Side Jaime.「ファレノの女」
※ハイメ視点の一人称です。
なだらかな窪地を石畳で舗装し、近辺に流れる川を引き込んだ町。煉瓦造りの三角屋根の家々が立ち並び、外縁部には耕作地が広がっている。町からは四本の街道が伸び、それぞれ余所の貴族の領地へと繋がっていて、交易の往来は活発。窪地の中心部には羽根を畳んだ白鳥の像があって、魔術製の噴水になっている。それが町のシンボル。白鳥近衛隊のルーツとなった池がその場所にあったとされているが、真相は定かではない。
それが私の故郷、ファレノだ。豊かな土地だと思う。同規模の町と比較して教育機関の質は高いし、町の至るところに魔道具が散見される。なにより、魔物の脅威を退ける部隊がきっちり整っているのが大きい。
そう、白鳥近衛隊だ。夜間の魔物討伐はもちろん、町の治安維持にも貢献している。犯罪率が低いのは住民の格差が少ないのも影響しているだろうが、白鳥近衛隊への畏怖と尊崇の念が第一に挙げられるだろう。
私の父は白鳥近衛隊の指導者だった。かつての話ではあるが、今でもその気になれば私から隊長の座を奪還出来ることと思う。まだ百歳なんだ。血族としては壮健だよ。もっとも、矢面に立つのではなく後方で指揮を執るタイプだが。
私が産まれたのは父が六十歳のときだ。そう、私は今年で四十歳。貴女よりも年上だけれど、まだまだ血族の社会では若輩者。ファレノは貧富の差こそないが、旧弊な性格なんだよ。年功序列が幅を利かせているし、性差は著しい。白鳥近衛隊が男のみの組織である点からも察しがつくだろう。
私個人の話に焦点を絞ろうか。
産まれたときの記憶はもちろん残ってない。ただ、物心ついたときには男として育てられていた。町の人々にも男児として公表されたんだ。
おかしな話だと言えるのは、貴女がファレノの子爵家――つまり私の家に産まれなかった幸運なひとだからだ。父はね、父は、私の父は、その、なんというか、ここだけの話、いや、全部ここだけの話なのだけれど、思い切って言うと……ふぅ……頭がおかしい。見目は麗しいし、対外的にはとても穏やかな人物として知られているのだが、狂気的な面がある。自分の子供を必ずや白鳥近衛隊の長に据えようと考えていたんだ。だから、女の私を男として育てた。
そう、貴女の言う通り。また子供を作ればいい話。けれど父は頑なだった。今後子宝に恵まれる保証がないから、私を男にしたんだよ。養子は論外。ファレノの領主は血の継承を重んじる。そして代々、白鳥近衛隊の頂点に君臨し続けてきた。だから私は男でなくちゃ駄目だったんだ。父にとってはね。
母か。母のことを悪く言うのは個人的に嫌なのだが、客観的に評するなら、意志薄弱なひとだね。というより、ファレノの女で貴女のように奔放なひとはいないよ。自我を出せる環境じゃないんだ。
……訂正する。ひとは確かにそれぞれで、気の強い女もいた。これは話したくない事柄のひとつなんだけれど、我の強い女は監獄病院に収容される。ファレノでは犯罪者は病人として扱われるんだ。処刑はない。例外なく病院送り。女は、性格面に難があればその時点で犯罪者同然の境遇に置かれると思っていい。充分に回復した、いや、矯正されたと言うほうが正しいかな、とにかく、ファレノ式の従順な女になったときにだけ出所が許される。
母は、ほぼ完璧なファレノの女だ。なにせ子爵に召し上げられるくらいだからね。相当に……都合が良くなければいけない。
そんな母も、綻びひとつなかったわけじゃないんだ。今でもよく覚えているよ。私が五歳か六歳か、そのあたりの時期にこう言われたんだ。二人きりのときにね。
――ハイメ様は男になれて良かったですね。
当時は聞き流した言葉だけれど、その後の人生で何度も耳に蘇ったよ。そのときの母の、物欲しそうな、それでいて軽蔑するような、そんな表情も思い出す。
性別を偽っても使用人や賓客にバレる、か。ああ、確かに私の家には何人も使用人がいる。しかしね、彼ら彼女らは私が女だとは知らないのさ。なにせ、私が完璧に男を演じられるようになるまで、父と母の指導のもと、邸の地下室に軟禁されていたから。ようやく地下生活から解放されたのが五、六歳のとき。そう、ちょうど母が失言した頃だよ。
ん? ああ、うん。ないよ。私は初潮を経験していない。月経もない。薬と外科的な方法で、私の女は死んだんだ。外部の医者なんて入れないさ。全部父がやった。器用だからね。そして執念深い。言ったろう、狂ってるって。
そして私は学校に通うようになった。教師を邸に呼びつければ済む話、ではないんだ。体裁だよ。貴族の男児を家に籠もりきりにさせるのを良しとしなかったんだ。住民にハイメという男の子の存在をしっかり認識させる意味もあったのだろうね。なにしろ次期白鳥近衛隊の長になるのだから、人見知りになってしまっては困るのさ。
さすがにバレるって?
結論から言うとバレなかった。でも、幼い私は致命的なミスを犯したんだ。
学校では貴族らしい振る舞いを徹底したのだが、全員に対してではない。ひとり、親友が出来たんだ。その男の子と二人きりでいるときに、ちょっとした約束をしてしまったんだよ。お互い秘密は無しにしよう、ってね。誰にも話さないから、二人の間でだけ隠し事は駄目にしよう。それで男の子は、とっておきの秘密を話してくれたんだ。というか、特技だね。その子は、鼻から食べ物を食べられるって秘密を打ち明けたんだ。ご丁寧に実演までしてくれてね。笑ったよ。千切ったパンを鼻の穴にぎゅうぎゅう詰め込むんだもの。私の秘密と比べれば馬鹿馬鹿しいくらい些細じゃないか。でも、約束は約束だ。
そう。私は本当の性別を打ち明けたんだ。
その子は真剣な顔になって、絶対誰にも話さないって誓ってくれたよ。ホッとしたな。話して良かったとも思った。これで本当の親友になれた感じがしたんだ。なにもかも話せる相手がいるのが、こんなにも心の支えになるなんて、と当時の私は感動したんだが、そう、それが最初で最大の失敗だった。
翌日から、その子は学校に姿を見せなくなったんだよ。彼の家族ともども消えてしまった。
いや、監獄病院に入れられたわけじゃない。もっと悪いことになった。
そもそも父は、私に魔術を施していたんだ。感覚共有は知ってるかい? それとよく似た、けれど別物の魔術さ。
感覚窃取。私の視覚と聴覚と触覚は、父に筒抜けだったんだ。自分の息子が秘密を暴露しそうになったら、即座に梃入れするつもりだったんだろう。私自身の口の堅さも試していたんだと思う。もし多くのひとに露見する予兆があれば、未然に防いだはずだよ。なんらかの魔術を使ってね。たった二人の会話だったからこそ、父はあえて私の親友を泳がせたんだ。
そして彼が帰宅するや否や、家族ごと攫ったというわけさ。
その後どうなったかというと、彼の家族は邸の地下室で殺された。もちろん私がそれを知ったのはあとになってからで、親友のいない学校生活を寂しく、しかし粛々と送ったよ。
親友も殺されたのか。いや、そうはならなかった。殺されるよりずっと酷いことになったのさ。
彼に再会したのは十歳の頃。四年か五年ぶりになるね。私の部屋に入った父が、新しい、私専属の使用人として紹介したんだ。父は終始親切そうな口振りで得意になっていたけど、私は頭が真っ白になっていて、目の前の光景が現実だとは到底思えなかった。
もう気付いてると思うけど、それがレフさ。
口を縫われ、去勢され、私に指一本触れてはいけないと厳命された、かつての親友。彼は邸の地下室で四、五年間、ずっと父に調教されていたんだよ。
なんで父がそんな馬鹿げた真似をしたかって?
私が寂しくないように、ってさ。口ではそう言ってた。でも別の目的もあったはずだ。もし秘密を漏らせば、レフが今以上にひどい目に遭うって私に理解させたかったんだと思う。楔だよ。とても大きくて鋭い、返しのついた楔。
……だから言ったろう。父は狂ってるんだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




