Side Jack.「小細工の代償」
※ジャック視点の三人称です。
半身になってレイピアを構え続けたジャックを、一陣の疾風が襲った。シキである。身を低くして疾駆し、間合いを詰めるや否やの斬り上げ。レイピアで刃を逸らそうとも、あらかじめそうなることを知っていたかのように流れる動作で身体を一回転させて横薙ぎが振るわれる。屈んでもなお切断されると判断したジャックが、回避として後退を選んだのは妥当であろう。ただ、それも見越していたのか、空振りに終わった横薙ぎと同時にシキが踏み出す。今度は突きの連続で、レイピア使いのジャックにこそ分がある領域だが、護拳や刀身で逸らすのが精一杯だったのは速さだけが理由ではない。突きの合間に斬撃が斬り下ろしや薙ぎへと変化することがあり、防戦一方にならざるを得なかったのだ。攻撃を仕掛けようものなら、こちらの切っ先が到達する前に致命傷を負う。そのような、一瞬の過ちも許さない刃の嵐が吹き荒れていたのである。
シキの剣戟はジャックの危惧した通りとなった。五分間の再現ではなく、まったく異なる、しかし最適と思われる攻撃が繰り広げられている。一様に速くはあったが、そのなかにおいても緩急がある。剣が身に迫る角度も威力も様々。ただ一点、共通しているものがあるとすれば、一撃たりともフェイントや無駄打ちがなかった。どの攻撃もジャックの命を断つか、もはや戦えなくなるような箇所――利き腕や脚など――を狙っており、斬撃の種類や速度に応じて必要なだけの力が過不足なく込められている。
主君を斬ったことでタガが外れた、とは言えない。幻想の斬撃とは一致しないものの、大幅に勢いが増したわけではなかった。一刀で命脈を断つものでありながら、対処されてから次の攻撃に繋がるまで間髪入れない。その姿勢自体は幻想のシキとなんら変わりなかった。これまでジャックが、決して実らずとも反撃をおこなえたのは幻想のシキを先取りしていたからに過ぎない。もはや、その前提は崩れ去った。判断を誤れば死あるのみ。そして防御以外のいかなる判断も誤りだと思わせる程度には隙がない。
シキの流れるような連撃は、己の武への確信と、それに支えられた即断にあった。いかに対応されようとも、次の一手を導き出す速さ。対処されると分かって放った斬撃はひとつたりともない。ジャックにはそのように感じられた。言うまでもなく、次の攻撃の判断にはレイピアの軌道やこちらの姿勢の崩れ具合、身体の部分ごとの位置や力の方向性まで考慮されている。それらすべてを総合し最適の一撃を振るうことが、シキにとっての武なのだろう。意固地であり、愚直だ。これほど剣技に卓越していなければ、苦もなく倒せたかもしれない。
嵐の渦中で幾度も鮮血が舞った。赤い、人間の血だ。完全には防御しきれず、逸らした刃が身体のあちこちを裂いている。痛みはあれど、いずれも動きが鈍るような深さではなかった。必要最小限の傷に留めたのである。失血で意識が朧になるどころか、却って覚めていくようだった。百回もの死合でシキの剣速と威力についていくだけの総合力は身についている。幻想の死を重ねることで、ジャックは確実に成長していた。今この瞬間も、シキが武と呼ぶものの高みへと、ぐいぐい引き上げられている感覚がある。まばたきひとつで死ぬ状況には変わりなく、攻撃に転じることも出来ていないが、生きていた。生きていると感じる。
生の実感はクロエから贈られた最上の宝物だった。それでジャックの人生が一変したのだ。信義はなく、満足もなく、間違った世界をただ虚ろに漂っていた生命に活路を示してくれたのである。
流血し、喘ぎ、意識を研ぎ澄まし、レイピアを操る。虚無感の付け入る隙などありはしない。信義を持ち、以前の己とは比較にならないほど強くなったというのに、シキに勝てるビジョンはなかった。そもそも想像をめぐらす余地もない。
血族だから強いわけではあるまい。シキだから強いのだ。この男だから強いのだ。然るべき道のりを経たから強いのだ。
そこに信義があるかは、究極のところ分からない。ただ、存在しないと直観していた。シキにとっては信義でさえ不要な重りなのだ。鎧を身に着けないのと同じ理屈だろう。彼は己の武を極度に練磨させるべく、邪魔なものを斬り捨てて顧みない。ザレハドラを無表情で斬った態度にもそれが表れている。武の階梯を昇るためなら、いかなる倫理も道義も両断するのがシキという在り方だろう。
間違っている、と断ずる立場にはいない自覚がジャックにはあった。自分の空虚を埋めるために他人の命を顧みなかった過去があるのだから。
今は違う。違うからこそ、能うならば教えてやりたいものだ。信義がどれほど心を満たすかを。
シキはまだ己が武の途上にいると思っているのだろう。もし彼が、誰も到達出来ない高みに達し、斬り合える相手を失ったら。この世に自分より強い者はなく、求めていた地点に立っているのだと自覚したなら。
そのとき彼の心に生じるのは、虚しさ以外にないのではなかろうか。
武は手段であって目的ではない。しばしばすり替わりがちだが、大抵の者は極点に達することなく命を終えるので、不満はなかろう。だがシキはそうではないように見える。己の信奉するものが目的を欠いていたと知ったなら、失意はいかほどのものか。
誰かのため、なにかのために研ぎ澄ます強さは、精神に凪を与える。人生に意義をもたらす。空虚な部屋を温かなもので埋めてくれる。取り返しのつかないほど間違った世界に生きる同志として、ひと欠片でもシキに有意なものを伝えられたなら、どんなにいいだろう。強さの点ではまるで違うが、昔の自分の鏡像だと感じていた。
ジャックはシキに同情を寄せながら、他方では殺めるのになんら躊躇もなかった。自分が殺される未来のほうが確実性は高いが、機会があれば命を奪うのに迷いはない。シキを野放しにしたならば、北門中陣への道にはいくつもの亡骸が横たわるだろう。相手取るであろうゼールでさえ落命するかもしれない。大将を失った北門の部隊は連携が覚束なくなり、やがては魔物の軍勢と血族の攻勢によってことごとく潰える。敵は夥しい血と死骸の轍を堂々と渡り、門の内側にいる無辜の人々を虐殺するに違いない。瓦礫と化した都になにが残るだろう。
様々な思考が流れては消え去り、現実の剣戟に塗り潰される。
この間、ジャックは何物も見落とさなかった。刃の軌跡、攻撃の起こり、シキの無表情、彼の後方に展開する魔物たち、そして――立ち上がって布袋に手を突っ込む盗賊団員たち。
シキの目には自分しか映っていなかった。遅まきながら行動を起こした団員たちがすべてシキの死角に位置していたのも幸いである。
複数の団員が息を殺して一斉に投げた爆弾は、ジャックをも巻き込みかねない放物線を描いた。ただ、ジャックとしてはこう言いたい。それでいい、と。
半身にレイピアを構え、敵の攻撃を払いつつ、ほんの数秒であれ空いた片手と自分の布袋とをシキの死角とするのは難事である。
ジャックもまた導火線に火を点けた爆弾を使おうとしていたのか。
否。
団員たちが投擲した爆弾がみるみるシキに迫り――やがて、ふっ、と火が消えた。シキは振り返ることなく、己に直撃する爆弾のみを最低限の動きで無力化したのである。片手持ちに切り替えた剣を背後に回し、一瞬のうちに十数個もの導火線を切断したのだ。
直後、二人からほど近い場所で次々と爆発が生じる。爆風が土煙を上げ、轟きが鼓膜を打つ。閃光が視界を焼く。その刹那、ジャックはレイピアを握っていない左手を突き出した。厳密には、放ったのだ。火を灯したマッチの束を、シキの足元に転がった爆弾へと。
シキの身体が宙を舞う。爆音とほとんど同時に。
吹き飛ばされた――のではない。マッチが爆弾に到達する前に、シキは後方へと大きく跳躍したのである。紛れもなく無傷だった。
シキは剣を払う。新鮮な血が飛沫となって剣から散った。
「小細工の代償が腕一本なら、安いものだろう?」
なんの感情も籠もっていない平坦な声に対し、ジャックは顔を歪めた。
彼の左腕は二の腕のあたりで真っ二つに切断され、血を噴いている。爆弾の回避動作とともに、シキは鋭利な刃でジャックの腕を奪ったのだった。
皮肉なことに、戦闘開始からちょうど五分後のことである。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジャック』→『タソガレ盗賊団』元リーダー。ハルキゲニアでは帽子屋を名乗り、騎士団長をしていたレイピア使い。魔力察知能力に長けている。現在は『タソガレ盗賊団』に復帰して副団長を任されている。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて
・『シキ』→黒の血族で、ザレハドラ男爵の側近。ザレハドラの貴品の実質的な所有者。線が細く、小柄で眼鏡をかけた男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ザレハドラ男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。豪放磊落な態度と大柄な見た目に反して小心な男。側近のシキに貴品を与え、自分の代わりに戦ってくれるよう懇願した。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ゼール』→騎士団長。王都の騎士を統括する存在。双剣の魔具使い。実はシフォンの養父。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『第九話「王都グレキランス」』『幕間.「王都グレキランス~騎士の役割~」』にて




