1027.「落涙の行方」
勇者一行のひとり、ジーザス。いまだに名前以外のほとんどの情報を知らない。ヨハンの兄で、彼と同じく混血ということくらいしか。
そして、あらかじめヨハンからこの戦争において戦わないほうがいいと釘を刺された相手でもある。狡猾だからという理由で。
唐突に流れた兄の名前を聞いて、ヨハンがどんな表情をしているのか大して気にはならない。そこに視線を配る余裕がないというのもある。ナーサの斬撃は依然として緩まる気配はなく、隙がない。悦に浸って喋っていても、そういうところはちゃんとしてるんだから偉いと思う。
「ジーザスはトリクシィを殺したのかしら?」
すごく気になる。なんでだろう。はっきりしないけど、それを聞ける相手が目の前にいるんだから自分の動機なんてどうでもいいやと思っちゃう。気になる理由まで深堀りするのは面倒だし、それって戦闘に関係ないから。
ナーサは嬉々として答えた。
「生きてるよ。あれが生きてるって呼べるなら」
「へえ、どんな感じなの?」
「秘密。でもねでもね、オネエサンが知ってるトリクシィはもういないよ。どこにもいない。ジーザスってそういう奴だから」
わたしを追いかけ続けた狂気のトリクシィ。わたしの記憶を追体験して忘我に陥ったトリクシィ。騎士として戦場に舞い戻り、双子の相手を請け負ったトリクシィ。
彼女はもういないのか。少なくともわたしの知る状態では。
最後にトリクシィが言いかけた言葉がなんだったのか、結局分からないままだ。十八年弱のわたしの人生を歩んだ他者は、トードリリーにいる寝たきりの老人フェルナンデスとトリクシィだけ。前者はまともに意思疎通など出来ない。
他人からどう思われてるのかなんてどうでもいいと感じているみたいだけど、そうじゃない自分がいる。戦闘のなかで恍惚に浸っているわたしだけじゃなくて。
冷静なわたし以外、みんな知りたいんじゃないかしら?
「ジーザスはね」とナーサは続ける。「アスターの牢屋番をしてたの。今はヘルメスの研究所を引き継いで、牢屋と研究所のふたつを自由にしてるんだ。趣味が捗るだろうね」
「趣味?」
「最強の生き物を作ること!」
ナーサは随分と愉しそうだ。数々の言葉はこちらにショックを与えるためじゃなくて、自分が言いたくて仕方ないから喋っているように聞こえる。
最強の生き物を作るって、どんなだろう。もし実現してるなら斬ってみたい。きっと愉しいだろうな。その生き物は血を流すだろうか。唸り声を上げるだろうか。ちゃんと生き物らしい反応を示すだろうか。
「その最強の生き物って、この戦場にいるの?」
「いないよ。ジーザスの実験動物は危ないから外に連れ出せないんだ」
「そう、残念」
もしいたら楽しみが増えるのに。まあ、贅沢は言ってられない。今のわたしはナーサを相手にしているわけで、この子はちゃんと強い。強いんだけど、当然シフォンやユランほどじゃないな。あれらと比べるのは酷な話だけど、ナーサは数段下にいる。
なら、わたしはどうか。
さっきからずっと防戦に徹してるけど、なにもしてないわけじゃない。サーベルにまとわせた冷気で徐々にナーサの肉体の自由を奪おうとしてる。でも、見る限り通用していない。冷気は感じてるはずなのに、ナーサはわたしから離れようとしないし、刃の重さも的確さも変わらなかった。
風の刃は至近距離で意味のあるものではないし、炎で一閃するだけの都合のいいタイミングはない。却ってこちらの隙を作ってしまうだけ。
だから、良かったと思う。
これまでのわたしじゃなくて。
これまでっていうのは、冷静なわたしがよく考えてる、ルーツを知る以前のわたしのことじゃない。ごくごく最近のわたしを指す。
氷と炎と風しか使えなかったわたし。
「――雷鳴風花」
サーベルを握る両手に痛みと熱が走る。痺れを通り越したその感覚で、武器を取り落とすことはない。力が弱まることも。持続する熱と痛みがわたしの治癒力におよばないのは把握済みだから。
曲刀と化したナーサの腕がサーベルに接し、火花が散ると同時に声にならない声が迸った。わたしではない。ナーサの悲鳴。
今、サーベルは電流を帯びている。それも、高出力の電流を。
後ずさるナーサの隙を逃さず、サーベルを片手に持ち替えて追撃を加える。シフォンとの戦闘ほどではないけど、それなりに速い剣戟。ナーサは曲刀で防いでいるものの、刃が衝突するたびに顔を歪めた。
やっぱりナーサは偉い。受けるたびに伝播する雷撃をなんとか堪えて防御してるんだもの。だからって手を抜いたりしないのは、しょうがないよね。これは戦闘で、命のやり取りで、お互いの心臓に触れ合う営みだもの。手加減なんてありえない。そんなことしたら、わたしはちっとも気持ちよくなれないから。
だから、偉い偉いナーサちゃんには早くとっておきを出してほしい。心がときめいて、脳が痺れるくらいのを。
「ねーぇ、ナーサ」
苦悶に顔を歪ませるこの子は、返事なんて出来ないだろう。だからこれは一方的に聞かせるだけの言葉だ。
「ガジャラを出して。王都の門を壊した象の魔物。あなたたちの愛の結晶。それとも、ダスラがいなくなってから出せなくなっちゃったの?」
双子の真価は異形の魔物――決して倒せない妄想の産物にある。わたしはそれを相手にしたい。なんならナーサとガジャラが一緒になってわたしを消そうとするのも素敵。
「出さ、ない、よ」
精一杯皮肉な顔をしてみせるナーサは健気だ。とっておきのタイミングまで隠しておくのかな。
まさか、出せないなんてことはないでしょ。だってこの子はダスラの心臓を喰ったんだもの。ひとつになったんだから、粘膜の接触――キスなんてしなくても自由に顕現させられるし、意のままに操れる。そう考えるのが普通。わたしにとっての普通。
『お嬢さん』耳元でヨハンの声がする。それを無視して刃を振るい続けた。『ナーサさんはガジャラを出しませんよ。というより、出せないでしょうな。血族の最前線で操るのが妥当ですからね。すでにお披露目している可能性が高い。そしてナーサさんが後方にいる以上、ガジャラはある程度自律しているのでしょう。北門の人間にとっては恐怖の再現ですね。というわけで、早めに彼女を始末してあげてください』
わたしの感想は、ふぅん、だ。わざわざ説明しなくてもいいのに、とも思う。
ヨハンの言い分はもっともだし、反論の余地もない。でもつまらない。すごくつまらない考え方。
「ねえ、ナーサ。前線にガジャラがいるなら、一旦消して、わたしを始末してから前線にまた出すのはどうかしら?」
我ながらいい提案だと思ったのだけれど、ナーサは歯を食いしばってサーベルに対処するだけで、芳しい反応はない。
この子はこんなに偉いのに、遊び心がないな。いいじゃない、ちょっとくらい前線が混乱しても。
「もし夜会卿に怒られるんなら、わたしが説明してあげるから。代わりに怒られてあげてもいいわよ。だから、ね?」
本当なら一緒に叱られるのが一番なんだけど、生憎それは無理。だって、夜会卿に会う頃にはナーサかわたしのどちらか一方は死んでいる。
そう、どちらか一方。
わたしが勝つとは限らない。
なにせ状況がちょっと変わったから。それまで苦しい防戦を続けてきたナーサが、急に目を見開いてわたしの剣戟に拮抗したんだもの。痺れも痛みも蓄積されてるのに、この子はすごい。たったひとつの単語であっという間に成長するんだから。
夜会卿。
陰惨な逸話をほしいままにする北門襲撃部隊の総大将は、どうやらナーサにとって随分大事なひとらしい。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。夜会卿に仕えている。黒の血族と人間のハーフ。戦争において夜会卿第一部隊に所属。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『ダスラ』→人間と血族のハーフ。ナーサとは双子。夜会卿の手下。ナーサと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を曲線状の剣に変化させることが可能。トリクシィと戦い、死亡。その後肉体をナーサに摂取された。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『落涙のトリクシィ』→騎士団ナンバー3の女性。涙を流しながら敵を蹂躙する。見習い騎士に圧力をかけて精神的にボロボロにすることから、「見習い殺し」の異名も持つ。傘の魔具「深窓令嬢」の使い手。王都を裏切ったクロエとシンクレールを討ち取ったことになっている。大量の魔物による王都襲撃以降、生死不明。詳しくは『92.「水中の風花」』『250.「見習い殺し」』『幕間.「王位継承」』にて
・『トードリリー』→クロエが子供時代を過ごした孤児院がある町。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『フェルナンデス』→孤児院の地下で看病されている、寝たきりの老人。トードリリー出身であり、王都で騎士をしていた過去を持つ。実体を持つ幻を創り出す魔術『夢幻灯篭』を使うことにより、トードリリーの夜間防衛を担っている。創り出す幻は、『守護騎士フェルナンデス』『従士パンサー』『愛馬ロシナンテ』の三つ。『夢幻灯篭』とは別に、魂を奪う力も持っており、幼少時代のクロエは彼に魂を奪われたことがある。戦争においてイアゼル侯爵含め、残党の魂を奪った。詳しくは『第三章 第三話「夜の守護騎士」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ヘルメス』→かつてのラガニアでトップクラスに優秀だった魔術師。ねちっこい性格で、人付き合いの苦手な男。もともと魔術学校で講師をしていたがクビになり、一時期ガーミール公爵に雇用されていたが、彼が零落したことでドラクル公爵に鞍替えした。オブライエンの犯罪的魔術を看破し、彼の右腕と左足を木端微塵にした過去を持つ。血族化して以降は夜会卿に仕えていたが、ニコルによる襲撃以降、四代目となるガーミールに鞍替えした。死を契機に、事前に契約を交わした相手に成り変わることで不老不死を実現する異能を持つ。対象者はヘルメスの記憶と肉体と魔力をコピーした、ヘルメスそのものとなる。その際、相手の持つ魔力も上乗せされる。夜会卿の支配地であるアスターに訪れたルイーザの精神を叩き折って泣かせた過去を持つ。ヨハンの提案により、オブライエン討伐ならびに戦争での人間側の勝利後には、四代目ガーミールの部下とともにグレキランスに残り、アルテゴのワクチン研究をすることに合意。オブライエン討伐を見届けるべく、アリスの片目を介してウィンストンと視覚共有をしている。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ガジャラ』→双子の血族であるナーサとダスラが粘膜を接触させることによって姿を現す怪物。死亡したダスラの肉を体内に摂り込んだナーサにより、粘膜の接触の制約は取り払われた。見た目は単眼のマンモス。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて




