Side Alice.「消えた白鳥」
※アリス視点の三人称です。
「これでよし、と」
傷を縫い、サラシを巻き、服も元通りに――多少雑だが――直すと、アリスは額の汗を拭った。針仕事は得意ではない。不器用ではないものの、あまり経験のないことだから。
ハイメはすっかり元の通りになっている。肩幅の広さも男と遜色ないが、ジャケットに凝らした細工でそのように見せかけているのだとすでに知っていた。実際のハイメは腕の筋肉こそあれど、華奢なほうだ。
傷を処置している間も、衣服を整えている間も、彼――否、彼女はひと言も喋らなかった。やわく唇を噛み、憂鬱な表情をしていたのを思い出す。それが今、諦念と悲哀が入り混じった顔へと変わっていた。膝を抱えるハイメの姿は、落ち込んだ子供のそれだ。
「どうして私を助けてくれたんだ」
ハイメの声は、繕った低声ではない。素の高さで、やや潤みを帯びている。
「まず、アンタはロットを傷付けなかった。殺さないってだけなら、さっさと気絶させりゃ済む話なのに、あの坊やのプライドを尊重して戦ってくれたんだ。つまり、ちょっとした借りがある」
「しかし、私を救うほど大層なものではない。それに、私は私の意志で子供を傷付けないと決めていた。貴女がたが恩義を感じるべきではない。こちらの矜持であり、一方的な制約なのだから」
「そっちの事情なんて知ったことじゃないさ。アタシは恩を感じたから返しただけ。それに……」
言葉が詰まった。ロットのことも理由のひとつだが、本当の理由は別にある。
じっと言葉を待つハイメに、アリスはひと呼吸置いて続けた。
「それに、真っ当に戦った相手が晒し者になるのは気分が悪い。アンタの秘密を知ってるのはたぶん、側近二人――レフとマリウスだけだろう?」
ハイメは小さく首を横に振った。「レフだけだ。彼だけは私が女だと知っている。ほかの白鳥近衛隊の者はなにも知らない」
だから口を縫ってるのか。論理的ではないが、ひとは論理だけで生きていない。決して秘密を漏らさないという意志の表明ならば――過剰ではあれど――理解出来る範疇だ。
「白鳥近衛隊は」弱々しい声でハイメは続ける。「男だけの組織だ。雄々しき誠実さを核としている。それを率いる長が実は女だったなんて、彼らは決して受け入れない。隊員は人生の多くの時間を費やして白鳥近衛隊に入り、技芸を磨いたのだ。いわば生きてきた時間そのものを踏み躙られる珍事だろう」
「それじゃ、露見したらその場で私刑に遭うって?」
まさかと思って口にしたのだが、ハイメはこっくりと頷いた。実際のところは起きてみなければ分からないが、少なくとも彼女はそうなると危惧しているらしい。
「アンタは貴族だろう? 直属の部隊に殺されるなんて思えないけどねぇ。せいぜいアンタが赤っ恥をかいて、連中のうち何人かが愛想を尽かすくらいじゃないかい?」
ハイメは一瞬ムッと口を尖らせたが、すぐに肩を落とした。
「白鳥近衛隊は誇りある組織だ。穢れは許されない。粛清される。たとえ貴族だろうと」
「……過去にそういうことがあったのかい?」
「ない」
なら、やっぱり思い込みじゃないか。どうもハイメは悲観的すぎる。レフのように、秘密を知ってなお容認する男だっているはずだ。
敵を励まそうとしている自分を滑稽に感じているうちに、ハイメは自嘲気味に語った。
「ファレノが町となる前、遥か昔の話だ。褪せた地に迷い込んだ旅の男が、小さな池を見つけた。男は池の水で喉を潤し、すぐにその地を発とうとしたんだが、そこに一羽の白鳥が舞い降りる。男はひどく飢えていて、その鳥を食おうとしたんだ。しかし、白鳥はあまりに美しかった。美への崇拝と飢渇の狭間で男は苦しみ、やがて白鳥に触れる。そして懇願した。その美しい身体を糧にさせてくれと。すると、白鳥が言う。一晩待てば飢えを満たそう。男は白鳥の言葉を信じて池の端で眠りにつき、翌朝目を覚ますと周囲が一変していた。昨晩までは存在しなかった数々の作物があったんだ。たわわに実った果実の樹。収穫時を迎えた芋や野菜。自然に息を引き取った野兎たち。男は白鳥に感謝を述べ、たらふく食った。以来、男はその池で暮らすようになる。食うに困るようなことは起きず、満ち足りた生活だ」
「めでたしめでたし」とアリスはぞんざいに口を挟んだ。するとハイメはまたムッとする。その顔があまりに率直な感情表現に思えて、アリスは愉快だった。規律に縛られた無表情や繕った声よりもずっとマシだ。
「……男は図に乗って、温かい寝床や金を要求した。もちろん、表向きは平身低頭して。白鳥は鷹揚に聞き入れ、彼の願いを次々叶えてやった。やがて男が、独りは寂しいと言う。すると翌朝には池を中心に村が出来上がっていた。しかし男ばかりだったので、彼は少しばかり文句を垂れる。これではバランスが悪いと。白鳥は確かにそうだと認めて、翌朝には男と同じだけの数の女を用意した。これには旅人も満足したんだが、彼の欲望は歯止めが効かなくなっていた。その頃には村長となっていた男は、白鳥を池ごと檻に閉じ込めて、もっと女を寄越せと言う。そうしなければ食っちまうぞと脅し文句まで添えて。白鳥はなんの返事もしなかったが、男はきっと望みが叶うと確信して眠りに就く。すると翌朝、白鳥は消えていた。村人も家々も作物もすべて。あとに残ったのは、欲望まみれの男がひとり」
「よくある寓話だね。欲をかくと失敗するって教訓だろう?」
似た話はハルキゲニアの各所にも存在する。おそらくはグレキランス地方にも山ほどあるだろう。
「旅人は大いに反省し、何十年もかけて池の付近に村を興した。そのとき組織されたのが白鳥近衛隊だ。女人禁制なのは、失敗の原因となったから」
「ふぅん。それじゃ、アンタの故郷では再び白鳥が戻ってくるのを待ってるわけだ。今度は失敗しないように、白鳥様のご機嫌を取る魂胆で」
ハイメの眉間に皺が寄る。いい表情だ。
「違う。初代村長は白鳥を檻に閉じ込め、過分な要求をしてしまった戒めとして、誠実なる組織を作ったのだ。もし白鳥が帰還しようとも、なにひとつ要求するつもりはない。謝罪と恩返しのために行動すると誓った」
「そいつはご立派だね。で、現在の白鳥近衛隊とやらを率いているのは異端者なわけだ」
アリスが言うと、ハイメは膝を抱える腕に力を入れ、小さく頷いた。
見事な戦闘を繰り広げた姿は見る影もない。
「で、嘘をついてでも白鳥近衛隊の長になったのは虚栄心かい? それとも貴族の誇りとやらのため?」
「違う」
「なら、男になりたかったって?」
そうでなければ、あれほど堂に入った演技は出来ない。衣服を裂かれた際の反応も、それを裏付けているように思えた。
しかしハイメは首を横に振る。大きく。はっきりと。誤解の余地なく。
「私は、男になんかなりたくない」
なら、なんなのか。少しばかり気にはなったが潮時だ。影の魔術を維持するにも当然魔力を消費する。ハイメの姿が戻った以上、いつまでもこの空間に留まる意味はない。
「なんでもいいさ。いい加減地上に戻るよ。その前に、身の振り方を決めておくんだね。戦いの続きをやるかどうか。白鳥近衛隊の前で宣言するといいさ。なに、手当てや秘密のことは気にしなくていいよ。アンタがヤル気なら、アタシは殺すつもりで戦うまでさ」
言って、アリスはハイメを見下ろしたが、膝を抱えたまま動かない。視線すら合わせようとしなかった。
それどころか顔を膝の間に埋めて、ぼそぼそとこんなことを言い放ったのである。嗚咽混じりに。
「後生だ。しばらくここに居させてくれ。誰の目にも触れない、この場所に」
王子様から一転して、まるでお姫様だ。
この状態のハイメを地上に戻したら、白鳥近衛隊に動揺が広がるだろう。結局のところハイメに恥をかかせる羽目になる。秘密が露見するより随分マシだろうが、アリスの本望ではなかった。
やむなく影の大地に腰を下ろし、胡座をかく。
しばらくしてハイメは、ぽつぽつと自分について語りはじめた。
ハイメがハイメになった由縁を。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。戦争において元騎士見習いたちともに、縫合伯爵ルドラの長女ラニを追い詰めた。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




