Side Vlad.「千年前の遊戯を」
※ヴラド視点の三人称です。
北門襲撃部隊の中央。猫足の椅子に腰かけた夜会卿ヴラドは、多少愉快な気分になっていた。度重なる不愉快があれど、今このときは熱中している。彼の心に萌した熱意は懐かしさに由来していた。そして現に、彼にとっては麗しい記憶を思い出してさえいたのである。
千年前、ラガニア城で催されたパーティ。その日、ヴラド少年はかつてのイブ令嬢にぶつけるためにダンゴムシを集め、そして実際彼女に直撃させたのだ。逃げるイブを追いながら、何度も。手持ちのダンゴムシが尽きてからは単なる追いかけっこになったものの、楽しかった。とても。
ヴラドはその記憶だけを切り取って額に飾りたいくらいの気持ちでいる。大切な思い出というのもあるが、忌々しい出来事と繋がっているので、どうにかして愉快な箇所だけを保存したいのだ。
ヴラドは片手にワイン、片手を膝に置いていたが、感覚としては少年時代のように、両手に持ったダンゴムシを放っているあのときに近かった。彼の左右には巨大な漆黒の手が浮かんでおり、それぞれ忙しなく動いている。丸まったスピナマニスを掴んでは、標的に向かって投げていた。闇色の両手は魔術の産物である。むろん、一切の動作は自動ではなく、ヴラドの制御下で為された。少々規模の大きくなったダンゴムシ投げを自動化するなど、遊びの楽しみを自分自身で損なうというものだ。なかなか標的に命中しないし、敵の防御魔術に阻まれもするが、それもまた一興。最前までの不快を帳消しには出来ないが、いっとき忘れさせるくらいの面白味はあった。
まず不快の一点目。スカーレットの離反。レミントンが殺されたのは仕方ないとして、スカーレットがあからさまに空中の蝙蝠――つまりはこちらに中指を立てたのは不敬も甚だしい。その後、自殺同然に人間たちへと身を捧げたのも苛立つ。命なき者は拷問出来ない。
不快の二点目。デボン男爵の自滅。戦場において絶大な効力を持つ貴品を持ちながら、奴はあえてそれが破壊されるよう事を運んだように思えてならない。デボンの貴品を封殺出来る手合いが要因ではあっても、破壊を防ぐ方法はいくらでもあったろうに。毒石を呑み込んで怪物化した挙げ句、自軍を殺戮したのだから始末に負えない。その場の人間とデボン軍の者が協力して討ち取ったようだが、あの有能な魔術師が死んだのも不快を強める要素になっていた。生きていれば捕獲するだけの価値があったものを。生き残ったのは雑魚ばかり。デボン軍の残存兵は相変わらず人間に協力しているようだが、それはヴラドにとってどうでもよかった。デボンの身から出た錆である。離反者には違いないが、主君があれでは翻意するのも致し方ない。なにより、大した脅威ではないので関心も薄かった。
最後の不快。ザレハドラの退却。シキには期待していたのだが、たったひとりの人間相手に実質敗北するとは。しかも、あの全的弱者であるザレハドラが身を挺して守ったのは滑稽である。あれでシキが再起して、再び人間狩りに猛進するのなら良かったのだが、あろうことか連中は前線から離脱したのだ。おそらくもう戦うまい。ザレハドラの引き連れていた一部の魔物も、彼らの周囲に柵のように張りめぐらしているあたり、戦意はなかろう。ザレハドラが一顧だに値しない男であるのは先般承知していたが、シキも同類だとは嘆かわしい。なにより、体裁上は一時撤退なのが気に食わなかった。戦場から離脱したなら敵前逃亡と見做して処断することも出来よう。小癪だ。図体以外、なにからなにまで矮小な男。
そろそろワインが減ってきたな、と思ったところで、横合いから「失礼します」と癖毛の男がボトルを捧げた。そしてこちらへの目配せののち、無言でワインを注ぎ入れる。適量でボトルを持ち上げる手付きから、主君の斜め後ろに下がる歩調まで、すべてに瑕疵がない。後方部隊に控えるナーサの代わりに、一時的な側仕えを進言した官吏である。名はエール。道化師エールなどと呼ばれているようだが、ヴラドの見る限り道化じみたところはひとつもなかった。対応力に優れた男という印象である。貴人の側近をした経歴はないらしいが、礼節はもちろんのこと、所作も完璧。いまだ拙さの残るナーサと比較すれば退屈ではあるが、どこに出しても恥ずかしくはない。
エールを本隊の人員としてグレキランス襲撃に加えたのは、ほかならぬヴラドである。或る魔術に精通していたからだ。グレキランス一帯を掌握するにあたって必要不可欠とまでは言えないが、重要度の非常に高い魔術である。
その一点を買い、彼を参戦させ、なおかつ常に安全な場所に配置した。北門襲撃にあたっては、ヴラド自身、中央がもっとも安全であると判断している。エールのほうでもそれを心得ているのだろう。
エールが大小様々な悪戯をアスター城で繰り広げていたのをヴラドが関知していなかったのは、彼の耳に入らない程度に事を収めていたに過ぎない。悪戯と呼ぶには悪質な策略――上司を失脚させるだとか――については、自分の名が決して出ないよう計算高く振る舞っていたのも要因である。ヴラドの側でなんらエールを疑っていなかったのはこうした理由からだ。
不意にエールが口を開く。あえて抑揚を消した平板な声だった。
「交信魔術師より、人間が中央の魔物を突破したとの報せです」
「ナーサに伝えよ。ガジャラを顕現させ、突撃するように。我が軍の全魔物に対し、ガジャラを先頭に進軍開始を命じよ」
「はい」
交信魔術の受信も送信も、エールはお手の物だ。側仕えとして充分以上の存在である。
間もなくして、前衛部隊の方角から土煙が舞い上がった。蝙蝠経由の視界に、夜闇に出現した巨象が映る。
ここからが狩りの第一段階だ、とヴラドは内心で独白した。デボンやシキの突出は狩りのうちに入らない。レミントンは残り二機まで砲台を破壊したので、おおむね邪魔はなくなったと言えよう。たかがふたつの砲台なら無視してもかまわないが、最小限の力で蹂躙するのが至当。人間がどんな兵器を用意しているか分からない。
ワインを波立たせてから嗅ぎ、少々口に含む。酔いはしない。アルコール濃度に依らず、酔わないと決めればヴラドは酔わない。酔うと決めれば、一滴でも酩酊する。そのような身体であることを、彼は一度たりとも忌々しく感じたことはなかった。望んでこうなったのだから文句などあろうはずがない。
後方の連中もようやく動き出したのを視認する。真っ直ぐ突撃してくるならベアトリス軍が標的になるはずだが、案の定、そうはならなかった。多くが左へと迂回している。右へ向かったのはひとり。残りの人数でベアトリス軍を叩くつもりか。サフィーロが生き残ってくれればそれでいい。あるいは裏切りの証明が得られればかまわない。もしサフィーロが殺されかねなくなれば、そのときは直々に動くだけのこと。
思考をめぐらせた直後。
「中央部隊で防御に適した人材を見繕って、エドモンド子爵の助力に――」
いや、と考え直す。遅きに失した。
「訂正する。中央部隊の右翼に防衛の人材を固めろ」
「はい」とエールが答えるのも、中央部隊が彼の指揮のもとで陣形を変えるのもヴラドの意識の外だった。
妙な奴が人間側に紛れ込んでいるとは思っていたが、まさか、以前アスターの牢獄に閉じ込めていたオーガだとは。まず間違いなくメフィストの手引きだろう。
左に迂回した兵員は囮だ。あわよくば包囲の一翼を担わせる狙いもあるはずだが、それは幸運なケース。右の暴力装置シャオグイが本命――ではあるまい。あれも囮。人間側にメフィストがいる以上、蝙蝠を用いて一切を目にしているのは知れたこと。
ならばベアトリス軍を襲撃する部隊が本命か?
となると少々困る。サフィーロが殺される可能性が高い。なお悪いことには、ここを離れるという選択肢がシャオグイの存在によって潰えた。あの人外が右におり、これから中央に切り込んでくるなら動くわけにはいかない。中央部隊すべてを後方に移動すれば話は変わるが、前衛部隊の背後が空く。
指を咥えて釘付けになっていろ。そんなメッセージか。
不愉快だ。獲物をみすみす逃すのは。
しかし、それも織り込み済みなのだろう? メフィストよ。
こちらが痺れを切らして後方に向かうか、あるいはシャオグイの制圧に人員を割くかするのが真の狙い。
だとしたら浅はかだ。見えている罠に飛び込む馬鹿がどこにいる。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『イブ』→魔王の名。ラガニア王の三女だった。ラガニア王直系の生き残りは彼女のみ。肉体は成熟した女性だが、精神は幼い状態のまま固定されてしまっている。魔物を統率する力を有する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『スピナマニス』→アルマジロに似た魔物。家屋ほどの大きさの中型魔物。外殻には鋭いトゲが生えている。標的を見つけると身体を丸めて転がるように突進する。詳しくは『281.「毒食の理由 ~獣の片鱗~」』にて
・『スカーレット』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。神眼の異名を持つ交信魔術師だが、とぼけた性格。遠方の物体を魔力の程度や種類、機構も含めて看破するだけの能力を有する。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『レミントン』→黒の血族。戦争において夜会卿の本隊に所属。射撃王の異名を持つ弓の名手。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『デボン男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。怪奇趣味の男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『毒石』→不純物が入り混じった『固形アルテゴ』。肉体を怪物化させる効能がある。詳しくは『920.「危険物を背に」』にて
・『シキ』→黒の血族で、ザレハドラ男爵の側近。ザレハドラの貴品の実質的な所有者。線が細く、小柄で眼鏡をかけた男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ザレハドラ男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。豪放磊落な態度と大柄な見た目に反して小心な男。側近のシキに貴品を与え、自分の代わりに戦ってくれるよう懇願した。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ナーサ』→人間と血族のハーフ。ダスラとは双子。夜会卿の手下。ダスラと粘膜を接触させることで、巨大な怪物『ガジャラ』を顕現させられる。片腕を弓に変化させることが可能。死亡したダスラの肉を体内に摂り込み、粘膜を接触させることなく『ガジャラ』を創り出す力を得た。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『アスター』→夜会卿ヴラドの統べる街。グレキランスよりも広く、発展している。金貨に代わる貨幣制度として、ドラクル紙幣が使用されている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ガジャラ』→双子の血族であるナーサとダスラが粘膜を接触させることによって姿を現す怪物。死亡したダスラの肉を体内に摂り込んだナーサにより、粘膜の接触の制約は取り払われた。見た目は単眼のマンモス。詳しくは『第二章 第八話「騒乱の都~①亡霊と巨象~」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。クロエにより、血族であるベアトリスの指揮下での戦争参加を余儀なくされた。クロエに対し、ある程度心を開いていたが、彼女が感情を喪失したことにより関係が破綻。詳しくは『第三章 第四話「西方霊山~①竜の審判~」』『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『エドモンド子爵』→黒の血族で、ラガニアの子爵。拷問趣味の男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『オーガ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族。血呑み、鬼人、生き肝食い、黒痣などの別称を持つ。肌に這う黒い紋様と、額の角が特徴。残酷な種族とされている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて




