1022.「行動開始」
スピネルが撃たれ、わたしたちが後方の兵士と合流してから一時間半ほど経過していた。この間、勝手な行動を起こした者は誰ひとりいない。全員がその場に留まったきり、なんの動きも見せなかった。
遥か北門の方角から届く小さなざわめきは、人間の上げる鬨の声だろう。一時間半の間、波音のようにその微音が寄せては返した。
北門から見て左に逸れた方角を睨むアリスを横目に、きっと苛立ってるだろうな、と思う。敵を目前にしてお預けなのだから、戦闘狂には耐えがたいものがあるはず。けれども大人しく従ったのはヨハンの言葉が効いたからなのか。
約一時間半前の彼の言葉を思い出す。
『我々が動き出すのは、前線が乱れてからです。人間側も血族側も入り乱れての混戦が生じてから、と言ったほうが分かりやすいですかね』
異を唱えたのは当然アリスだ。彼女はいかにも不満げにヨハンへと踏み出す。
『せっかく背後を取ってるんだ。こっちが先に仕掛けたってかまわないじゃないか。そうすりゃ、門の兵士だって助かるだろ。アタシらと北門の人間で挟み撃ち出来る。最初からその作戦だったろう?』
『作戦自体に変更はありません。煙宿の人員を使って包囲網を形成し、北門の戦闘を可能な限り有利に運ばせる』
『なら、さっさとはじめようじゃないか』
ヨハンはひらひらと手首の先を上下させる。まあ落ち着いてください、と。
『早々に動くのは悪手です。門に面する敵部隊は防御に徹するでしょうな。その間に、我々が先に処理される。なので、動くのは機が熟してからが適切です』
処理という言葉を聞いて、わたしが思ったのはひとつだ。そのつもりならすぐに敵が動く、と。頭上に展開された蝙蝠の目が文字通り夜会卿の目であることはヨハンから聞いている。アリスをはじめ、煙宿の面々は知らないのだろうけど。
『それじゃ、指を咥えて待ってろって? ヨハン。まごまごしてるうちに北門が落とされるんじゃないかい? どんな強力な兵器があったって、単純な物量で押されたら敵わない』
一理ある。血族と魔物が一斉に突撃したら砲台や白銀猟兵があっても対処しきれないだろう。
が、ヨハンはそのように読んでいないらしい。
『物量勝負には出ませんよ、夜会卿は。じっくり、いたぶって殺すのがあの男の趣味です。加えて、無策な突撃を選ばない理由はほかにもある。彼らにとって北門突破は本番ではありません。むろん、それぞれの門が防衛の要であるのは察しているでしょうが、壁の内側は未知。砲台や白銀猟兵以上の兵器が潜んでいると考えるのが自然というものです。なので夜会卿は、魔物はともかく、血族の被害は最小限に抑える戦略を立てるわけでさあ。犠牲覚悟の特攻の線は限りなく薄い』
『だとしても』とアリスが食い下がった。『アタシらが動く前に敵の前衛が北門の兵士を皆殺しにするかもしれないじゃないか』
これについてはなんとも言えないところがある。わたしだって敵の勢力の全貌は知らないのだ。
『人間は弱いですが、しぶとい生き物です。守るべきものを背後に負っているとなれば、なおさら力を振り絞る。流血覚悟で戦う意志があるはずです。アリスさんと似た心性ですね』
これにはアリスも閉口せざるをえなかったらしく、以降は異論を唱えなかった。
わたしとしては、ヨハンの語る根性論とでも呼ぶべきものに信を置いていない。弱者は強者に淘汰されるのが摂理だ。意志云々では覆せない。しかしながら、弱さを前提に策をめぐらすのは可能であり、ある程度の差は戦術で埋められるのもまた事実だ。
「そろそろ頃合いですね」とヨハンが隣で呟いた。
こちらには夜会卿の蝙蝠にあたる、全体を俯瞰する目はない。しかしながら戦況はある程度分かるのだ。北門の交信魔術師が垂れ流す情報は、幸いにもナルシスが拾える範囲にあった。思いのほか善戦しているようだと評価出来る吉報がふたつ。北門の左方に生じた、血族の突撃という異変の除去。そして、右方の敵将の敗退。それを補って余りある凶報――砲台がほぼ破壊し尽くされたこと――も伝えられたが、ヨハンはさして動じなかった。考えてみればそれも当然で、ヴラドの手下である蝙蝠が今夜に至るまでなにもしなかったわけがない。砲台を徹底的に観察したはずであり、突破口を見出していると読むべきだ。二機だけ残存したのは、砲台の破壊者が撃破されたことを意味する。これも吉報のひとつと捉えていいかもしれない。
「さてさて、作戦のおさらいです」
ヨハンは煙宿の人員に向き直る。そのなかには紫色の肌――血族も含まれていた。実の兄を殺した夜会卿への復讐に燃えるマヤである。
「まず、総員の三分の二は迂回しつつ敵中央部隊の左側面を叩いていただきます。リーダーはアリスさん」
アリスは神妙な顔で浅く頷いた。若干眉間に皺が寄っているのは、他人の立てた作戦で動くのに抵抗があるからだろう。彼女の性格を鑑みれば、その程度の反感に留まっているだけマシというものだ。
「次に、シャオグイさんは単独で中央部隊の右側面を撃破してください。アリスさん同様、迂回をお願いしますよ。その後は私が合図を送るまで右で待機を」
「ええどす。メフィストはんの言うことなら、ウチ、なぁんでも聞きますよって」
戦場に似つかわしくない派手な着物を崩したシャオグイが、露骨にヨハンを見つめた。わたしのほうは一瞥もしない。たぶん、煙宿を出るときに気付いたのだろう。わたしが以前のわたしと決定的に異なることに。煽り甲斐もなければ恋敵にもなり得ないわたしは、もはや彼女の眼中にないといったところか。もしわたしに感情が残っていたなら、ここでシャオグイと口論したに違いない。樹海でのときとは比でもない掴み合いに発展していてもおかしくはなかった。それくらい以前のわたしは間抜けで無駄なのだ。
「クロエお嬢さんは真っ直ぐ中央を目指してください。道中の露払いをしつつ、です。わたしとマヤさんも同道しますが、期待しないようにお願いしますね」
もとより誰かに期待するつもりはない。ヨハンなら敵の邪魔立ては可能だろうが、最低限しか助力しないと宣言していた。
マヤは別の理由で戦力にならない。彼女は公然と『わたしはヴラドしか相手にしないから。ムカつく奴がいたら別だけど』と口にしていた。敵側にいるというだけで殺す理由にはなりそうなものだが、彼女としては夜会卿以外の同族に手出しする気はないらしい。
「スピネルさんとナルシスさんはここで待機を。危なくなったら煙宿まで最高速度で撤退してかまいませんので」
ヨハンの言葉に、ナルシスが躊躇いがちに頷いた。スピネルは負傷した肩に薬草を貼り付けた状態で横になっている。その目はきつく閉じられていて、この一時間半、なにも言葉を発さなかった。
スピネルとナルシスはお役御免だ。居残る意味もない。命が惜しければ早々に煙宿へ帰還すべきだろう。ヨハンも、二人を留めるつもりはないようで『帰還してもいいですよ』と何度か口にしていたが、ナルシスが容れなかったのだ。スピネルの手当てをしながら、『なにも見届けずに帰るつもりはないよ』と消え入りそうな声で呟いたのを記憶している。
「それでは、行動開始です」
ヨハンの声とともに、まずシャオグイの姿が一瞬で消えた。そしてアリスも兵士を伴って去っていく。
それを見送るでもなく眺めるわたしに、ヨハンが何度目かの警告を送った。
「くれぐれも夜会卿を侮らないでくださいね」
「ええ」
「彼は不死者なだけではありませんから。ユランさんにはおよばずとも、それなりに強い」
「分かってる」
不死の異能だけでなく、彼は魔術師なのだ。そして蝙蝠を使役している。そのあたりの情報は、この一時間半の間にヨハンが明かしてくれた。使役方法が特殊なのだと言ってはいたが、内実までは聞いていない。
「それでは我々も進みましょう。まずは――」
足を踏み出しながら、ヨハンは前方を指さした。
「ベアトリス卿を襲撃するところからです」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『スピネル』→二度目の『霊山』来訪で出会った、薄黄色の鱗の竜人。臆病で、長いものに巻かれる性格。クロエが無理やり『霊山』に押し入ったことにより、門番をしていた彼も裁きを受ける手はずになっていた。クロエが竜人の族長となったことで無罪放免となり、それから彼女を「至高の星」と呼んで心酔し、自ら下僕関係を望んだ。「至高の星」とは、竜人を含めた世界全部を良くする存在なんだとか。詳しくは『第四章 第二話「幻の森」』にて
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。実は防御魔術のエキスパート。王都の歓楽街取締役のルカーニアと永続的な雇用関係を結んだ。ラガニア随一の魔術師ヘルメスに弟子入りし、影の魔術を会得。詳しくは『33.「狂弾のアリス」』『Side Alice.「ならず者と負け戦」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『ナルシス』→王都の騎士団に所属している交信魔術師。自信家で演技口調。しかし交信魔術の腕前は送受信ともに優秀。また、元真偽師。観察眼と魔力察知にも長けている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー①前線基地ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。雷の魔術師。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。夜会卿への復讐のため人間側に寝返った。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使用し、有翼人をそそのかした。生命を犠牲にして力を得る丸薬を所持。武器として鉄扇を扱う。身体能力が並外れて高い。メフィスト(ヨハン)に執心している。かつて夜会卿に囚われていた頃、隣の牢屋にいたヨハンに恋をしたのがきっかけ。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』『886.「かつての囚われ人たち」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




