Side Alice.「夜明けの翼」
※アリス視点の三人称です。
影の空間から地上に出ると、血と鉄の臭いが鼻を刺激した。ハイメの扱う貴品の濃密な臭いで上書きされていたが、ここは戦場であり、すでに両軍がぶつかった状態なのだ。
ようやく姿を見せたアリスへと話しかけてきたのは、煙宿の男である。白鳥近衛隊とぶつかる前に少しばかり会話した男だ。彼もしっかり生き残ったらしい。その隣にはロットが立っている。
「随分長い会談だったな、姐御さん」
男は物怖じせずに言う。ほかの兵士はアリスの隣に立つハイメを警戒してか、遠巻きに様子を窺っていた。
「地上はちゃんと停戦状態だったんだろうね?」
白鳥近衛隊の心配はしていない。彼らがハイメの指示通り、人間を攻撃しなかったのは確実だ。問題は煙宿の兵士が大人しくしていてくれたかどうか。
男は飄々と笑い、腰に下げた剣を指す。
「姐御さんにゃ逆らわねえさ。それに、相手さんが矛を収めたんだ。こっちが手出しするのは卑怯ってモンじゃねえか?」
「安心したよ。ロットも平気だったかい?」
「はい……」
ロットの顔色が芳しくない。体調が優れないのではなく、表情に憂鬱が張り付いているのだ。理由は察しがつく。レフがどれだけ器用か知らないが、少年は戦闘のどこかの段階で悟ったのだろう。手加減されていると。
「アンタは勇敢だったよ。でも無謀だね」
「……はい」
「悔しい思いをしたくなけりゃ、強くなるしかない。強くなる時間が足りないなら、賢く立ち回ることだね。周囲をちゃんと見て、なにも見逃さなければ力の使いどころが分かるよ」
ぎゅっと目を瞑って頷くロットに、アリスは自嘲を感じてやまない。やっぱり励ましたり褒めたりするのは苦手だ。
ハイメを横目に見る。彼女は並び立つ白鳥近衛隊のほうを向き、しっかりと立っていた。両手を後ろで組み、胸を張った姿勢は彼女の習い性だろう。だが震えている。真一文字に結んだ口に力が寄っているのは、内心の格闘を示しているのだと、今のアリスにはよく分かっていた。
――それで、結局アンタはどうするんだい。
――地上での戦闘のことか?
――それもあるけどね、これからのアンタの振る舞いのほうが気になるよ。今のまま秘密を抱え続けていくのか、それとも女に戻るのか。
影のなかでの対話を思い出す。ハイメは男であることも、また、女であることにもはっきりと否を示したのだ。すべてを白状してしまったハイメにとって、男を演じ続けるのは父の傀儡であり続けるのとほとんど同義だろう。それに彼女自身、男の粗暴さに嫌悪感を抱いているようだった。かといって女になりたいとも思っていないのが、彼女のややこしいところである。ハイメの故郷ファレノでの女性の立場を鑑みると妥当だが、どうも彼女は性を感じさせる事柄全般を忌避しているらしい。
――私は性そのものが嫌になってしまったんだ。女らしいってなんだい? 男らしいってなんだい? 私には分からないし、分かりたくもない。恋愛や結婚なんて考えるだけで気分が悪くなる。私は一個人として認められたいだけなんだ。男でも女でもない、ただのハイメとして扱ってほしい。
――そりゃあ無理な話だ。通らない我儘だよ。誰だってなにかのフィルター越しに相手を見てるものさ。性別なんて、みんな持ってるフィルターだよ。そいつ抜きに扱ってほしいなんて、ひとの考え方自体を捻じ曲げるのと同じだねぇ。アンタの大嫌いな父親と似ちまってる。
――ひどいじゃないか……そんなふうに言わなくても。私はただ、私でいたいだけなのに。
――なら、押し付けるんじゃなくて選ばせりゃいいのさ。で、アンタをどうしても『ただのハイメ』として見られない奴のことは諦めな。
――それじゃ、全部諦めることになるな……。
根性なしめ。アリスはよほどそう罵りたかったが、さすがに憐れみが勝った。
だから、ひとつだけアドバイスしたのだ。
自分の居場所は自分で作ればいい。失敗したって何度でもやり直せるのだから。
そのような慰めとも激励ともつかない言葉を、ハイメは率直に受け取ったわけだ。
ハイメの口が開き、深く、長く、息を吸う。
「白鳥近衛隊に告ぐ!」ハイメの視線が一瞬だけレフに向いた。やや伏し目がちになったが、意気を取り戻したのか言葉を続ける。「私はこれまで貴方がた誠実なる白鳥近衛隊の面々を騙していた。私は、私は……私は女だ!」
ハイメは言い切ると同時に、ぎゅっと目を瞑って唇を噛んだ。
場は静寂が支配している。レフが居並ぶ隊員の様子を窺っているのは、謀反を警戒してのことだろう。彼だけはハイメのすべてを知り、受け入れているのだ。たとえほかの隊員全員がハイメに牙を向こうとも、彼だけは彼女の剣となり盾となる。
「ハイメ様」
沈黙を破ったのは顔面を滅多切りにされた金髪男、マリウスである。傷痕に蹂躙されてなお、その表情には真摯なものが存分に宿っていた。
「ハイメ様。こちらを見てください」
言われてようやく、ハイメは恐る恐る目を開いた。マリウスと視線を交わしては逸らす。正視出来ないのだろう。
ハイメがようやくマリウスをちゃんと見つめ返すことが出来てから、彼は言葉を続けた。
「ご承知の通り、白鳥近衛隊は男だけの神聖なる組織です」
レフが剣の柄に手を伸ばす。その動きはマリウスの視界にも入っただろうが、彼は一切動じなかった。
「誰であろうと白鳥近衛隊の掟を破ってはいけません。ハイメ様。たとえ貴族であろうと粛清の対象です」
「レフ! やめろ!」ハイメの声がなければ、縫合男はマリウスの喉を裂いていたかもしれない。刃の先がマリウスの首元で急停止した。「私は……どんな罰でも受ける。どう思われようともかまわない……。もう演技は嫌なんだ。自分で自分を穢してるようなものじゃないか。……マリウス。私は貴方に首を差し出そう。もううんざりだ、こんな人生は」
アリスはそれとなく腰のホルスターに手を伸ばした。
ハイメは今、自暴自棄になってる。命をなげうつように助言したわけじゃない。いざ白鳥近衛隊を目の前にして尻込みしてしまうのは分かるが、こんな諦め方は最低だ。
マリウスが剣を抜く。
そのまま彼が飛びかかってきたなら、アリスは迷わず迎撃しただろう。しかし――。
マリウスは剣を地面に突き立て、腕を組んだ。
「俺は今このときをもって白鳥近衛隊を抜ける! そしてハイメ様の私兵となろう!」
彼の言葉に合わせて、白鳥近衛隊全員が剣を地面に突き立てた。一糸乱れぬ動きで。
思わずアリスの口の端が持ち上がる。
呆気に取られてなにも言えないハイメに、マリウスは少し照れくさそうに言った。
「どうやら、ここにいる者すべて脱退するようです。こう人数が多いと、新たな組織を立ち上げなければなりません。さあ、相応しい名を我々に授けてください」
「急に言われても……」
困り顔でこちらを見るハイメに、アリスは苦笑した。「ハイメ。アンタは悲観的すぎるんだよ。こいつらはとっくにアンタを信頼してるのさ。男とか女とか関係なしに」
おそらく、何人かは――もしかすると全員――ハイメの性別を見抜いていたのだろう。特にマリウスはそんな雰囲気があった。あくまでもアリスの直感でしかないが、そうでもなければ全員一致で脱退なんてありえない。
ハイメが目を押さえて肩を震わすなか、彼女の隣にはレフとマリウスが寄り添った。
『夜明けの翼団』。泣きやんだハイメが名付けた新たな組織だ。
戻らぬ白鳥を守るのではなく、道義に悖る要求から解放された自由な翼を示す。いい名前だ。
「では、夜明けの翼団に最初の指示を出す」ハイメが落ち着いた口調で告げた。「我々はアリスと友誼を結び、この戦争から即時撤退する。もし夜会卿からの物言いが入れば、全力で戦おうではないか!」
こちらとしてはベストではないが、ハイメの立場を考えれば口を挟む道理はない。このまま煙宿の勢力と手を組んで夜会卿を打倒するのはあまりにも後顧に憂いが残る。なら、さっぱりと戦場から抜けてくれたほうがよほどマシ。敵前逃亡云々と夜会卿が文句を垂れるのは戦後の話だ。そのときは、彼女ら自身がなんとかしなければならない。
「ファレノに残存している白鳥近衛隊もどうにかせねばなりませんね」とマリウス。
どうやらここにいるのが部隊の全員ではないらしい。考えてみれば当然だ。町の夜間防衛と自治を担っているのだから、半数は居残るだろう。なにより、彼女は父親と真っ向勝負しなければならない。
いずれにせよ、それらは先の話で、アリスには縁遠い土地のことだ。そこまで面倒は見てやれない。
「アリス。ありがとう」
ハイメが手を差し出す。アリスは気安い気分で握手した。
「いいさ、別に。幸運を祈ってるよ」
その矢先、異変が起こった。
ベアトリスの部隊が控えているであろう方角から、なにかが飛来したのである。それは激しく地面に激突し、流血しつつ、立ち上がった。
闖入者――目を血走らせた少年がじっと見ている。アリスとハイメの、握った手を。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。戦争において元騎士見習いたちともに、縫合伯爵ルドラの長女ラニを追い詰めた。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




