1032.「千年の魔術師」
オブライエンの所業は一国を滅ぼしたと言える。人間を人間ならざる者に変え、国家としての機能を失わせたのだから。結果的に『黒の血族』と呼ばれるレアケースが人間に近い在り方で残存し、数を増やしていった。魔物という災禍が生まれたのも、血族の発生と同一の事件によるものである。魔物はグレキランス地方まで流れ込み、ハルキゲニア地方も侵食した。その意味において、オブライエンは世界の姿を書き換えたとも捉えられよう。
夜会卿ヴラドは当事者だ。魔王と同じく、千年のときを過ごしている。ほかの血族が寿命などで死ぬのと違って、千年経った今も被害の当事者なのだ。オブライエンの悪事を歴史上のものとして処理出来る一般の血族とは異なる。いまだに恨みを抱えていてもなんら不思議ではなかろう。オブライエンの末裔が生きているのなら、必ずや復讐を遂げたい執着心は理解出来る。
しかしながら、ヨハンはなぜオブライエン当人が生きていると言わず、『オブライエンの系譜に連なる者』なんて表現したのだろう。言葉としては嘘ではないが。
「随分とご執心ですね」
ヨハンが軽い口調で言う。
「当然だ。奴がラガニアにおよぼした害は甚大だ。死さえ生温いほどに。……奴の後継者は、奴以上に狡猾で強いのか?」
「未満、ということはないでしょう」
千年前のオブライエンと現在のオブライエンは比較にならないだろうに。魔術を極め、人間を超える兵器を量産するくらいだ。かつてのグレキランス独立時とはレベルが違う。
顎に手を添えて黙り込んだヴラドに、ヨハンが投げかける。「怖気づきましたか?」
サーベルの柄を握る。ヴラドの目付きが急激に鋭くなり、殺気に近い雰囲気を感じたからだ。しかし、荒事は起こらなかった。漏れ出た殺気もすぐさま消えていく。
「我々は充分な備えでグレキランスを攻撃している。誰が相手であろうと後れを取らない。私は獲物を侮るような狩人ではないからな」
「確かに、人間に勝ち目はありませんね。この軍勢が相手では」
わたしにはヨハンの言葉の真贋は見抜けない。真偽師さえ欺いた男だ。ヴラドも、エールとかいう側近も、真実か否か分からないのではなかろうか。
ヴラドは続けて問いかける。
「砲台と白銀猟兵以外に兵器はあるのか?」
「さあ。知りません。そもそも砲台や白銀猟兵の実態さえ、私たちは関知しておりませんので」
しばしの沈黙が流れる。
ヨハンの言葉に嘘はない。わたしも彼も、白銀猟兵についてまったく知らなかった。
「ところで」とヨハンが人差し指を立てる。「こちらばかり質問に答えておりますが、どうもアンフェアですね」
「ならば貴様も問えばいい」
「では、お言葉に甘えて」
ひと呼吸置いて、ヨハンは不敵に笑んだ。
「今すぐ停戦しましょう。北門は即座に開けます。もちろん停戦ですので、人間に危害を加えるのは無し。貴方が危害を加えて良いのはオブライエンの係累のみ。双方にとって利のある提案ですよ。貴方は人間の邪魔立てなく獲物を狙えるのですから。こちらとしても、これ以上血が流れるのは望ましくない」
馬鹿げたアイデアだ。案の定ヴラドは「拒否する」と即答した。
血族がグレキランスに侵攻したのはオブライエンの首を狙ってのことではない。各貴族に別個の目的があるにせよ、どれも侵略や収奪を思い描いているはずだ。ルドラがそうだったように。ユランは稀有な例外である。
肩を竦めるヨハンに対し、ヴラドは関心なさげに視線を移した。ベアトリスへと。
「ベアトリス卿。貴殿をここに呼んだ理由は察しているか?」
「いえ」
「貴殿らの行動はすべて天上の目を通じて把握している。人間どもに囲まれて剣を打ち合わせていたようだが、誰ひとり死んでいないのはなぜだ?」
「力量が拮抗していたのでしょう」
「馬鹿げた言い訳を――メフィスト。誰がここを離れていいと言った?」
踵を返して一歩踏み出したヨハン。その眼前に漆黒の大剣が突き刺さっている。上空で魔術が展開されたのはわたしも把握していた。それでも動かなかったのは、ヨハンに直撃しない軌道だったからだ。彼が両断されるようなら、さすがにわたしも対処する。
振り返ったヨハンは、へらへらと顔を弛緩させていた。
「私の提案を呑んでいただけないと分かったので、帰ろうとしただけでさあ。私が消えたところで貴方に不都合はないでしょう?」
「五体満足で帰すと思ったか? 人間に与する裏切り者を」
ヨハンが身を翻し、ヴラドへと向き直る。ボロボロの手提げ鞄が、彼の動きに伴って揺れた。
「そちらがその気なら、抵抗させてもらいますよ」
鞄から取り出した物体が宙を舞う。合計五つの小瓶。それらはヴラドに到達する前に、中空に出現した闇色の剣で両断され――。
魔物の気配が噴出する。轟音とともに地上に降り立った五体のキマイラは、その身にいささかの傷も負っていなかった。
縮小吸入瓶。魔物を縮小させて格納する魔道具。悪質な研究者ビクターの発明品である。瓶が破壊されればこの通り、実物大の魔物が解き放たれる仕組み。
ヴラドの剣が、縮小された魔物を斬れなかったわけではないのは察していた。小瓶はそれぞれ空中で僅かに位置を変え、中身の魔物を傷付けることなく瓶のみを破壊させたのである。なんらかの魔術によるヨハンの小細工だろう。
『お嬢さん、ヴラドと戦っていいですよ』
耳元にヨハンの囁きが届くと同時に、サーベルを抜き放った。キマイラが降り立った衝撃で周囲が粉塵で覆われている。晴れるどころか視界はより悪くなっていき、やがて黒煙に包まれた。これもヨハンの魔術だろう。煙幕程度なら扱えて当然だ。
今のわたしは視覚に依存せず、血族と魔物の気配はもちろん、魔力も読み取れる。ただ、少し厄介な状況ではあった。煙幕自体が魔術の産物。したがって、魔力がそこらじゅうに充満しているのだ。より精度の高い察知が要求される。集中力を切らしたら終わりだ。ゆえに、恍惚状態のわたしに主導権を譲ってはいけない。
ヴラドも同じ条件下にいるわけだが、すべてを把握していると見做したほうがいい。なにせ千年生きた魔術師だから。
それはいいとして、どうして煙幕を展開したのか。おそらくはヴラドの視界を奪う目論見。この視界の悪さでは、天上の蝙蝠は中央を監視出来ない。ヴラドは自身の察知力だけでわたしとキマイラを相手にする必要がある。
高速で宙を駆ける気配は、きっとマヤだ。拘束されて意気消沈していたのは演技に違いない。おおかたヨハンが耳打ちでもしたのだろう。機を見て攻勢に転じろと。身体を雷に変えれば、マヤはいつでも拘束から逃れられる。
キマイラの爪を躱しつつ、ヴラドへとサーベルを振るう。秒間五発程度。いずれも硬質な壁に阻まれる感触があった。マヤの攻撃を防いだ防御壁だろう。突破は難しい。無理に破壊しようとすれば先にわたしの腕が折れるほどの硬さだ。相当魔力を籠めて展開した防御だろうに、ヴラドは惜しげもなく解除しては再び展開している。刃を阻むために。
そして、相手はわたしだけではない。
無数に伸びる細長い爪。これはサフィーロの攻撃だ。いずれも防御されているようだが、防御壁の魔力量はわたしに対して使っているのと同程度である。どんな些細な攻撃であれ、ヴラドは全力で魔術を行使するつもりらしい。
ベアトリスも貴品『虚喰』を早くも使っているようだった。柄の先に無形の靄がわだかまり、自在に変化する武器。使えば使うほど鎧の内側が蝕まれる代物だ。代償があるぶん、それだけ強力な武器とも言えるのだが、彼の攻撃も防御を砕くには至っていない様子である。
煙幕のなか、わたしが把握出来なかった気配はふたつだけ。
ヨハンとエールだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『真偽師』→魔術を用いて虚実を見抜く専門家。王都の自治を担う重要な役職。王への謁見前には必ず真偽師から真偽の判定をもらわねばならない。ある事件により、真偽師の重要度は地に落ちた。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『261.「真偽判定」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。貴品『万世一糸』を体内に埋め込んでいる。煙宿を一度は制圧したが逆襲され、捕虜の身に。戦争の趨勢に関し、ヨハンと賭け(契約)をしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『縮小吸入瓶』→付近にあるものを縮小させ、吸入してしまう小瓶。ビクターの発明した魔道具。彼は魔物を詰め込んで使っていた。詳しくは『147.「博士のテスト・サイト」』にて
・『ビクター』→人体実験を繰り返す研究者。元々王都の人間だったが追放された。故人。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア~②テスト・サイト~」』『Side Johann.「跳梁跋扈の朝月夜」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『虚喰』→無形の靄を自在に操る『貴品』。鎧と剣とでセットになっており、能力を使えば使うほど、鎧内の使用者の肉体を空洞化させるデメリットがある。詳しくは『926.「系譜は虚ろに終わりゆく」』にて




