Side Xiaogui.「鬼人の来し方」
※シャオグイ視点の三人称です。
煙宿からの援護部隊のうち、もっとも早く敵陣に切り込んだのはシャオグイだった。敵軍の右翼に配置された魔物たちを鉄扇で屠りつつ、頭に浮かぶのは戦場と無関係のことばかり。ヨハン――もといメフィストとの甘やかな思い出も含まれているが、大抵は別のことだ。
シャオグイはよく夢を見る。
『さっさと出てかんと、いてまうぞ!』
大抵、故郷の里長の言葉で夢がはじまる。声が呼び水となって、里の景色が夢の水面に映った。
毒色原野を見下ろす深山。かつてはそこに、オーガの里が存在した。故郷で少女時代を過ごしたシャオグイは、周囲の大人たちから手の付けられない子供と見做されていた。分からず屋。暴れん坊。狂犬。そうした不名誉な呼ばれ方ばかり。彼女自身も自分が癇癪持ちだと理解していたし、ひねくれている自覚はあったので、聞き慣れたものだった。大人たちもシャオグイを忌避するのではなく、手を焼かされるのを楽しんでいた節がある。なにしろ自分たちの子供なのだから大事に思うのが普通だろう。
シャオグイには父も母もいない。自分を産んだ女と孕ませた男はいるが、親や家という区分自体、里にはなかった。里で産まれた子供は皆、里の子供。だから全員で育てるし、どこの家にも平然と出入り出来る。所有の概念が乏しかったのか、夫や妻という役柄もなく、家や道具類もすべて共有物だった。あらゆる事物が里に包摂されていたとでも言おうか。シャオグイの癇癪も、そうした里の習俗に甘えていたのかもしれない。彼らは誰も排斥しないから、安心して暴れられた面はあったろう。自ら里を去る者は過去にいたらしいが、里のほうから誰かを追放するなんてなかった。つまり、シャオグイはたったひとりの例外になったのである。
里長の追放宣言は唐突に下された。直近で叱られるような真似をした記憶がないにもかかわらず。
シャオグイは売り言葉に買い言葉で、里を出ていった。ひどくむくれながら。出ていけと言われて、残りたいと返すのは腹が立つ。なぜ、と聞くのも執着心を見せるようで嫌だ。本心では里で暮らしていたいのに、ムキになった。ただ、一ヶ月もするとさすがの彼女もなんだか寂しくなって、こっそり里へトンボ返りしたのである。
帰らなければ、なにも知らずにいられた。まったく別の人生があった。そんなふうに振り返るときがある。
破壊された家々。夥しい量の、赤と黒の血。折れた武器の数々。
里には誰ひとりいなかった。誰も。牛や鶏、畑は一切荒らされていない。里の人々だけが、目を覆いたくなるほどの血痕を残して消えている。赤い血はオーガのものだ。では黒い血は何者の流したものか。それを知ったのは長じてからである。
シャオグイが変わったのは、おそらくこのときだろう。それまでの彼女も暴力的ではあったが、他者を殺めはしなかった。やっていいことと駄目なことの弁えはちゃんと持っていたのだが、もう里はない。みんな誰かに殺された。死体がないのは喰われたから。そんなふうに彼女は考えた。
下手人を探す旅のなかで、彼女は何人もの人間を殺め、他種族を殺め、喰らった。はじめは怪しい奴に限って惨さを見せつけたのだが、いつしかそれも歯止めを失ってしまったのは、ひとえに彼女の噂が広まったからだろう。里について訊ねる前に、相手が刃を向けてくる。逃げても追ってくる。殺すほか、彼女に選択肢はなかった。やがてそれにも飽きて、というより疲れ果て、別の目標を持って行動することとなる。
のちに千夜王国と呼ばれる、絢爛豪華な町の建立。人間の地で、人間の労働力で、里を再現しようとしたのだ。町のあちこちを瀟洒な誂えにしたのはシャオグイの好みである。あくまで風習だけ里と同じであればいいと思った。脆弱な人間に、オーガに近い力を持たせるため、今はなき里の作物である仙境杏子を与えたのだが、それが人間の肉体では寿命を著しく縮める代物だと分かったのは後になってからである。町を建てて約三年後、仙境杏子を口にした者は次々と死んだ。すっかり死に疎くなっていた彼女は、里の再現は無理だったと悟り、町を破棄したのである。
それからの日々は暇潰しに近かった。長い寿命を無為に減らす毎日。ひとに化けて悪事を働いた回数は覚えていない。ただ、そのせいでオーガという種が曲解されたのは確かだ。血呑み、鬼人、生き肝食い、黒痣、などなど。残虐な存在として語られているが、どれもシャオグイの所業を指している。あらゆる噂話がそうであるように、誇張を多量に含んで。
黒の血族についての話は聞きおよんでいたが、その血の色は知らなかった。グレキランスを放浪していた血族と知り合い、彼が負傷したのを見て、嗚呼、と息を吐いたものである。熱く、飢えた息を。それから彼に諸々の事柄を問いただしたのである。オーガの里を襲撃した血族に焦点を絞りつつ。彼も詳しくは知らなかったようだが、身体を裂かれ、四肢をもがれる過程でようやくそれらしい情報を吐いてくれた。
アスター。夜会卿。人外狩り。
血族の男から必要なことを聞き出すと、シャオグイは一路アスターへ駆けた。毒色原野を突っ切って、だ。彼女が毒霧に侵されなかったのは偶然である。そしてアスターで暴れまわった彼女が拘束され、拷問される次第となったのは必然だ。何日も、手を変え品を変え繰り返される残虐な遊戯。オーガの里を襲ったのはアスターの血族ではないが、彼らの売られた先がアスターであり、すでに全滅してしまったと知ったのは、すっかり拷問に疲弊してからのことで、半死半生の彼女の心になんの怒りの炎も灯さなかった。
嬲られる自分を眺めていた男の顔は、生涯忘れないだろう。後ろに撫でつけた黒髪に、虚ろな目。あいつはこちらの呻き声のなか、いつだって淡々とワインを呑み、肉を食っていた。どんな趣向の拷問だろうと眉ひとつ動かさず、整った所作で食事をする。ゆっくり、ゆっくり、食らう。食事の終わりが拷問の終わりでもあった。
夜会卿ヴラド。アスターの頂点に君臨する男。正真正銘の不死者。
夢の終わりはいつも、拷問の場面だ。メフィストとの出会いや、彼とともに檻を脱出してからのことは含まれていない。麗しい記憶は夢のなかには存在しなかった。
「貴様は何者――」
現実の声で追想を打ち切る。ついでに声の主の首も刈り取った。
あちこちで敵襲だのなんだの、しゃらくさいことを叫んでいる。それら全部を聞き流し、シャオグイは鉄扇を振るった。足が軽い。腕が羽のよう。鉄扇の切れ味は常より鋭い。五感も天井知らずに敏感になっていた。
オーガの間でのみ伝えられている魔術がある。名を冥途献身。発動してから、効力の範囲内で生物が死ぬたびに力を増幅させる魔術。血族がグレキランスに踏み入ってからずっと維持し続けた魔術である。範囲はグレキランスの大部分。前線基地の大量死も、マグオートの死者も、すべて彼女の糧だ。北門で散りゆく命も例外ではない。
中央右翼の血族は逃げる暇もなく次々と殺されていた。シャオグイはすでに人間に擬態するのをやめ、普段の身体――額に突き出た一本角と、肌を這う黒い痣を露出させている。それでいて返り血ひとつ浴びていなかった。
「お前ら、大人しくしろ。そこの人外は俺様が相手にする」
血族のなかから、真っ白な長髪に黒のコートを羽織った男が歩み出た。猛烈な勢いで棘鉄球を振り回しながら、当人は蕩けた顔をしている。
はためくコートの内側に、いくつもの器具が見えた。返しのついたナイフ。手斧。錐。鞭。
この男からは血の臭いがする。それも、一方的な血の臭いが。
シャオグイが機嫌を損ねたのは当然だろう。
「俺様はエドモンド子爵。これからたっぷり痛めつけて――」
エドモンドの髪を掴んで、シャオグイはしばし覗き込んだ。それから、ひどく雑に放り投げる。切断したばかりの生首を。
「エド……なんて? ま、どうでもええどす。死人の名前なんて興味あらへん」
血族約五百名。魔物約五千。それらを全滅させるのにかかった時間は十数分程度だった。これでも随分ゆっくりやったつもりである。
かくして中央右翼に展開していたエドモンド子爵の部隊は全滅に至った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『毒色原野』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『オーガ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族。血呑み、鬼人、生き肝食い、黒痣などの別称を持つ。肌に這う黒い紋様と、額の角が特徴。残酷な種族とされている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『千夜王国』→百年以上前、辺境の峻厳な岩山の中腹に突如出現した城郭。一本の塔のような建造物が中心となって形成された絢爛豪華な町。シャオグイが寒村の人々をそそのかし、一年で建造させた。滅亡した理由はシャオグイが城主としての生活に飽きたからとされる。詳細は『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『仙境杏子』→『千夜王国』付近の老木に成る果実。三日は不眠不休、飲まず食わずで走れるといった神秘的な効能を持つ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『冥途献身』→シャオグイの扱う特殊な魔術。発動以後、一定範囲内の死者の数に応じて力を増大させる。ゾラ討伐のためにお膳立てされたものの、結局発揮されることはなかった。詳しくは『841.「不退転」』にて
・『前線基地』→王都北東の山脈にほど近い場所の山岳地帯に作った、戦争における要衝。血族の侵入経路と王都を直線上に結ぶ位置にあるため、全滅は必至であり、足止めの役割がある。総隊長としてシンクレールが配備されている。簒奪卿シャンティおよびシフォンの襲撃によりほぼ壊滅した。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて




