Side Alice.「旅立ちの夜」
※アリス視点の三人称です。
錆びた鉄くず――テッドの身体から伸びた槍に、ハイメは気付いていなかった。勝利したと思い込んで団員たちのほうを見やっている。
テッドの攻撃が魔術だったなら、ハイメは瞬時に把握し、対処したに違いない。
槍が伸びた刹那、アリスはすでに行動を起こしていた。地に手をつき魔力が地面を駆ける。
「影の拘束衣!」
触手じみた影が槍に絡みつく。いくらか動きは阻害出来たが、槍の延伸が止まる様子はない。
やっぱり自分は未熟者だと思わされる。ヘルメスの扱う同種の魔術と比較して、話にならないほど粗くて弱々しい。
影の拘束衣で稼いだ時間はせいぜいコンマ数秒。ハイメが貫かれる運命を変えるには心許ない時間である。
ただし、それはアリスだけが対応した場合の話だ。
彼女とほとんど同時かそれ以上のタイミングで、ふたつの影が錆びた大地を駆けた。マリウスとレフ。疾駆の最初の段階で、マリウスはレフの背中を力強く押し出した。レフの速さを信じてのことだろう。実際、レフはこの場の誰よりも素早い。
レフはハイメを突き飛ばし、ともに倒れた。槍が彼の背を裂くだけに留まったのは、アリスの稼いだごくごく僅かな時間の成果と言えよう。
次の攻撃を懸念し、アリスはテッドへと走った。レフはハイメを突き飛ばしたきり、彼女を庇って抱きしめている。次に訪れる攻撃を肉体で阻もうと考えたのだろう。
テッドはそれ以上、なんの攻撃もしなかった。錆びた巨体に一本の鋼の槍が突き出ている。アリスがたどり着いたときには、武器化した身体の崩壊がはじまった。
耳障りな音を立て、巨体が崩れ去る。あとに残ったのは錆びた金属の山。それらが霧散し、仰向いた少年の姿が露出する。その身は傷だらけで、瞳は虚ろに天を仰いでいるが、命の灯火は消えていた。
異能が暴走した時点で、テッドの身をも武器が裂き、蹂躙したに違いない。槍の一撃は正真正銘、命の最期の一滴を絞った攻撃だったわけだ。
アリスはその場に仰向けに倒れた。錆びた草が折れ、冷えた感触が背中に広がる。
さすがに消耗しすぎた。魔力はまだ枯渇していないが、集中力の糸は切れてしまっている。
ふとハイメたちの方向を見やり、咄嗟に魔銃へと手を伸ばした。二人はすでに起き上がっていて、レフが自前の剣で自らの首を薙ごうとしたのである。
それを止めたのはハイメだった。黒手袋で刃を掴む。手のひらが切れたのか、滲んだ血が点々と地を染めた。
「レフ。貴方ももう、私の父に従う必要などないのだ。私に触れたら死なねばならないなんて、そんな馬鹿げた命令は捨ててくれ。私のたったひとりの親友なのだ。私を置いてどこかへ行ってしまうなんて……辛い」
レフの剣が地を打ち、やがて彼のほうからハイメを抱きしめた。
「ありがとう、レフ。これまでずっと私を支えてくれて」
ハイメの目から涙が流れ、顎を伝って落ちた。団員たちはもちろん、煙宿の兵士も二人をじっと見つめている。
「ハッピーエンドだねえ」と言ったのは、煙宿の兵士――例の飄々とした男である。
「ハイメたちはこれからもっと大変な目に遭うさ。故郷に返って、厄介な父親をどうにかしなきゃならないんだからね。ま、アタシらには関係ないことだよ」
「そりゃそうだ。人生はこれからも続いていく。それがこれまでよりもマシなモンなら文句なしだ」
人生は続く。残りどれだけ長引くか誰にも分からないが、今ここに生きて立っている者たちは皆、今のところ生の途上にいるのだ。
しばしの時間が流れ、白鳥近衛隊あらため『夜明けの翼団』が隊列を為した。先頭にいるのはハイメで、彼女の両隣に側近二名が立っている。
マリウスが一歩踏み出し、アリスと正対した。
「アリス。心から感謝する。あの助力がなければハイメ様は無事ではなかった。ハイメ様がご自身の出自をお認めになり、我々が新たな一歩を踏み出すこととなったのも、あなたが誠実に向き合ってくれたからだろう」
「別に。アタシはアタシの信念に従っただけさ。感謝なんてしなくていい。……アンタが本当に言いたいのは、別のことじゃないかい?」
アリスの指摘を受けて、マリウスは苦笑いした。
「いつか再戦の機会を願っている」
「オーケー。そのときまでに、もっと力をつけておくことだね。剣技だけじゃなくて、魔力察知も磨かなきゃ足元を掬われるよ」
マリウスは少し顔を赤らめて、誤魔化すように一礼すると、ハイメの隣に戻っていった。彼と入れ違いに、今度はレフが歩み出る。
言葉はない。彼はアリスの手を取ると、両手で包み、膝を落として瞑目した。
声を奪われ、親を殺された、ハイメの親友。彼は誰より深く感謝の念を抱いていることだろう。そんな彼の耳元で、アリスはそっと囁いた。
「ハイメはたぶん、無理しがちな奴だ。アンタが支えてやるんだよ。一番近いところで」
レフは目だけで笑って、それから黙礼した。
最後はハイメがアリスの前に立つ。彼女は相変わらず真面目な表情だったが、最初に出会ったときよりも柔和な印象に変わっていた。
「貴女には感謝している。敵でありながら私を守り、新しい道を示してくれた。本来ならば貴女たちとともに戦場を駆けたいのだが――」
「そこまで求めちゃいないよ。アンタにはアンタの事情がある。だから申し訳なく思う必要なんてこれっぽっちもないさ」
「……ありがとう。もしいつか貴女と再会したあかつきには、全力で助けとなろう」
「気持ちだけもらっとくよ。ラガニアに行く予定はないからねぇ。それに、アタシの命は今夜終わるかもしれない。……そんな顔しなくていいんだよ。アタシたちは全員、覚悟を持ってここまで来たんだからさ。湿っぽい話は終わりにしよう。ほら、さっさと撤退しな。状況が悪くならないうちに」
握手を交わし、ハイメが団員に向き直る。そして彼女らは夜闇の彼方――湿原の方角へと消えていった。
ハイメたちが無事ラガニアに帰還出来るかは不明だ。道中で厄介な魔物に出くわす可能性もあるし、人間に遭遇して戦う羽目になるかもしれない。
とはいえ、だ。少なくとも全滅の可能性のうち、もっとも濃厚なものは潰せる。
「負傷兵は今のうちに手当てしな! しばらくここで待機する。夜会卿の中央部隊がもし動くようなら、命を燃やして戦うよ」
覇気のある声があちこちで上がった。
撤退するハイメたちに、夜会卿の手の者が差し向けられる憂いはある。包囲されている以上、戦力を減らす真似はしないと思うが、何事も絶対はない。ゆえにアリスは一旦ここに兵力を留まらせ、ハイメが充分に離れた段階で進軍する気でいた。
ふと、栗色の髪の女性が頭に浮かぶ。
クロエは上手くやってるだろうか。ヨハンがそばにいる以上、大丈夫だと思いたいが。中央右方に乗り込んだシャオグイとかいう女は問題ないだろう。彼女が異様な強さを備えているのは気配で分かる。
「北門は大丈夫かねえ」
煙宿の男がへらへらと口にした。語調に比して顔は真剣そのものである。
「なるようにしかならないよ」
戦場を俯瞰する手段がない以上、北門の戦況は不明だ。善戦していればいいが、悪いケースのほうが簡単に思い描けてしまう。
魔物のほとんどは前線に展開しているはずだ。二万の兵員がいようとも、魔物の数だけで考えても圧倒的に劣勢なのは明白。
刻一刻と深まっていく夜のなかで、アリスは北門の方角をじっと見据えた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『テッド』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。無邪気で子供っぽい性格。戦争までの間、殺人鬼としてアスターの牢獄に繋がれていた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『影の拘束衣』→対象の影に魔力を流し込み、闇色の触手で拘束する魔術。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて




