Side Zell.「消失と果断」
※ゼール視点の三人称です。
肉の焼ける嫌な臭いが鼻を刺激した。それ以上に痛みがある。風雷万華の雷撃で、左足の患部を焼いて止血したのである。関節から下の喪失で済んだのは不幸中の幸いだ。もし胸に光線を浴びていたら即死だったろう。
患部を焼いている間、ゼールはほとんど表情を変えなかった。痛みよりも使命感のほうが強い。北門防衛のためならば、どんな犠牲も払う。結果的に自分が明日を迎えずとも、生き残った誰かに喜びと安堵が降り注げば充分だ。
再生しつつあるガジャラの鼻を切断する。風雷万華で放出する風の魔術を使えば、空中での移動は問題ない。魔具の過剰行使によって魔力が枯渇する懸念はあったが、それがどうしたとも思う。出し惜しんで負けるなら、死んで勝利の糧となるべきだ。
「団長! 一旦退いてください!」
後方から聞こえる叫びは魔術師たちのものだろう。連合魔術を十全に展開するまで回復しきっていないだろうに。
「俺は」大きく息を吸い込む。「一歩も退かん! 全兵士に告ぐ! 死を恐れてもいい。怯えて泣くのもいい。心折れそうになってもいい。だが、最期まで戦え! グレキランスの守護者として全身全霊を尽くし、無辜の民を犠牲にするな! 我々の命は必ず誰かの明日に繋がっているのだ! ゆえに、剣を振るえ!!」
これは作戦指示ではない。それゆえ兵士たちは前線の者を除き、後方で迎撃体制を維持している。オブライエンの洗脳によって戦っている者の心にどれだけ言葉が届いたものやら分からない。平時ならば恐怖していてもおかしくないのだ。むしろ、そのほうが自然だろう。
震え、怯え、恐怖する彼らの本心に自分の言葉が刻まれれば、末後のときも、あるいは死後も、彼らの誇りはいささかも傷つかない。そう信じていた。
削っては再生するガジャラの肉体を前にして、ゼールは一切徒労を感じない。敵が顔を振って牙での攻撃を試みようとも、滑空して回避する。両の後ろ足を斬り落とし、その頃には再生しかかっていた前足を引き裂くべく移動する。魔力の消費を最小限に抑え、なおかつ巨象を一歩も前進させない。それが、この場、この瞬間においてゼールが果たすべき役割だった。ガジャラが止まれば魔物も止まる。現にゼールが巨象の足を阻んでからというもの、魔物の進軍は停止していた。近寄る兵士には抵抗するものの、積極的に突進することはない。
変化はそれだけではない。砲台を標的としたスピナマニスの投擲がいつしかやんでいた。今、砲台の射程圏にいる魔物はガジャラのみ。必然的にゼールも巻き添えになりかねない状況だったが、問題ではなかった。五秒間隔の光線は、常にガジャラの額に直撃し、その身を貫いて地面に消える。つまりそこにさえ気をつけていれば身体を射抜かれる心配はない。
それにしても、頭から腹にかけて貫通しても死なないとは。
致命傷を負えば消滅し、またも顕在化するものと思い込んでいたが、そうでもないらしい。どこかに核となる弱点があるのか、はたまた不死身なのか。ゼールとしてはどちらでもかまわなかった。前進不可能なほど負傷した状態を維持出来ればそれでいい。
風の魔術による立体的な攻撃のさなか、猛烈な風切音が耳を刺激した。
スピナマニス。
不意に投擲されたその魔物はゼールの遥か頭上を飛び越え、屹立する壁のなかほどに激突する軌道だった。
完璧な攻撃と言って差し支えない。砲台が再び威を奮う五秒のタイミングで、砲台とゼールとを結ぶ直線上にスピナマニスが到達したのだから。二機の砲台による光線はすぐさま発射され、スピナマニスはもちろん、こちらも消し炭にする算段。ガジャラよりも間近にいる魔物を優先する機構を、底意地の悪い投手は都合良く利用したわけだ。
「浅知恵だ」
光線が発射されたとき、ゼールはすでに射線上を離れていた。もちろん、ガジャラへの連撃を止めることなく。
スピナマニスの姿と、その放物線を把握した瞬間、ゼールはすでに動いていたのである。もちろん相手の狙いを悟ってのことだ。
一度味わった攻撃を二度食らうなどありえない。ここ何年も騎士として夜間防衛に出ていなかったが、かつての行動は肉体が記憶していた。夜通し魔物と戦い続けて生き残るには、未知への対応力が試される。既存の知識に依存していたら、いざというときに足元を掬われるのが夜の戦場だ。そして未知を既知に変えるには、それなりの代償を払わねばならない。多くの場合は手傷で済む。悪ければ命を落とす。ゼールは左足の損傷を、むしろ安く見積もっていた。これで相手の戦略と能力が計れたのだから収穫のほうが大きい。
およそ五秒間隔で放たれるスピナマニスは、いずれもゼールを射線上に捉えた。しかし光線は命中しない。もっぱらガジャラの身か、付近の地面を抉るのみ。
標的が変わったのは、それからしばらく経過したときである。五秒間隔ではなく、光線が自然とガジャラを撃ち抜いた直後に猛烈な速度でスピナマニスが放たれたのである。ゼールとは程遠い位置に。
スピナマニスが着弾した瞬間、爆音が轟き、土くれが雨のごとく降り注いだ。
北門のあちこちに配備された白銀猟兵を破壊したのである。
苦々しい気分になると同時に、良かったとも思った。
こちらの強力な兵器が破壊されるのは痛手だが、白銀猟兵の自爆を知ってから、兵士には爆破に巻き込まれないよう距離を取らせている。白銀猟兵もろとも人間が吹き飛ぶ憂き目は避けられたわけだ。
どうあれ、器用な奴には違いない。そして知恵者だ。こちらに砲台の攻撃が通じないと見るや、ターゲットを切り替えたのだから。
北門の襲撃者たち――その大将は、あまりに慎重な性格らしい。砲台が破壊されるまで射程圏外に魔物を留めたのもそう。残り二機の砲台の破壊に躍起になったのもそう。ガジャラが足止めされるや否や、バルクハルトなる脅威を差し向けたのもそう。今、白銀猟兵の破壊に勤しんでいるのも慎重さの表れだ。
敵将はおそらく、なにも信じていない。ほぼ安全が保証されている石橋を、何度も何度も叩いてみなければ気が済まないのだろう。
ゼールはそのように考察した。まだ見ぬ大将首の本質に迫ろうと思考をめぐらせた。
それゆえに、唐突な異変――本来ならば好機とみるべき事柄を、事実その通りに受け取れなかったのである。
ガジャラが霧散したのだ。なんの前触れもなく。
敵陣の後方でクロエがナーサを討ったことは露知らず、目の前の変異を敵の策略と受け取ってしまったのである。
スピナマニスによる白銀猟兵破壊の爆音が轟くなか、ゼールは空中に留まり、精神を研ぎ澄ましていた。
しかるべきタイミングで再臨するガジャラに備えたのである。決して訪れない敵を、ただひたすらに待ったのだ。
刻一刻と過ぎゆく時間のなかで、否が応にもバルクハルトとシャオグイの戦闘が目に入る。両の大剣を鉄扇で逸らしては、舞うように敵の懐に入り込んで一撃を食らわせるシャオグイを見ても、頼もしいとは言えない。
彼女の髪は乱れ、派手な着物は泥に汚れてあちこち裂けている。露出した皮膚には擦過や裂傷が著しく、真っ赤な血液が夜を彩っていた。
対するバルクハルトはまったくの無傷なのだから、戦力差は歴然である。
「全魔術師に告ぐ!」
ゼールは深く呼吸し、奥歯を噛み締め、それから言葉を続けた。怒声のごとく響いたのは、ほかならぬ自分への叱咤である。
「もしガジャラが顕現したならば、全力をもって盾と槍を展開せよ! 俺は――」
剣を振るう。
騎士団長ゼールは猛将バルクハルトへと、風の魔術で一直線に駆けた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。実はシフォンの養父。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて
・『ガジャラ』→双子の血族であるナーサとダスラが粘膜を接触させることによって姿を現す怪物。死亡したダスラの肉を体内に摂り込んだナーサにより、粘膜の接触の制約は取り払われた。見た目は単眼のマンモス。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って『毒食の魔女』を死に至らしめたとされる。全身が液体魔具『シルバームーン』で構築された不死者。かつてのグラキランス領主の息子であり、ラガニアの人々を魔物・他種族・血族に変異させ、実質的に滅亡させた張本人。外界で活動しているのは彼の分身『二重歩行者』であり、本体は一切の魔術的干渉を受けない檻に閉じ込められている。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『スピナマニス』→アルマジロに似た魔物。家屋ほどの大きさの中型魔物。外殻には鋭いトゲが生えている。標的を見つけると身体を丸めて転がるように突進する。詳しくは『281.「毒食の理由 ~獣の片鱗~」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『バルクハルト』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。全軍で唯一軍馬を用いる容貌魁偉な猛将。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて




