Side Alice.「子爵の秘密」
※アリス視点の三人称です。
雄叫びは途絶えることなく続いていた。白鳥近衛隊の前線部隊と煙宿の兵士との戦いがまだ続いている事実を示している。声を上げているのは人間ばかりだろう。白鳥近衛隊は静かだ。後方に控える部隊は一切口を開かず、微動だにしていない。彼らのリーダーであるハイメが戦っているというのに声援ひとつなかった。しかしその目は戦闘の模様をじっと見守っている。
どこまでも忠実な連中だ。それだけハイメが信頼されているのか、あるいは組織の性格なのか。そのあたりの事情はアリスには分からない。ただ、ハイメが討ち倒されたとき、主人を喪った忠犬がどのように振る舞うのか興味はある。
一気に襲いかかってくるなら、さすがに敗色濃厚か。後列の白鳥近衛隊はおよそ二百五十名。前線で健在な者も勢力に加わるとなれば、自分ひとりでの対処は困難だ。逃げるだけなら出来るだろうが、その選択肢はハナからない。
とまあ、勝利した仮定の想像を繰り広げても詮無い話だ。
ハイメは鋏と化した武器――緑青流鋏を手に、ピンと背筋を伸ばしている。
「アリス。悪いことは言わない。本気になった私が相手では貴女に勝ち目はない。降参し、撤退するのだ。背後から攻撃を与えるような下衆な真似はしないと約束しよう。白鳥近衛隊の雄々しく誠実な精神に誓って」
ハイメは本気で口にしているに違いない。今もまだロットを相手にしているレフの存在が、彼の言葉に重みを添えている。
なるほど、徹頭徹尾、誠実だ。子供は殺さず、意志さえ尊重する。無益な殺生もしない。状況が違ったなら一考に値する。
もし自分がひとりきりでハイメと対峙していて、退路を示されたなら。
アリスはそんな空想を一笑に付した。
「ここで退くなんてありえないんだよ、ハイメ。アンタがどれだけ強くても、アタシは前に進むしかない。これは全員の意志で、アタシ個人の意志でもある」
猛者を前に尻尾を巻いて逃げ出すなんて馬鹿げてる。ヘルメスのような絶対的な存在ならまだしもだが。
「そうか。ならば貴女を討ち、兵士も滅そう」
「それでいいさ。男らしい態度でいなよ。女々しいのは顔だけで充分さ」
直後、アリスは咄嗟に横へとステップを踏んだ。切断された髪がハラハラと宙を舞う。
開いた鋏――緑青流鋏が回転しながら、猛スピードでアリスへと放たれたのだ。回避していなければ今頃真っ二つになっていたかもしれない。
緑青流鋏は回転しながら上昇し、弧を描いてハイメのもとへと帰還する。その際にも鋏は刃を閃かせ回転を続けていたが、彼は見事に持ち手の部分をキャッチした。
異様なのはハイメの表情である。無表情とは言い難いが、感情が読めない。凛々しさは消えている。眉尻は垂れ、目を見開き、鼻翼が少しばかり膨らんで、口は真一文字にきつく結ばれていた。怒りにしては冷ややかで、驚愕と呼ぶには毛色が違う。
なんにせよ、これまでの或る種紳士的な態度からは程遠い不意打ちが放たれるだけの台詞を口にしてしまったわけだ。
なにが彼の地雷だったのだろう。女々しい、が駄目だったのか。いや、言われ慣れているような気がする。白鳥近衛隊が男だけの組織であるとはハイメ自身の言で、組織内で彼の容姿が話題になるのは至極当然だ。どうしたって中性的な顔だし、肩幅を除けば身体つきもなよやかなんだから。
ハイメは多少青褪めた顔で、しかし迷いなくこちらへと疾駆した。いつの間にか鋏は二本の剣へと分離している。表情はというと、例の奇妙な状態のままだ。
「影の怪腕」
爪先経由で地面に魔力を走らせ、影の腕を出現させる。ハイメのすぐ目の前に現れて、彼の腹を殴りつけるはずだったが、はじめから分かっていたかのように回避された。
先ほどまでと今とでは完全に雰囲気が変わっているが、どうやら魔力察知に綻びはないらしい。きっと膂力もそのままだろう。変化したのは表情と、おそらく心持ちだけ。
なら、すべき行動は決まっている。
二メートル先まで迫ったハイメに、アリスの側から飛びかかった。それも通常の速度ではない。足裏を影の魔術で押し出し、速度を上昇させた突進。両の銃口はそれぞれハイメの額と心臓を指しているが、まだトリガーは引かない。
ハイメの剣の射程圏内に入る寸前で、彼は剣を重ね合わせて鋏の形態に変えた。
妥当な判断だ。まだ周囲には魔力が充満していて、彼にしてみればどこで防御魔術が展開されるか分かったものではないだろう。防御を砕く威力を持つ攻撃形態に切り替えるのは真っ当な判断。しかもこちらは、方向転換が不可能な速度で接近しつつある。飛びかかる敵の首を鋏で切断すれば彼の勝利だ。
渾身の魔力を籠めた、貫通と速度に重点を置いた魔弾。それを事前に装填していた。可能な限り距離を縮めてから発射する予定の弾丸である。
双方の距離はみるみるうちに縮まっていく。一メートルを切ったところで、鋏を開いたハイメの腕に力が入るのが見えた。
相手が斬るのが先か、こちらが引き金を引くのが先か。アリスは無論、後者である自信があった。意識は極度に集中している。なにひとつ見逃さない。どんな小さな異変をも。
事実、先に動いたのはアリスだ。トリガーを引くだけの動作。だが、結果的に引き金は引かれず、魔弾も発射されなかった。
指が動かなかったのだ。引き金にかけた人差し指だけが硬直していたのである。右手も左手も。
ハイメの鋏が閉じ、アリスの首が宙を舞う――そんな結末を相手は思い描いただろう。
指が動かなくなった瞬間、アリスが抱いたのは『やっぱり』という感想である。ハイメの武器から漂ってきた血に似た臭いの正体は錆だ。自分の負った切り傷――本物の血の臭いを嗅いで錯覚を訂正し、錆だと推測したのである。追尾弾が効力を失ったのは、錆が魔力を通さない仕様になっているからだと結論付けた。弾丸程度であれば一瞬で錆で包めるだろう。しかし人体はそうもいかない。せいぜい、ピンポイントで動きを阻害するのみ。だからこそアリスは、トリガーにかけた指をハイメが錆びさせるよう、暗に誘導したのである。両の魔銃を突き出して突進することで選択肢を奪った。
「ハイメ。アンタは勝負を急ぎ過ぎたんだよ」
ハイメの鋏は閉じない。彼の手の部分に張った高硬度の防御魔術が、動きを阻んでいた。とはいえ、こちらも今さら足を止めるのは困難な速さで駆けている。影の魔術で、ほとんど宙を駆ける弾丸じみた速さで飛び出したのだ。
だが、こうなることが分かっていたなら、いかようにも対処出来る。
「影の怪腕」
影の腕が身体を宙へと舞い上げる。ハイメの背後――ずらりと居並ぶ白鳥近衛隊の十メートルほど先に着地する軌道で。
そして、アリスがおこなったのはそれだけではない。
「影の切り裂き魔」
ハイメの足元の地面から、影の剣が伸びて斬り裂く。もちろん、回避のために後退するのは分かっていた。だから、タイミングを合わせて彼の背中に防御魔術を張り、退路を断ったのである。
着地してすぐに振り返った。ハイメはこちらの策略通り身体の前面を斬り裂かれたようで、地面に血が滴っているのが見える。ただ、前屈みになったまま傷口を庇っているようだった。がら空きの背中をこちらに晒している。
アリスはゆったりと、ハイメの背後へ歩みを進めた。もう指の硬直はない。
これで戦闘が終わったわけではないのはハイメも承知しているだろう。それなりに深く斬りつけたものの、絶命に至るほどではない。自分の負った傷に対する意趣返しのようなものだ。お互い手札を晒したところで、本当の勝負がはじまる。
そのはずだった。
前屈みになったハイメに近寄ると、その身が細かく震えているのが分かる。彼の横合いから傷の具合を見ようとして顔を突き出した瞬間、あ、と思った。きつく自分自身を抱きしめているハイメの腕のなかで、裂かれた衣服の隙間から肌が見えたのである。ついでに顔を覗くと、もうアリスの戦意は消し飛んでしまった。
「ハイメ。とりあえず停戦指示を出しな。頑張って、声を作って」
そう囁く。するとハイメは小さく頷き、浅い呼吸を繰り返してから停戦を叫んだ。
前線で勇を奮っていた白鳥近衛隊がその時点で動きを止めたのは、さすがの忠実ぶりである。何人かが振り返ったが、そのときにはアリスがハイメの身体のすぐ前におり、誰の目にもその肌は映らなかったろう。
「煙宿の全兵士に命令だ! 今すぐ停戦! しばらく休憩してな!」
さて、とハイメを見つめる。相手は自分よりも上背があるのに、小さく感じて仕方ない。
「白鳥近衛隊だっけか。これからアタシはハイメとじっくり話をする。それまで大人しくしてな。なに、傷付けたりしないから、安心することだね」
ふと気がつくと、口を縫合した男――レフが物凄い形相でこちらを睨んでいた。いつの間にか隣まで来ているものだからギョッとする。彼はハイメを労わるよう、肩に触れていた。いや、よくよく見ればギリギリ触れない位置で手を止めている。
なるほど、と思う。この縫合男は事情を知ってるわけだ。まあ、どうだっていい。
「夜影潜行」
視界が暗転する。影の内部に潜ったのだ。自分だけでなく、ハイメも道連れに。そうする必要があった。
漆黒の空間で布袋を漁り、ひと通り救護用品を並べる。ずっと野暮ったいと思っていたが、それなりに意味があったわけだ。まさか敵に使うとは思わなかったが。
蹲っているハイメを見下ろし、アリスはなんでもないように言う。
「それじゃ、ハイメ。傷と服、どっちを治そうか?」
これは単なる軽口だ。傷が優先。それでも即座に「服」と答えたハイメは、やはり真面目すぎる。
「とりあえず傷を縫うよ。大丈夫さ。誰にもバラしたりしないから」
しばし沈黙していたが、やがて観念したのか、ハイメは影の世界に横たわった。
闇のなかでも物が見えるのだから、影の魔術は不思議だ。アリスは糸と針を手に傷口を眺める。サラシで潰れた乳房の間に走った傷を。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハイメ子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。常に自分の身体を気にしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『ロット』→騎士団に入ったばかりで、実践経験を持たない少年。入団早々、騎士団員すべての追放が決まったことに強い憤りを感じている。自覚していないが、防御魔術の才能がある。トリクシィによる『煙宿』襲撃で、シーモアに救われた。現在、シーモアの使用していた槍の魔具『蒼天閃槍』を所持している。戦争において元騎士見習いたちともに、縫合伯爵ルドラの長女ラニを追い詰めた。詳しくは『幕間.「王都グレキランス ~一縷~」』『第二章 第七話「追放騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔弾』→魔銃など、魔砲によって放たれる弾丸を指す。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『魔銃』→魔力を籠めた弾丸を発射出来る魔具。通常、魔術師は魔具を使用出来ないが、魔銃(大別すると魔砲)は例外的に使用出来る。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』にて
・『夜影潜行』→影に潜る魔術。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて




