肩に背負った二人が落ちないように腕で支えているので、自由なのは足だけだ。


 二人を背負うや(いな)や、ヨハンの声が飛ぶ。


「そのまま後方まで撤退してください」


 無茶な注文である。北門へと続く前方以外、血族の包囲網が敷かれているのは気配で分かった。煙宿の援軍およびベアトリス軍の血族と竜人の気配はすでにない。一度目の撤退指示で戦場を離れたのだろう。中央部隊の血族は逃げる獲物を追うことなく、淡々とドームを遠巻きに包囲したのだ。十中八九ヴラドの指示。前もって命令していたわけだ。掌中(しょうちゅう)に飛び込んできた獲物を決して取り逃がさないように。


 サフィーロがいれば逃げられたろう。しかし蒼の翼はもういない。あの小箱が破壊不可能な代物であることくらい一目で分かった。


 ヨハンのもとへと駆け、背を向けて(かが)む。両足の骨と筋肉が痛みを訴えているが、問題なかろう。


「早く掴まって」


 言わずとも分かっているだろうけど。


 ヨハンは今、まともに歩ける状態ではない。立っているのも苦しいはずだ。蝙蝠(こうもり)に撃ち抜かれた足で包囲網を突破するのは不可能。ゆえに彼も背負う必要がある。ヨハンの体重なんてあって無いようなものだ。


 それなのに――。


「私は転移魔術で移動しますよ。なので、お嬢さんは頑張って逃げてください」


 嘘だ。彼の魔力は尽きかけている。そんな状態で転移魔術を使えるわけがない。


「早く掴まって」


 ここでヨハンを失ったら困る。ニコルと魔王へ至る道に立ちふさがる厄介な知恵者に対抗する手段がなくなるから。


「……私が殺されることはありません。ヴラド当人はもちろん、彼の配下の者は私を殺してはならない決まりなんです。なに、また会えま――」


 ヨハンの言葉の途中で、ヴラドの魔術が発現した。剣を()した魔術。わたしを狙った一撃。


 なぜ、と思った。


 なぜヨハンはわたしを(かば)うのか。回避は叶わずとも、致命傷を避けるくらい造作もない。すぐに回復するし、ヨハンの指示通り、この場を脱出することだって出来なくもないのだ。剣を身に受けようと受けまいと動きに違いは出ない。一方でヨハンは別だ。わたしのような異常な治癒力は持っていない。傷は傷のまま彼を損なう。なのに、どうして両手を広げて前に立ち、そんな顔をするのか。目を細めて、眉尻を下げて、口は柔らかく()んでいて。


 剣が突き刺さる刹那、頭上を大きな影がよぎり、ヨハンの後方に着地する過程で剣を叩き壊した。薄黄色の鱗が夜の微光を吸い込んで、(はかな)(きら)めいている。


「スピネル……」


 まだ傷が癒えていない彼が、途轍(とてつ)もなく臆病な彼が、どうしてここに来たのか。


 振り返ったヨハンが頓狂(とんきょう)な声を上げる。彼が指示したことではないらしい。


 スピネルは無言でわたしたちを両腕に抱えると、即座に飛行を開始した。後方への滑空。お世辞にも速いとは言えないが、これが今の彼にとって全速力なのだろう。速度が上がっては下がるのは、痛みのせいだ。まだ癒えていない傷のそれではなく、新たに受け続けている傷。


 どうやらヴラドの執念は常軌(じょうき)(いっ)しているらしい。逃避するわたしたちへと次々に魔術を放っている。いずれも剣のかたちだ。それなのに彼自身は中央から一歩も動いていないあたり、無意識に追撃しているのだろう。スピネルはいくつもの剣を受け、そのたびに(うめ)きを上げる。見上げると、食いしばった歯が映った。目はひとつところへ向けられている。わたしたちが待機し続けた場所。


「至高の……星」


 喋る元気なんてないはずなのに、スピネルの口から言葉が漏れた。


 至高の星。


 竜人の住処である『霊山』を再訪したわたしを、スピネルはそう呼んだ。『霊山』の外からやってきて、竜人を含めた世界全部を良くする存在。至高の星に対する行為は、世界全体への行為にほかならないのだと彼は熱弁していた。


 臆病で日和見(ひよりみ)主義なスピネルは、戦時中、わたしの翼であり続けた。今この瞬間もそうだ。


 スピネルの信仰する至高の星とやらは、わたしにとってどうでもいい。すべての信仰は――ユグドラシルだとか天国だとか地獄だとか、今のわたしにとって関心のあるものではないのだ。感情を持たず、合理性を第一とし、最終目標のためならほかのなにがどうなろうと一切かまわないわたしにとって、至高の星と妄言(もうげん)とは差異がない。


 至高の星の定義において、スピネルはその身を犠牲にして世界全部を救おうとしている。臆病者がここまで勇敢になれるのなら、信仰もそう悪いものではないのかもしれない。別段興味はないし、今のわたしがなにかを盲信するなんて不可能だが。


 後方の人員が視界に入る頃には、ヴラドの追撃はやんでいた。翼に深刻な傷を負わなかったのは運に過ぎない。もしヴラドが正気だったなら、まず間違いなく機動力の核である翼を撃ち抜いたはずだろう。


 後方の部隊員――煙宿の兵士、ベアトリス軍の血族、そして竜人――まであと十数メートルのところで、視界が反転した。スピネルが仰向(あおむ)けになったのである。


 合理的だ。速度の制御が出来ないほど消耗し、なおかつ腕に抱いた者を傷付けまいとするなら、我が身をクッションにするほかない。


 地を何度か跳ね、擦過音(さっかおん)が耳に入る。やがて停止すると同時にスピネルは脱力した。仰向いた視界には夜空が広がっている。いくつもの星がまたたき、黒の天蓋(てんがい)を彩っていた。


 身を起こし、大地を踏みしめたわたしの目に入ったのはナルシスである。彼は滂沱(ぼうだ)の涙を流し、スピネルを見つめていた。


 なるほど。大体分かった。


 ナルシスの両目に魔力の残滓(ざんし)がある。なんらかの魔術――おそらくは望遠のための魔術『拡大鏡(コグニシオン)』を目のサイズまで縮小させたもの――でわたしたちの状況を逐一(ちくいち)把握し、それを平素(へいそ)のごとく縷々(るる)垂れ流していたのだろう。ドームが破壊された瞬間には、トップスピードでスピネルが飛び出したわけだ。きっとナルシスの指示ではない。彼は破滅的な戦略を良しとしないはずだ。わたしの知る限りでは。


 スピネルは自分の判断で、一切をやってのけたのだ。


「ありがとう、スピネル。本当に助かったわ」


 もしかしたらまだ耳が機能しているかもしれないから、そう言ってみた。わたしに心がないと知っても、いつだって演技の(ねぎら)いに喜んでいたから。


 返る反応はなかった。まだ心臓が動いているのは知っている。気を失ってなお聴覚が機能しているのなら、覚醒した彼は喜ぶかもしれない。これまでみたいに。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。



・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて


・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて


・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて


・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて


・『煙宿(けむりやど)』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『転移魔術』→物体を一定距離、移動させる魔術。術者の能力によって距離や精度は変化するものの、おおむね数メートルから数百メートル程度。人間を移動させるのは困難だが、不可能ではない。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて


・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて


・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『ユグドラシル』→ラガニア地方に伝わる伝説上の大樹。また、大樹ユグドラシルを中心として広がる空想上の国を指す。その国では、あらゆる種が平穏に共生している。『幕間.「魔王の城~書斎~」』『862.「ユグドラシル」』参照


・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて


・『拡大鏡(コグニシオン)』→空間の一部に魔力のレンズを展開し、遠方を見通す魔術。詳しくは『306.「拡大鏡」』にて

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