Side Jack.「猛る正義の盲信者」
※ジャック視点の三人称です。
金属音が絶えず鳴り響き、火花の光が血液の赤を中空に映し出す。再びはじまった剣戟は最前同様、真っ向からの攻撃である。シキは策を弄さない。一太刀で命を両断する斬撃の連続。必然的に後退しつつの防戦となっている状況もまた、先ほどと変わりない。シキの剣を捌ききれずに負う傷も、数えるのが億劫になるほどだ。
このままでは死ぬとジャックは分かっていた。流れた血も、負った傷もこちらだけ。シキは無傷だ。防御に徹してもいずれ命は尽きるだろう。イチかバチかで攻勢に転じても明るい見通しはない。シキを討つならば――厳密には血族を討つならば――刺突一撃では致命に至らないはずだ。それこそ、一刀で首を刎ねるくらいしなければ勝ち得ない。
レイピアは刺突に特化した武器であるが、ジャックにとってはその限りではなかった。斬撃も繰り出せる。骨を断つほど鋭い一撃も可能だ。しかしながらシキには一切の隙がない。相討ち覚悟で刃を振るっても、死ぬのはこちらだけだろう。剣士の端くれだからこそ、シキの首を落とすのがいかに難事かも理解出来てしまった。
今のところ、可能性はゼロだと感じている。
なら諦めるか。諦めているがゆえの防戦か。
そうではない。ジャックは王都の人々を助けるべく戦地に立っている。自らの信義に基づいて。この一場において、彼の正義は言うまでもなくシキの討伐に焦点が絞られていた。
刃が打ち合うごとに、火花が迸るごとに、己の血が流れるほどに、心臓が鼓動を強くする。もっと速く、もっと鋭くと全身が叫んでいる。
ほとんど一方的に嬲られている状況にもかかわらず、ジャックは成長を信じた。もし勝利の可能性が仄見えるとすれば、自分が今よりシキの力に近付いたときに違いない。彼は強さという意味において、ひとつところに留まっている。それも当然のことで、自分よりもずっと弱い者を相手にしているからだ。彼にとっては、すでに決着のついたも同然の戦闘だろう。より高みへ昇ることはない。一方でこちらは真逆の立場にいる。圧倒的な猛者の前で、いまだ死なずに切り結んでいるのだから、否応なしに実際以上の力が引き出されるものだ。シキの速さに追い縋り、刃の威力も上昇していく。
ジャックはより高みへと、猛烈な速度で昇っていた。シキの位置まで到達出来ないのは先般承知の上だが、ほんのひと欠片であれ勝利の可能性が芽吹く瞬間を、文字通り命を散らして待っていたのである。
何分経ったろうか。
一秒後には全身が脱力して身動き出来なくなるだろうという感覚のなか、ジャックは戦い続けていた。一秒が経ち、それでもなお倒れぬ身体がある。次の一秒もまた、斬り合いのうちに過ぎていく。
いつからか、ジャックは防御のみではなく攻撃も織り交ぜていた。もっとも、シキが対処なければならない箇所への打ち込みに限定される。そして軽々と対応されるのも察していた。分かっていながらも全力で命を狩る攻撃を繰り出したのは、さながらシキの模倣と言えるかもしれない。殺す一撃でなければ、シキは見抜く。見抜かれれば対処もより簡易なものとなろう。その分の余力は応報となってジャックの命を断ったはずだ。
勝利の可能性は漆黒の闇に閉ざされている。心身ともに消耗しているからなのか、甚だ不明瞭なのだ。ジャックはそれをむしろ歓迎している。はっきりとゼロだと断言出来た頃と比較すれば、分からないだけ随分とマシになったと。成長したのかもしれない。強くなったのかもしれない。逆はないだろう。ジャックはただの一撃たりとも、闇雲な攻防をしていない。極度に集中し、シキの繰り出す最適な攻撃を寸分の狂いもなく防御し、存分に威の籠もった攻撃を仕掛けた。
とっくに気付いていたが、もはや視界にはシキと、彼の操る剣以外のなにものも映っていない。戦場では兵士の吶喊が轟いているはずだが、耳に入るのは敵の刃が風を切る音と、レイピアと接する鋭利な金属音のみ。自分の呼吸音さえ、意識の裡に入らなかった。苛烈な速度に慣れた目は、死を目前にした者の見る景色のように、ゆったりと推移している。過度に集中した意識が実時間を追い越して、もっと、と吼えていた。
もっと速く。
もっと鋭く。
敵を滅ぼし、貪り食う、正義の盲信者であれ。
お前は弱い。
弱い、弱い、弱い。だから信義以外のあらゆるものを犠牲にせよ。血を捧げ、傷を寿ぎ、肉を納めよ。強さの階梯において、正義の重りをあえて手放さないというのなら、手でも足でもくれてやれ。欠けた分だけ身軽になった命で、一段一段昇るがいい。痛みに喘ぎ、苦しみに呻きながら。狂気と紙一重の姿であっても、信義を貫く者は強く美しい。お前は美しい。
もはや思考もままならないジャックの目は、肌は、シキの剣戟に一瞬の隙を見た。
こちらのレイピアを弾き、反撃のために踏み込んで袈裟斬りする未来が視えた。シキの剣は肉を断つだろう。だがその刹那の間隙に、首を突ける時間がある。斬られたのち、刺突から一気に刃を薙げば、首は落ちずとも頸動脈は斬りおおせる。
迷う時間はなかった。そもそも迷う理由がなかった。
ジャックは弾かれる前提の攻撃を仕掛け、そして案の定、やや上方に弾かれる。
が、その後のシキの行動はジャックの予測と大きく異なっていた。相手は確かにこちらへと踏み出したのだが、歩度が計算と違う。シキは刃を身体の後ろまで引き、ジャックの懐まで踏み入ったのである。レイピアの刺突によって伸び切った腕では、シキへ攻撃を見舞うことは出来ない。かつ、敵の繰り出すであろう逆袈裟あるいは横薙ぎへの対応も不可能。
ジャックが垣間見た隙は幻だったのか。
否である。
シキはこの戦闘においてはじめて、あえて一瞬の隙を演じたのだ。さしたる覚悟もなく、彼自身の口にした小手先を為したのである。ジャックが意外なほど生き延びていることだけが理由ではない。シキは剣戟のさなか、戦場を俯瞰していた。人間側に動きがあったのを見逃さなかったのだ。彼が執着していた北門中陣のあたりから、一斉に兵士が咆哮を上げて中央突破を仕掛けようとしていたのである。猛者の気配は不動であるが、獲物を取られる懸念があった。血族の前列中央に控える猛将は、必ずや例の猛者に目を付けるだろう。獲物の横取りは彼の考える武においては卑である。それゆえ、早々に決着をつけて中陣に斬り込む必要があった。
ジャックのその後の対応は、決して間違っていないだろう。
瞬時の後退。シキの剣が訪れるより先に射程圏外へ逃れてしまえば重畳。たとえ切っ先が届いたとしても致命傷にはならない。
一度小手先を使ったシキは、またも同じことをした。これまで徹底していた一撃必殺の剣ではなく、二撃で仕留める方針を採ったのである。
伸び切ったジャックの腕。それを切断すれば、次の一撃で殺せる。両手を失ってなお戦える剣士など滅多にいない。そのように修練した者であれば別だが、腕と同時に武器も失う以上、もはや戦えまい。そうした特殊な状況を何度も経験し、戦術に取り入れたならばその限りではないが。
シキの剣は、確かにジャックの残った腕を――手首と肘との間を切断した。
迸る血飛沫のなかで、シキは疑問を感じたろうか。違和感を掴めたろうか。平素の彼なら気付いたかもしれない。だがこのときのシキは意識のいくらかを北門中陣に向けつつあった。勝利への確信ゆえ。
そのような曇った目に映えたのは、大口を開けて前傾したジャックの姿である。
シキが次の一撃を振るう前に、両手を失った剣士は自分のもとへと放物線を描くレイピアの柄を、手首の肉ごと噛み掴むと、一瞬のうちに斬撃を繰り出したのだ。シキの首を薙ぐ軌道で。
ジャックがレイピアを噛み得たのは偶然ではない。斬られると分かった刹那、手首を引き、後退しつつあった身体を前進へと切り替えたのである。
シキの防御は間に合わなかった。ただ、死んだ、と悟ったはずだ。そして現に死んだはずである。なにもなければ。
ジャックの一撃は硬い金属に到達し、力がおよばず制止した。
ザレハドラがシキの身を地面から引き抜くようにして退かせ、自身の背を捧げたのである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジャック』→『タソガレ盗賊団』元リーダー。ハルキゲニアでは帽子屋を名乗り、騎士団長をしていたレイピア使い。魔力察知能力に長けている。現在は『タソガレ盗賊団』に復帰して副団長を任されている。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて
・『シキ』→黒の血族で、ザレハドラ男爵の側近。ザレハドラの貴品の実質的な所有者。線が細く、小柄で眼鏡をかけた男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ザレハドラ男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。豪放磊落な態度と大柄な見た目に反して小心な男。側近のシキに貴品を与え、自分の代わりに戦ってくれるよう懇願した。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて




