Side Jack.「信義ゆえの強さ」
※ジャック視点の三人称です。
呼吸の乱れを抑えられない。身体が意志とは無関係に震える。それでもジャックはレイピアを構えていた。まばたきもしていない。互いの刃が届く範囲から大きく離れていてさえ、シキという脅威から目を離せなかった。およそ十メートル。この程度の距離、敵は一瞬で無にしてしまうだろう。
団員がジャックの名を叫び、走り寄り、切断された左腕を止血しようと処置する間も、ジャックは無心でシキを見つめ続けた。敵の背後で蹲るザレハドラや、魔物の大群にも意識は向かない。
「小手先も武芸のひとつだ」
不意にシキがそう口にした。剣を右手にぶら下げ、全身を弛緩させている。それでいてなお、一切の隙が感じられない。おそらくこの男は眠っているときでさえ、他を寄せ付けぬ気配を漂わせているのだろう。そして寝込みを襲う輩は刃を振り下ろしたときには死んでいる。
「足払い。目潰し。柄打ち。仕込み刀。君が使った爆弾も、不意打ちの発火も、すべて兵法であり、武の領域にある。卑ではない。だが、小手先は剣技の澱となる。刃を曇らせ、やがて傷を招く。今の君のように」
手段を選ばぬ邪道は、研ぎ澄まされた正道の前では無力とでも言いたいのだろう。弱者が口にしたなら負け犬の遠吠えだが、圧倒的強者のそれは真実として響く。現にシキの言葉に間違いはない。ジャックは左腕を失ったのだから。
いつの間にか団員は離れており、傷口はすっかり包帯が巻かれていた。真っ赤に染まった血で汚れているものの、流血は止まっている。
「副リーダー」少々離れたところから、団員がそっと呼びかける声がした。「逃げてください。あれはあんたでも手に負えない。副リーダーは、いや、ジャックさんは……ここで死ぬべき人間じゃない」
人望なんてすっかり消し飛んだと思っていたのだが、どうやら稀有な者もいたらしい。革命前のハルキゲニアに与し、かつて頭領に座していた組織が襲撃されるのを横目で見ていた自分。そんな自分を、ウォルターは許さなかった。許さないまま、再びタソガレ盗賊団に連れ戻したのだ。
『あんたが俺たちの希望であることも事実だ』
ウォルターの言葉である。ジャックという偶像を崇める彼らにとって、自分は聖人であり同時に罪人だった。それらすべてを引き受けて古巣に帰るのを選んだのは誰だったか。
震えが止まる。呼吸が正常に復す。
ジャックは視線を送ることなく、口を開いた。
「シキはここで始末する……。でなければ俺が立っている意味がない……」
逃避を呼びかけた男は、それ以上なにも言わなかった。生き延びるより大事なものがあるのだと悟ってくれたなら幸いだ。長生きしたければ進んで戦地に赴かない。右方と左方に分かれた団員すべてが、程度は違えど同じ覚悟を持って臨んだはずだ。リーダーであるウォルターが、意志ある者のみを集めたのだから。一度目の死――幻想の死から立ち直れた者がいただけでも大したものである。
じき、再び刃の嵐が吹き荒れるだろう。その前に確かめておきたいことがある。
「シキと言ったな……。お前はなんのために戦地に来た……?」
眼鏡の剣士はやはり、顔色ひとつ変えなかった。どんな状況であろうとも、この男は眉ひとつ動かさないのだろう。
「私はザレハドラ様の臣下だ。決定権はない。参戦すると決まったゆえ、グレキランスの地に赴いただけのこと」
シキは背後のザレハドラを一瞥もしなかった。先ほど主君を斬り捨てたというのに、臣下であると言って憚らない。そんな冷徹な彼とは違い、ザレハドラは怒っているのか泣いているのか定かではない表情をした。それでも口を開かず、シキに手出ししなかった理由は不明である。まだ傷が痛むのかもしれないが、血は止まっていた。
ザレハドラの代わりというわけではないが、ジャックが問いを続ける。
「先ほど主君を斬った以上、もはや臣下ではないように思うが……」
「私が武に仕えていると言ったのを聞いていなかったか? 武はなにより優先される。己が意志で参戦したのではないが、戦地に猛者あらば死合うのが、武に仕える者として当然の態度だ」
ジャックは、やはりと思わずにはいられなかった。同時に、憂いに浸った同情が胸を満たす。
「お前が望む強者と戦って……勝ったとしたら、どうなる? その次は……?」
「より強き者を探すのみ」
「戦う相手がいなくなったら……?」
「剣術を磨くのみ」
「いったい、なんのために強くなろうとしている……? そこに信義はあるのか……?」
「武のために武を磨くだけのこと。仮に私が人跡未踏の武の極地に至ろうとも、より高みを目指すのみ。信義などない。武の役に立たぬものは削ぎ落としてきた」
すべて即答だった。そしてジャックの想像と寸分も違わない。
「信義とは、剣を振るう目的だ……。それを持たない刃は過ちを犯す……。これまでも、これからも……」
現に、ザレハドラを斬ったのは過ちだ。味方に刃を向けるのは道理に反する。今のシキにとって、道理など路傍の小石も同然だろうが。
その小石がどんなに豊かで大切なものか、いつか気付く日が来るだろうか。
「信義とやらがなければ振るえぬ刃は脆い。弱者は常にそうだ。自分好みの理屈を積み上げて、なにか知った気になっている。ただひたすらに武を求める私と、信義なる不純物にまみれた君と、どちらが強いか自覚していないのか?」
シキは強い。明白な事実だ。では強ければ信義が不要かというと、まったくそんなことはない。確信を持ってそう言える。
「信義は刃に力と方向性を持たせてくれる……。生きる意味と、進むべき道のりも示してくれる……。俺はグレキランスと直接の縁故はない人間だ……。しかし、一方的に襲撃される者を助けないのは信義に悖る……。それゆえ俺はここに立ち、戦っている……」
タソガレ盗賊団として、グレキランスからの援護要請に応じるか否かの会議は連日開かれた。ジャックも参加していたが、意見はせず、ただ成り行きを見守った。組織としての意志はウォルターが決めるべきである。ただ、個人的に腹は決まっていた。もしタソガレ盗賊団がグレキランスの求めに応じなければ、自分だけ戦地に向かう心積もりだったのだ。クロエが暮らす都市だからというわけではない。彼女の『信義ゆえの強さ』に打たれ、自分もそれに沿って行動するようになっただけだ。
「その結果、君はここで死ぬことになる」
「本望だ……。生死の如何は正義を毀損しない……」
正義は己を縛める重い鎖である。惑いを生む。葛藤を生む。正義に従ったがゆえに、より険しい道を傷だらけで歩むことにもなろう。
それでいい。そうした困難が育むものこそ、信義ゆえの強さだ。
今ここでシキにおよばぬことが分かっていてなお、正義は『進め』と叫んでいる。剣を振るえ、と。
「では、死ね」
言葉と同時に前傾し、疾駆するシキを、ジャックはレイピアで迎えた。
もはや交わすべき言葉はない。あとは互いの武器が語ってくれるだろう。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジャック』→『タソガレ盗賊団』元リーダー。ハルキゲニアでは帽子屋を名乗り、騎士団長をしていたレイピア使い。魔力察知能力に長けている。現在は『タソガレ盗賊団』に復帰して副団長を任されている。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて
・『シキ』→黒の血族で、ザレハドラ男爵の側近。ザレハドラの貴品の実質的な所有者。線が細く、小柄で眼鏡をかけた男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ザレハドラ男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。豪放磊落な態度と大柄な見た目に反して小心な男。側近のシキに貴品を与え、自分の代わりに戦ってくれるよう懇願した。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『タソガレ盗賊団』→『最果て』のマルメロを中心に活動する盗賊団。魔物からの警護をビジネスにしている。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




