1029.「騎士たちのバトン」
互いの刃が呼応して剣速が上がっていく。純粋な刃の衝突と、サーベルに籠めた雷が発する光とが混ざって、視界はほとんど火花の閃光に潰されている。
本意気の速さを出せていないのは分かっていたけど、不満なんてない。ナーサの刃がこちらの速度を奪うだけの重さを備えているだけのこと。わたしが回避を試みて横合いから一撃入れようとしても、彼女はほぼ完璧に防いだ。お返しとばかり回避と、意趣返しの反撃をするものだから偉いし可愛い。まあ、こっちもサーベルで防御したわけだけど。
そんな殺し合いが何分続いたか分からない。ナーサの強さは天井知らずに上昇していくように思えたけど、しばらくして少しずつ動きの鈍さが感じられた。とっても哀しい事実。でも仕方ない。だってナーサは雷の痛みをずっと受けてきたわけだし、そんな負荷のなかで応酬したんだから限界を迎えても無理はないと思う。だからこそ、なおさら哀しくて哀しくて。涙は出ないけど、心は少し冷めた。冷静になったとも言えそう。もうとっくに把握している弱点とその正体も、直視せざるを得ない。
頭に浮かぶのはトリクシィのことだ。
最強生物とやらになってるなら戦いたいけど、別の気持ちもある。
恍惚の波が引きつつあるので、てっきり例の『どうでもいい』かと思ったけど、違った。どうでもよくない。ただただそう感じる。それ以上の具体的な感情はなかった。クールなクロエはきっとすぐに目を背けて無かったことにする類の気持ちだけど、まだ恍惚状態に留まっているわたしは、今この感情に寄り添ってあげたい。
それにしても不思議だ。
ナーサとの戦闘がはじまってから一度も、肌が紫に――血族のそれに変わっていない。治癒能力という異能が失われていないのは確かだ。まだ一度も攻撃を受けていないけど、サーベルから流れる雷撃に身体が修復作用を間断なく働かせていることから分かる。
なら、興奮してるのは仮初で、実はナーサを強敵だと思ってない?
それはありえない。ナーサはちゃんと強い。わたしは本気で戦ってるし、だからちゃんと愉しい。
それなのに肌がそのままなのは――。
「ヨハン。わたしになにかした?」
戦闘中に別事にかまけるのは本望ではないけど、肉体に関してはそうもいかない。戦いに直結する可能性があるから。
「少し化粧を施しました」
「ふぅん」
そのくらいならいいや。変装魔術で肌の色だけ人間のそれに固定したとか、そんなところだろう。なんの意味があるのか分からないけど。
ナーサの呼吸が乱れている。もうじき決着がつくだろう。
でも、最後の抵抗ほど激しいものはない。すべての生き物に当てはまる理だ。
ナーサは後方に跳躍した。それでわたしとの距離を五メートルくらい稼いだわけだけど、詰めるなら一瞬で可能。でも、着地と同時に矢が放たれるのが見えて、賢いな、と感じた。わたしが勇んで踏み出したら足を射抜かれる場所だ。もちろん、矢を受けたくらいじゃ身体に支障はない。でも隙は生まれてしまう。
そのあたりの計算をするのに、刹那の時間も必要なかった。終わりつつある恍惚のなか、わたしは思考を置き去りにして、サーベルを振り上げてナーサへと飛びかかったのだ。矢を避けて距離を詰めてもよかったんだけど、こんな方法を採った理由はなんとなく察してる。
トリクシィをどうでもよくないと感じたわたしの気持ちに、ちょっとした贈り物をしたかったんじゃないかな。たぶん。
刃を振り下ろすのはナーサの脳天で、きっちりサーベルの射程を計算して、最大の力を振るえるポイントを見極める必要がある。わたしにはすぐに導き出せるものだけど。それに対する妥当な対処は、両腕の曲刀でサーベルを弾いて、わたしが防御するより先に攻撃を加えること。もちろんこれは無数にある戦略のうちのひとつで、最適ではない。
ナーサは本当に偉いな。
彼女は飛びかかるわたしを避けるでも防御するでもなく、直進してきた。両腕の曲刀を引いて。
サーベルの力が乗る位置から脱し、仮に振り下ろされたとしても深手を負う前にこちらを斬り裂ける。そんな位置取りと状況を、彼女は一瞬のうちに生み出した。それはナーサの戦意というより、もう防御に使う力がほとんど残っていないのを示唆しているように思える。哀しい事実だけど、それを直視して、今出来ることを全力でやろうとする彼女は立派だ。
夜会卿には胸を張ってほしい。
あなたが拾って育てた子供は、どこに出しても恥ずかしくないくらい強かったよ。
サーベルよりも相手の曲刀が肌に達するのが先。分かってる。二人の距離はみるみる近付いていて、でも、こっちがサーベルをまったく振り下ろそうとしないのに気付いてるかしら。曲刀よりも先んじて打てる攻撃があるって分かってるかな。
両手で振り上げたサーベル。その柄を、一気に叩きつけた。ナーサの弱点に。彼女曰く、戒めの角に。
角は折れることなく頭蓋を突き破り、後頭部を破壊して地面に突き刺さった。まあ、そうなる。だってこれは本当の角じゃなくて、ナーサの身体の一部ですらないから。
脳に深刻な傷を負っても、血族が死ぬとは限らない。だから一瞬硬直したナーサの曲刀を払い、首を刎ねた。着地までの間にすべてを済ます程度、造作もない。
ナーサは死の瞬間さえ気付かなかったろう。額で爆ぜた痛みのなか、脳を通過して後頭部を貫いた異物について――彼女が『戒め』と呼んだそれについて――考える時間もなかったはずだ。
首の落下からやや遅れて、血飛沫を上げて胴体が倒れる。夜の底を赤く紅く彩っていく。
恍惚感はすっかり収まっていて、今のわたしは本来の冷静さを取り戻していた。ナーサについて、今はなんとも思わない。偉いだとか、もっと強ければよかったとか、感慨めいたものすら欠片もなかった。
ただ、奇妙なことに身体が勝手に地面の一角へと歩み、しゃがみ込む。ナーサの額に突き刺さり、ほとんど一体化していた物体を拾い上げた。血にまみれたそれを、どうしてかナーサの亡骸の衣服で拭き取って、それからしげしげと眺めているわたしがいる。
今のわたしを動かしているのは、いったい誰なのだろう。かつてのわたしかもしれないし、恍惚に浸ったわたしなのかもしれない。まさか、酔ったときのわたしではないだろう。彼女はそれをじっと眺めていて、それから、視界の半分がぼやけた。開かれた目が、流れ出した液体に覆われる。
「お嬢さん?」
振り返るとすぐ後ろにヨハンがいて、なぜだか一瞬顔をやわらげてから、急に無表情になった。
わたしが片目だけ涙を流していることを、感情が回復した兆しだとでも思ったのかもしれない。
大間違いだ。ひとは感情によって涙を流すだけではない。眼球への刺激によって、勝手に流れる涙もある。わたしの目は塵かなにかに反応して、それを排除するために涙を呼び出したわけで、泣いてはいない。泣くのは行為で、涙が流れるのは現象だ。要するに別物。ヨハンが真顔になったのも、わたしの冷めた無表情からそのあたりの事情を悟ったからだろう。
それはそうと、わたしは手にした物体をポケットに仕舞い込んだ。もちろん、それは今のわたしの意思ではなく、勝手な動きである。どうやら回収しておきたいらしい。敵を倒した証を欲したわけではないのは分かっている。
ナーサの額に突き刺さっていたのはトリクシィのヒールだ。シーモアが折り、わたしが回収し、当人のもとへと返した物。トリクシィはナーサとの戦闘で、その額にヒールを突き立てたのだろう。しかし殺せなかった。そのときは。
亡き騎士のシーモアが折り、行方不明の騎士トリクシィが刺し、元騎士のわたしが決着に使ったヒール。過去から現在までの流れがそこにある。騎士たちが繋いだバトンと言っても間違いではないだろう。
感傷なんて感じない。
わたしは冷静な思考が導くままに、単なる事実を羅列しただけだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『変装魔術』→姿かたちを一時的に変える魔術。詳しくは『47.「マルメロ・ショッピングストリート」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『五月雨のシーモア』→騎士団ナンバー5の男。槍の魔具使い。魔術師であるが、同時に魔具使いでもある。普段は魔力を身体の奥に隠しておき、魔具の暴発を防いでいる。トリクシィに敗北し、死亡した。詳しくは『366.「落下流水」』『幕間.「王都グレキランス ~騎士と真偽師~」』『第二章 第七話「追放騎士」』にて




