Side Vlad.「愛玩動物」
※ヴラド視点の三人称です。
北門襲撃部隊の中央。シックな猫足の椅子に座した夜会卿ことヴラドは、涙を流していた。彼の落涙から三十秒ほど間を置いて、道化師ことエールが跪いてハンカチを差し出す。
ヴラドは淡々と受け取り、涙を拭った。そして思う。
やはり自分はなにひとつ悲しんでいない。
ナーサが殺されたのを蝙蝠の目で把握し、あまりになんとも思わなかったので試しに泣いてみたのだが、気分の浮き沈みはなかった。それどころか、エールがハンカチを持ち出すまでの間があまりに計算づくに感じられたので、むしろ興味はそちらに向いている。主人の涙を察し、少しだけ涙の時間を与え、しかるのちハンカチを捧げたのだ。ただ、この男の特殊性はその限りではない。こちらが一切の計算を看破すると分かってなお、そのように振る舞っているきらいがある。ご主人様がすべてを見通しておられるのを承知で行為しております、なにか不都合がございますでしょうか、と言わんばかりの完全性だ。側仕えとしての価値を大いにアピールしている。小細工は好かないが、こうも完璧だと重用するだけの意味も生じるものだ。なにより、周囲の精鋭どもの愚鈍な目には、エールが有能であると映っているはず。
ナーサは側近として気に入っていたのだが、死んだのなら仕方ない。あれは所詮、愛玩動物のような存在だ。異能の混血児で、従者としても、強さの点でも伸びしろがあり、実際ダスラを喪ってからの成長は著しかった。飼い主として愉快に感じたわけだが、死んだ。死んでしまえば成長はない。
ヴラドが無言でハンカチを返すと、エールは、万事心得ております、といった具合に一礼し、ヴラドの斜め後ろへと戻っていった。
この間も、スピナマニスの投擲は僅かの狂いもなく続けられている。ヴラドにとって、魔術による闇色の巨大な手を操るのに支障はどこにもなかった。涙で視界が不確かになろうとも、そもそも戦場を見ているのは蝙蝠の目だ。
シャオグイとバルクハルトの戦闘は問題視していない。ガジャラが消失したことで人間が一匹参戦したものの、大過はなかろう。シャオグイが右方を離れてこちらの前衛部隊と衝突したのは腹立たしいが、看過出来る範囲の犠牲だ。これで右方が襲撃される懸念はほぼ消えたわけだが、兵員は動かしていない。後方に迫る人間どもの狙いが右方の防衛を手薄にするためだとすれば、動かすのは悪手である。
ハイメ軍の離脱はヴラドにとって懸案ではなかった。ハイメが充分に敵方を弱らせたのもあるが、戦闘の趨勢を見る限り、大部分は寄せ集めの雑魚に過ぎない。魔銃の女は魔力が尽きかけている。中央左方の兵員を破るだけの力はなかろう。
むろん、撤退は明らかに離反行為だ。本来ならば追手を差し向けてでも捕縛すべきところである。なにより敵と握手する阿呆な精神性は許しがたい。が、こちらにも瑕疵がある。
殺人鬼テッド。奴の暴走は分水嶺を越えていた。ハイメの犯した罪と相殺されるかは微妙なところだが。もとより、此度の離反によりハイメの得るはずだったグレキランス領の土地は丸ごと空隙になるだろう。北門襲撃の折に発生した事案である以上、取り分の主張はこちらの意のままだ。あれの父は激昂するだろう。戦争参加も、収穫物をオークションへ出品する契約を結んだのも、ファレノで安穏としている領主によるものである。今後ハイメがどうなるか知ったことではないが、あれが女だったとは気付かなかった。こちらとしては性別などどうでもいいが、ファレノの古臭い価値観からすると糾弾されるに違いない。ハイメの父がグレキランス領の取得を叫ぶのなら、ハイメごとき小娘に出征を命じた貴様の手落ちだと切り返してみようか。
ハイメに関しては、おいおい考えればいい。今もっとも関心が高いのは後方だ。ニコルの疑似花嫁クロエ。ナーサを殺しおおせるほどの力量があると知れたのは収穫だ。それにも増して、ベアトリスが人間との戦闘――否、茶番を続けながら中央に移動しつつあるのは好都合。竜人サフィーロを入手する絶好の機会があちらのほうから近付いているのだから文句などない。異物が混じっているが、良しとしよう。
ヴラドはグレキランスの地図を広げ、煙宿に旗のマークが依然として記されているのを今一度確認した。
ルドラは健在だ。にもかかわらず、人間の援護部隊に彼の次女であるマヤが混じっている。ルドラが差し向けたとは考えづらい。彼はこちらへの非礼を詫びて、アビシェクとマヤの首を捧げたのだ。となると、マヤが人間に加勢しているのは個人的な理由と導き出せる。アビシェクの仇討ちを狙っているのだろう。もう一度首を捧げようとしているなら、人間の勢力に紛れ込むのは誤解を生むだけだ。必ずや単身で来る。
せいぜい仇討ちを果たすといい。実態がどうあれ、マヤの存在はルドラ領に影を落とす。表面的には反逆以外のなにものでもないのだから。しかもルドラの次女という立場も大きい。
ラガニアに帰還したあかつきには、ルドラの金鉱を奪ってやろうか。馬鹿な娘を持ったばかりに、ルドラは多くを失うのだ。
さて、白銀猟兵の破壊もこのあたりで充分だろう。投擲精度も申し分ないほど向上している。そろそろ壁上の砲台二機を潰す頃合いだ。
ヴラドは思考を切り替えると同時に、スピナマニスの標的を即座に砲台へと切り替えた。いくつかは防御魔術で対処されたが、人間側の魔術師連中も限界だったのだろう。やがて砲台はスピナマニスの直撃を受けて崩壊した。
残りひとつ。
あれを潰せば魔物は憂いなく進軍出来る。魔物の背後に控える前衛部隊も同様だ。
「ヴラド様! 敵が――」
「分かっている」
伝令の兵士を遮り、ヴラドは苛立ちを感じた。天上を覆い尽くす蝙蝠の目で一切を承知している。それくらい伝令の男も分かっているだろうに。
本来ならば、このような無礼で阿呆なゴミ――喋る糞袋は即刻縊り殺すところだが、物騒な真似は相手を選ばねばならない。最低限の礼儀だ。伝令兵はアスター城の使用人ではなく、一介の市民に過ぎない。自分が雇用している者ならば殺すが、そうでなければある程度の非礼は許そう。
なにより、殺す時間も惜しいのだ。
ヴラドが立ち上がると、エールは素早く椅子を後方に向けて整えた。非の打ち所がない。
一転して北門に背を向けた椅子に座し、ヴラドは静かに告げた。
「通していい。謁見の機会を与えよう」
残りひとつの砲台を放置し、ヴラドは静かに後方を見据えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『ダスラ』→人間と血族のハーフ。ナーサとは双子。夜会卿の手下。ナーサと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を曲線状の剣に変化させることが可能。トリクシィと戦い、死亡。その後肉体をナーサに摂取された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『スピナマニス』→アルマジロに似た魔物。家屋ほどの大きさの中型魔物。外殻には鋭いトゲが生えている。標的を見つけると身体を丸めて転がるように突進する。詳しくは『281.「毒食の理由 ~獣の片鱗~」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて
・『バルクハルト』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。全軍で唯一軍馬を用いる容貌魁偉な猛将。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ガジャラ』→双子の血族であるナーサとダスラが粘膜を接触させることによって姿を現す怪物。死亡したダスラの肉を体内に摂り込んだナーサにより、粘膜の接触の制約は取り払われた。見た目は単眼のマンモス。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『テッド』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。無邪気で子供っぽい性格。戦争までの間、殺人鬼としてアスターの牢獄に繋がれていた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。貴品『万世一糸』を体内に埋め込んでいる。煙宿を一度は制圧したが逆襲され、捕虜の身に。戦争の趨勢に関し、ヨハンと賭け(契約)をしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『アビシェク』→縫合伯爵ルドラの次男。ルドラの指示で夜会卿に捧げられ、殺害された。誠実で潔白な性格。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




