1035.「絶対的強者」
平然と椅子に座したヴラドを眺め、そういえば、と思い出す。ヨハンは、ヴラドの身体は特殊みたいなことを言ってたっけ。詳しく聞かなかったわたしも悪いけど、事前に教えるべきだったんじゃないの? まあ、知ったところで戦うという選択は変わらなかっただろうけど。ヴラドの肉体の性質を知っていたヨハンでさえ足に一撃受けたんだから、今頃後悔してるかも。ちゃんと教えておけばよかったって。
死なない。
無尽蔵の魔力を持つ。
攻撃されたら自動的に反撃する。
まったくもって滅茶苦茶な存在だ。こんな奴を数十回も殺したニコルはもっと異様だけど。
相手が強いのは好ましい。心が弾む。でも、戦い方は考えないといけない。サフィーロやマヤ、ベアトリスが死んでも困らないけど、ヨハンは別だ。ここで死なれたら目的達成への道のりが遠のくだろう。それに、わたしじゃどうにも出来ない敵――たとえば洗脳魔術や幻覚の使い手はいつだってヨハンが排除してくれた。ヨハン以上の知略を持つ味方を用意するのは無理だろうし、そもそも冷静沈着で無感情なわたしが誰かを説得出来る可能性は限りなくゼロに近い。
さて、どうしよう。反撃されないようにする方法はいくつか思いつく。
雷でヴラドを焼き払う、のは駄目だ。それだけの出力の雷は自分の身も焼いてしまう。その状態で彼の防御を突破するだけの速度は実現不可能。
ヴラドを氷漬けにする、のも無し。凍結させるには接近して刃を振るう必要があるけれど、防御に阻まれていては冷気が届かない。風の力と組み合わせて防御を展開する速度を上回り、なおかつ彼の身体を斬らないのは可能だが、凍結までに時間がかかり過ぎる。ヴラドが凍るまでの間に腕が千切れるだろう。
痛みだけを与える炎の刃と氷の力を併用するのは、そもそも矛盾している。
「諦めがついたなら降伏するといい。命は奪わん」
粛然とヴラドが言う。
「降伏したらどうなるのかしら?」
「オークションに出す」
ふぅん。でもそれ、無理なんじゃないの?
身につけた――厳密に言うとルーカスに身につけさせられた――首輪を指で示す。
「この首輪、見えてるでしょ? わたしの出品者は決まってるんだけど」
わたしをオークションに出す権利はルーカスにしかない。
「それはルーカスのつけた首輪だろう? 彼とは約定を交わしている。お前はなんら問題なく私の名で出品される」
「へえ。どんな約束なの?」
「戦勝したあかつきには一切を私に献上する契約だ。お前の存在も例外ではない」
「でも、わたしが出品されるかどうかはわたし自身の意思で決める約束をしてあるんだけど」
「それはお前とルーカスの間で交わされたものだ。私には関係がない」
それはズルいでしょ、と思ったけど、そもそもオークションの主催はヴラドなのだから越権云々は彼の心ひとつだ。
わたしは今、半分冷静で半分恍惚としている。つまり戦意を失っていないが、同時に合理性を有した状態にあった。ゆえに、無駄話などしない。
「出品してもいいけど、条件があるわ」
「……今の自分の立場を分かって言ってるのか?」
「分かってるわよ。とりあえず、聞くだけ聞いて」
ヴラドは足を組み直し、無言で手のひらを差し出した。さっさと言え、と。
「ニコルは戦場にいるんでしょ? 彼を殺してからなら、オークションに出てあげてもいいわ」
ニコルを殺さないうちに戦場を去るなんてありえない。
「二重の意味でナンセンスだ。却下する」
「理由を教えて」
我ながらしつこいと思う。でもヴラドは顔色を変えない。内心では面倒だと思っているだろうに。こういうところが彼の処世術であり、律儀さなのか。
「まず一点目として、私はニコルと友好的な関係を築いている。彼を殺すと宣うお前を自由にするのは礼儀に反する行為だ」
「いつ友達になったの?」
「友達ではない。友好的であるだけだ。二点目だが――」
「待って。友達じゃないけど友好的ってどういうこと?」
あ、舌打ちした。相当苛々してるんだろうな。まあ、分からないでもない。
「私はラガニア領の公爵であり、ニコルは首都ラガニアの実権を握っている。王女と結婚したのだからな。公爵としての立場上、礼儀に基づいた穏やかな関係を結んでいる。友達などと軽々しく呼ぶべきものではない」
「でも――」
「二点目は――」
「待って、友達の話が済んでない!」
「済んだ。もう述べるべきことはない。お前の理解がおよばぬと言うなら、おいおい説明してやる。今はひとの話を遮ら――」
「あなたも遮ったじゃない。失礼ね」
ヴラドが深く息を吐き、目を閉じる。先に話を遮ったのは貴様だ、と言いたいのを我慢しているのが手に取るように分かった。ごもっともだ。
目を閉じても全員の動きは把握しているに違いない。それでも瞑目しているのは、彼にとって視覚は大して重要ではないからだ。
まず動き出したのはわたしだ。ヴラドに向けて一直線に駆けている。わたしの出せる最大速度で。
次に、ヨハン。彼は足を引きずりながらヴラドへと歩みつつ手をかざし、魔力を集中させている。
そしてベアトリス。柄だけの武器――貴品『虚喰』を引き、いつでも無形の靄を出力できる状態にある。
最後に、サフィーロがヴラドへと駆けているが、彼がなぜ走っているのか謎だ。彼の存在は計画に含まれていない。わたしが動いたから同じく行動したのだろう。
ヨハンの交信魔術――耳打ちによるものだ。気絶しているマヤと、戦略上不要なサフィーロは度外視して、ヴラドを殺すための作戦が共有されている。
ヨハンが放った魔術が真横を通り過ぎ、一路ヴラドへと向かった。こぶし大の火球。一見すると炎の魔球だが、そうでないことは分かっている。落日の雫の塊だ。しかも、限界まで練度を上げた代物であるのは一目で分かる。
落日の雫の塊は、ヴラドに直撃する寸前で防御壁に阻まれて弾けるのが見えた。これまでのピンポイントの防御とは違い、彼の全身よりもひと回り大きいサイズの黒い壁。しかも緩やかにカーブを描いている。明らかに過剰なのは、直後に訪れる壊滅的な攻撃を予期してのことだろう。
煙幕が晴れてから、ベアトリスは一度もヴラドを攻撃していない。そのことには気付いていたし、理由も察していた。ヨハンも見通していたはずだ。ゆえに、作戦に組み込んだわけである。
ベアトリスが治める地下都市ヘイズ。そこで戦った異形の怪物『虚の母』。それを撃退するために、彼は『虚喰』の攻撃を充填させるのに三十秒の時間を要した。
煙幕が晴れて以降、すでに大幅な時間が経過している。ヴラドを消し炭にするだけの準備を終えるまで、充分な時間を稼いだわけだ。わたしの無駄話も含めて。
ヨハンの落日の雫が防御壁で弾けた直後、照り輝く黒の光線がわたしの横を過ぎ、防御壁ごとヴラドを呑み込んだ。
光線の放射が終わると同時に、わたしはヴラドの核を凍結させて奴の再生を阻む――はずだった。
光線が消えたのちに残ったものは、右腕が肩の部分までごっそり削げ落ちたヴラドの姿である。喪失した部位からあぶくが弾け、蝙蝠の弾丸が放たれた。そのうちいくつかはわたしが斬り伏せたものの――。
後方でベアトリスとヨハンの呻きが鳴る。サフィーロも傷を負ったようだ。幸いマヤの方角に弾丸が飛ぶことはなかった。
ヴラド討伐において、これ以上の作戦はなかったはずである。必ずや展開される防御壁をヨハンが落日の雫で弱体化させ、ベアトリスの光線でヴラドもろとも消し飛ばす。核まで消滅するかは賭けだったが、わたしのサーベルに宿った氷の力を使えば、仮に核が残存しても封殺出来る。
たぶん、ヴラドはすべて読み切っていたんだろう。曲線状の防御壁は、ベアトリスの光線を防ぐのではなく逸らすためだ。ヨハンの落日の雫が充分に効力を発揮してくれればそれでもヴラドを消せる見込みだったが、壁を溶かすには至らなかったのだろう。ヴラドが椅子から立ち上がり、半歩ほど移動していたのも痛手だ。
「本来であれば」とヴラドは淡々と言う。「受ける必要のない攻撃だった。ただ、貴様らの努力に免じて右半身をくれてやった。結果的に腕しか消せなかったのは、メフィスト、貴様の魔術が弱かったからだ。随分絶望的な顔をしてるじゃないか、メフィスト」
ちらと振り返ると、ヨハンは膝を突き、肩を上下させ、ヴラドを睨んでいる。
ベアトリスは地に伏していた。『虚喰』の力を使い過ぎたのか、あるいは弾丸状の蝙蝠の打撃で失神したのか。
終わりだ。
ヨハンを犠牲にせずヴラドを討つことは出来ない。最高速度の斬撃で、蝙蝠の反撃を承知で滅多切りにしよう。
「なにやら小細工をしたようだが、私には通用しない。お前の仕掛けた罠はすべて――」
わたしが一歩踏み出した直後のことである。
ヴラドの言葉が途絶え、両目の光が消え、硬質な破砕音が鳴り響いた。
わたしたちを閉じ込めていたドームが崩壊したのである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。ハルピュイアを使役する権能を有し、特殊な個体である赤髪のハルピュイアとは独自な契約関係にある。マゾヒスト。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『虚喰』→無形の靄を自在に操る『貴品』。鎧と剣とでセットになっており、能力を使えば使うほど、鎧内の使用者の肉体を空洞化させるデメリットがある。詳しくは『926.「系譜は虚ろに終わりゆく」』にて
・『落日の雫』→魔術を溶かす火の雨を降らせる魔術。ヨハンが独自に編み出した。詳しくは『369.「落日の雫」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『虚の母』→ヘイズの集合墓地に存在した怪物。四つ脚の獣の背に、血族の女性の上半身が生えた形態をしている。生者を丸呑みにし、歩くだけの存在である亡者へと変える。クロエとベアトリスによって討伐済み。詳しくは『915.「虚の母」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』




