1031.「極上の獲物」
雷の魔術による高速移動。その勢いを殺すことなく放たれた拳。ヨハンから釘を刺されていたにもかかわらず、マヤは先走ったわけだ。呆れはしない。愚行だとも思わない。はじめから彼女は自分の行動を決めていたはずだ。マヤの衝動に乗ってヴラドと戦いたいけれど――。
「マヤさんは生粋の跳ねっ返りですなぁ。お嬢さんは大人しくしていてくださいね」
ヨハンは悠々と言い、それまで通りの歩調で進んだ。
ヴラドはマヤの拳を顔面に受けて、地面に転がっている。椅子は背もたれが根こそぎ大破し、脚二本が折れ、無惨な姿を晒していた。
ほどなくして立ち上がったヴラドは、折れているであろう鼻を手で戻し、流れた鼻血をハンカチで拭う。そして椅子をもとの位置まで運んで立たせた。折れた脚部と背もたれが、するすると元通りに復元される。椅子自体に魔力は感じない。彼による修繕魔術だろう。
ヴラドは何事もなかったように、再び椅子に座った。
この間、マヤは常に追撃を加えていたのだが、すべて無化されている。彼女の拳も蹴撃も、初動の段階で闇色の壁に阻まれたのだ。マヤお得意の雷の魔術も同様である。
彼は後ろに控える従者に視線を送った。
「エール。なぜ私が攻撃されるのを黙って見過ごした?」
「主君の意に背くことは決していたしません。わたくしごときが閣下のお望みを阻むなど、それこそ大罪と存じます」
仮面じみた微笑を顔に貼り付けた男――エールとやらは億面もなく返した。
ヴラドが強いのは一目で分かったが、エールは別の意味で厄介だ。たぶんヨハンと同じタイプ。他者の腹のうちを読むのに長け、意のままに操り、必要とあらば誰であれ遠慮なく足元を掬う奴。
「結構」とヴラドは短く返し、いまだ攻撃の手を緩めないマヤへと呼びかけた。「ルドラ伯爵の次女、マヤよ。自分がなにをしたか分かっているか?」
「分からないで攻撃する馬鹿がいるか! わたしはお兄様の命だけを奪った貴様を絶対に許さない!!」
「そうか。お前も一緒に殺されたかったのか」
「そうだ! わたしを殺せ!! 殺さないなら貴様を殺す!!」
歩を進めつつ、無理でしょ、と思う。そもそもヴラドは死なない。そして仮に不死身ではなかったとしても、マヤの攻撃をことごとく防御し、まったく意に介していないあたり、ヴラドのほうが何段階も格上だ。
「殺してみるといい。一興だ。……ところでお前は自分の行為がもたらす結果を理解していないようだな」
「黙れ!!」
「我々は今、最大の敵地であるグレキランスを落とすべく戦っている。もっとも手厚く防御された北門を突破するため、諸侯と手を組み、一丸となって取り組んでいる最中。総大将は無論、この私だ」
「うるさい!!」
「極めて重要な局面で、北門攻略の総大将を襲撃した血族。それがお前だ、マヤ。いまだ制圧旗を掲げた状態の煙宿の方面から人間とともに訪れ、私を殺そうとしている。それがルドラの次女とあらば、誰がどう見ようとも一個人の反逆に収まらん。爵位剥奪はもちろんのこと、領地は首都ラガニアに接収される」
不意に、マヤの身体が空中で固定された。地面から漆黒の触手が伸びて彼女を拘束したのである。それでも雷を放ち続けているが、一向に実らない。
「お前は知らんだろうが、私の視界は首都ラガニアとアスターにそれぞれ繋がっている。単なる視覚共有ではない。空を覆う映写魔術だ。私の意思ひとつで映像を展開し、また、途絶えさせることも出来る。多くの同胞がお前の勇姿を目にしただろう。……安心するといい。今のお前の非力な抵抗は一切映っていない。伯爵の娘が公爵を殴った事実のみ、皆が把握する。良かったな。お前の復讐劇はラガニア全土で最大級の事件として扱われる」
唇を震わせ、雷撃を放つ気力も失ったマヤが、ヴラドを凝視していた。
「お前は殺さない。丁重にラガニアへと帰還させよう。私を殴った英雄なのだ。素晴らしい処遇が待っている。そうだろう? 最上級の牢獄で愉快な余生を送るといい。お前の生まれ育った故郷がどうなるか想像しながら一生を過ごせ」
マヤへの同情は感じない。感情がないのを差し引いても、彼女は拙速だったのだ。ヴラドのほうが完全に上手である。実力においても、知性においても。
それにしても、ヴラドの魔術はわたしの知識にないものだ。マヤを縛めている触手もそうだし、彼女の攻撃を完封した防御魔術も、単なる色付きの防御壁ではなかろう。修繕魔術だけは分かるが、あれほど流麗に扱えるひとは知らない。
ヨハンから事前に聞き出しておくべきだったか。いや、戦う前から敵の情報を仕入れるのは面白味がない。
そう、わたしは今とても興奮している。これまで出会った魔術師のなかでも最高峰。正確なところは戦ってみないと分からないけれど、もしかしたら『毒食の魔女』と対等か、それ以上かも。
「駄目ですからね、お嬢さん」とヨハンが釘を刺す。マヤに命じたときよりも真剣な声だ。たぶん、無視したら割と怒るレベルの警告。
「でも」とついつい言い返してしまったのは、恍惚状態のわたしに半分以上切り替わっているからだ。「ヨハンもわたしを騙したでしょ? 煙宿で。おあいこじゃない?」
「反論にもなってませんよ。とにかく、私がいいと言うまでなにもしないでください」
「いい子にしなかったら?」
「監禁します。本気ですからね」
それは困る。目的を達成出来ない状況は最悪だ。そして実際、ヨハンがその気になれば容易くわたしを拘束出来るだろう。遅延魔術を使われれば終わりだ。その前にヨハンを殺すという選択肢もあるけれど、微妙。冷静なわたしは合理的だけど、ヨハンほど先が見えていない。それに、エールだったっけ、あいつみたいな連中に敵わないだろう。ヨハンがいなければ、再訪した『鏡の森』でグレガーが展開した死の幻覚から抜け出せなかったはずだ。
大人しくしよう。渋々だけど。
やがてわたしたちはヴラドの二メートル先で足を止めた。律儀に横並びになって。
口火を切ったのはヨハンだ。
「拝謁の機会をいただき、光栄至極に存じます」
「つまらん挨拶はいい」ヴラドは冷え冷えした声音で言う。「ようやく契約を果たす気になったか?」
「それについては、まだ目処が立ってませんなぁ。おいおいなんとかしますよ。私は約束を違える男ではありませんので」
「詐欺師め。……それで、用件はなんだ。無目的で私のもとに来たわけではあるまい」
不意にマヤの雷が迸ったが、ものの見事に防御が張られた。どうやらヴラドの意識は随分と広いらしい。
「ちょっと伺いたいことがございましてね」
ヴラドは無言でヨハンを見つめている。さっさと言えと思っているのだろう。
ヨハンは大袈裟に首を傾げて、続けた。
「なぜ今の今までグレキランス領に侵攻しなかったんです? まさか、時機ではなかったとか、興味がなかったとかではないでしょうなぁ。天下の夜会卿が千年前の事件を忘れるはずがないでしょう? しかし、事実としてグレキランス侵攻は千年も先延ばしにされた。その理由がどうしても気になってしまって、夜も眠れません」
質問の意図が分からない。わざわざ最大級の危険地帯に足を踏み込んでまで訊ねる価値のある問いではないだろう。彼がなにを狙っているのかなんて、読み解けたことはないけれど。
なんにせよ、ヴラドが答えるわけはない。無意味だからだ。そう思ったのだけれど――。
「ヘルメスの忠告だ。奴がアスターを去ってから、折良くニコルがグレキランス侵攻計画を持ち込んだので乗ったまでの話。私は千年前から今日に至るまで、グレキランスを忘れたことはない。私をこのような身体にした恨みは未来永劫、持ち続けるだろう」
ヴラドはヨハンが返事をする前に、言葉を続けた。
「貴様の質問には答えた。今度は私が問おう。壁上の砲台と白銀猟兵を製作したのは何者で、どこにいる?」
ヨハンはヴラドに対し、あまりにあっさりと答えた。
「オブライエンの系譜に連なる者ですよ。居場所はグレキランス。殺したいですか?」
ヴラドはやや身を乗り出し、目を見開いた。真っ赤な舌が口内で踊る。
「殺しはしない。だが、私の獲物だ。最大級の苦痛を無限に味わわせてやろう」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『修繕魔術』→物体を修復する魔術。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。貴品『万世一糸』を体内に埋め込んでいる。煙宿を一度は制圧したが逆襲され、捕虜の身に。戦争の趨勢に関し、ヨハンと賭け(契約)をしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『制圧旗』→旗状の魔道具。血族に配されたグレキランスの地図と連動しており、旗が刺された地点が地図にマークされる。制圧旗は通常の手段では破壊出来ず、各軍の指揮官が死亡した場合に消滅する。その際、地図のマークは髑髏に変化する。諸侯同士による獲物の横取りを防ぐために開発された。血族の部隊長クラスがそれぞれ所有しており、旗を突き立てる仕草を行うことで出現し、効力を発揮する。詳しくは『幕間「落人の賭け」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『視覚共有』→その名の通り、視覚を共有する魔術。詳しくは『9.「視覚共有」』にて
・『映写魔術』→映像を空中に投影する魔術。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。オブライエンの策謀により逝去。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』にて
・『遅延魔術』→ヨハンの使用する魔術。対象の動きをゆるやかにさせる。ヨハン曰く、生体や魔術には有効だが、無機物には使えないらしい。正式名称は遅延領域。詳しくは『69.「漆黒の小箱と手紙」』にて
・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』
・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だったとされる男。不死魔術の研究により、王都から追放された。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。勇者一行であるゾラとの面識あり。ゾラの記憶する限り、グレガーはかつて騎士団の頂点に座していた。詳しくは『205.「目覚めと不死」』『868.「若年獣人の長き旅⑥ ~奪取~」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて




