1033.「無限の魔力」
不意に黒煙が晴れ、ヴラドの姿が露わになる。身体のどこも損傷しておらず、冷然とした無表情だった。彼の座した椅子さえ無傷。
それも当然で、わたしたちの攻撃はただの一撃も彼の防御魔術を突破出来なかったのである。マヤの雷撃も、ベアトリスが我が身を削って放った攻撃も、サフィーロの爪も。わたしのサーベル――痛みだけを与える炎の刃はヴラドの身を裂いたが、防御に乱れはなかった。
どうも理屈が合わない。わたしたちの攻撃が通用するか否かの話ではなく、ヴラドの魔術が妙なのだ。すべての魔術は例外なく術者の魔力に依存し、消費すればするほど粗く脆くなっていく。そして最後には枯渇する。ヴラドにはその兆候がまったくなかった。痩せ我慢をしているわけではなかろう。高硬度の防御を連続して使い続けるのはそれなりに負荷がかかる。サフィーロの爪が好例だが、最低限の防御で済むはずなのに、それに対しても一律で最上級の防御を行使しているようだった。
死なないから無限に魔力を消費出来る、なんて仮説はナンセンスである。どのような存在であれ魔力は有限だ。
キマイラたちは黒煙のなかで戦闘をおこなっている間に、鬱陶しくなってわたしが斬り飛ばした。数体ほどだが。残りは共闘している三人の誰かが討ったに違いない。この場にいるキマイラは一体だけ。ヨハンが器用に戦っている奴のみ。
振り返ると、ヨハンはなぜか傷だらけだった。服も汚れているし、常に身体のどこかを庇うように戦っている。彼は彼で、らしくない戦闘をしたに違いない。相手はおそらくヴラドの側近エール。この場にその姿がない以上、ヨハンが始末したわけだ。
キマイラへと疾駆し、首と両の前脚を切断する。魔物は蠕動ののち、霧散した。
「いやはや、助かりましたよ。私ごときじゃキマイラ一体さえ倒せません。しかも、ご覧の通り手傷を負っているのでなおさらです」
「嘘つき」
普段のわたしなら発さない言葉が口から流れる。煙幕が晴れた以上、繊細な集中力は必要ない。したがって、わたしは恍惚状態に入りつつあった。
「嘘じゃありませんよ。どうもありがとうございます」
「それじゃ、わたしはヴラドの相手をしてくるから」
踵を返しかけたところで、「それなんですが」とヨハンが引き止める。「もう戦わなくていいですよ。用事は済んだので」
彼の用事がなんであれ、わたしには関係ない。それにヨハンの口調もへらついているから、従わなくとも怒らないだろう。
「やだ」
わたしがヴラドへと足を向けたところで、脳内に声が響いた。
『煙宿援軍ならびに共闘者に告ぐ! 総員撤退せよ!! これは絶対命令だ!!』
ナルシスの交信だ。おおかたヨハンが指示した台詞だろう。確実に傍受されるのに。
途端に視界が一変した。ヴラドから半径五十メートルの範囲がドーム状の黒い壁に覆われたのである。
「凡百の兵はともかく、貴様らを逃がすわけがなかろう」
ヴラドとしては妥当な戦略だ。自分に刃を向けた相手を野放しにするわけがない。
このドームは、わたしには破壊出来ない。ヴラドが展開していた防御魔術と同質のものだ。試し斬りしなくとも分かる。
だから、恍惚の導くままにヴラドへと歩んだ。マヤもサフィーロもベアトリスも、ヴラドからやや距離を置いた地点で彼を見据えている。考えることは皆同じというわけだ。
「あまり無茶しないでくださいね」とヨハンが本気なのか不明なことを言い放つ。
ただ、きっちり釘を刺された。
『夜会卿は不死身です。こちら側の勝利は決してありません。なので、次に撤退指示を送った際には必ず逃げてください。退路は確保しますので』
ヨハンの交信魔術。耳元で囁くそれは、いつものごとく吐息混じりだ。わたしだけでなく、この空間に閉じ込められた全員に対して同じ指示を下したのだろう。口調は打って変わって真剣そのもの。破ったら怒るに違いない。
筋は通っている。不死者と戦ったところで勝つのは不可能。異能を破る手段でもなければ。
もちろん、わたしに画期的なアイデアはないし、この場のほぼ全員がヴラドを葬る方法なんて持ち合わせていないはず。
たったひとりを除いて。
ベアトリスの貴品『虚喰』。その最大出力であれば、ヴラドの核を消し飛ばせる可能性はある。試してみなければ分からないけど。
まあ、なんだっていいや。わたしが気持ち良くなれればなんでもいい。
気分が昂ぶって昂ぶって、気が付いたらヴラドに斬りかかっていた。誰よりも早く。
案の定、真っ黒な防御魔術を展開されたけど、わたしの刃はそれを擦り抜ける。
痛みだけ与える炎の斬撃。僅かな時間で合計五回、ヴラドを斬りつけた。我ながら結構いい感じの速度で斬ったのに、五回とも無意味な防御をピンポイントで展開するあたり、すごく優秀で用心深い。
「痛くないの?」
ついつい訊いちゃった。だって、あまりにも無反応だから。
ヴラドはちっとも顔色を変えなくて、でもちゃんと返事をしてくれる。マヤの放つ雷撃やサフィーロの爪を防ぎつつ。
「痛覚はあるが、痛みなどとうの昔に超克している」
「ふぅん」
痛みは生命のシグナルだ。ヴラドはそれを保っているけど、ありのままの痛みを感じられなくなってる。それって、生きてる状態からも遠ざかってるってことじゃない? いつだったかヨハンは彼のことを『死に嫌われてる』なんて言ってたっけ。ヴラドの言葉が嘘じゃなければ、生にも嫌われてるんじゃないのかな。
なんか可哀想だなって思う。千年生きると、みんなこんなふうになるのかな。あ、でも魔王はそうじゃなかった。あいつはすごく感情的。一回しか会ってないけど。
そんなアレコレを考えつつも、わたしは種々雑多な攻撃を試みている。氷を生成して刃を変形させたり、雷をまとわせたり、少し後退して風の刃を放ったり、また接近して刃の冷気で凍らせてみたり。それらを組み合わせてみたり。
駄目。全然通用しない。まるで全部の攻撃がお見通しみたいに防御壁で阻まれる。ちょっとムカつくのは、いまだに彼が座ったままということ。防御しかしてないし、なんなの?
それならこっちにも考えがある。椅子ごと壊してやればいい。
後退し、両手でサーベルを握り直し、切っ先を天に掲げる。
「雷神誅撃」
野太い雷が天へと迸り、わたしの身体も雷に包まれた。
ココ特製の服がなければ、今頃わたしは丸裸になってたと思う。別にそれでもいいけど。
天を突く雷を一気に振り下ろす。標的はもちろんヴラド。
もうすぐ彼の脳天に直撃といったところで、刃を阻まれた。すぐ目の前に漆黒の壁があって、それ以上サーベルが進んでくれない。雷はサーベルに沿って放出されるから、当然ヴラドに届きはしなかった。
ムカつくけど、認めなきゃいけない。
ヴラドは一切無駄がない。雷を防ぐだけなら、半球状の防御壁を自分の周りに展開させる方法もあったはず。でも彼は採用しなかった。なぜって、壁のぶんだけ視界が制限されるから。自分の視野を確保しつつ対処するなら、わたしの前に壁を出すのがベスト。
賢くて、隙がなくて、すごく冷静。
敵が強ければ強いほど昂ぶるのに、今はちょっと気分が悪い。ううん、ちょっとじゃなくて、かなり。
理由はひとつ。
「ねえ、ヴラド。なんで攻撃しないの?」
雷を解除すると同時に壁が消えて、相変わらず椅子に腰かけたヴラドと目が合った。
「貴様らが疲れ果てるのを待っているだけだ。そのうち限界が来るのだから、あえていたぶる必要もない」
「でもあなただって消耗するでしょ?」
至極当たり前のことなのに、ヴラドは淡々と告げた。
「私の魔力は枯渇しない。血液をリソースにしているからだ」
そっか。
腑に落ちた。
だからヴラドは、たかが防御ひとつにもこんなに魔力を籠められるんだ。
彼は死なない。失血死なんてありえないから、こんなにも贅沢に魔力を使い続けられる。常に最大級の魔術を連発出来る。
それを聞いて、ちょっとだけ嬉しくなった。
だって、同じだから。異常な治癒力で永遠に戦えるわたしと。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『虚喰』→無形の靄を自在に操る『貴品』。鎧と剣とでセットになっており、能力を使えば使うほど、鎧内の使用者の肉体を空洞化させるデメリットがある。詳しくは『926.「系譜は虚ろに終わりゆく」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。戦時下の煙宿において大活躍を見せた。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて




