Side Jack.「百の幻想と一回の現実」
※ジャック視点の三人称です。
最初で最後の死闘がはじまろうとしている。幻想のなかで百回におよぶ戦闘と、その果ての死を繰り返そうとも、現実は一度だけだ。死ねば終わる。この世のほとんどすべての生物に当てはまる摂理。
シキが一瞬で間合いを詰めたとき、レイピアで対応しながらジャックはいささか当惑を感じた。
こちらがシキとの戦闘を百回繰り返したこと、そして回数を重ねるごとに戦闘時間が延びていったことは相手も承知の、いわば公然の事実である。シキの初動は約百回すべてにおいて、まったく同じだった。踏み込む足の位置から姿勢からなにもかも。ジャックが初撃を振るわない限り、敵の攻撃が先に繰り出されるのも経験済みである。それらはいずれも同じ速さ、同じ軌道だった。シキにとっての最適解に違いない。
ジャックの動揺は、この一回きりの現実でもシキの動きが幻想と同じく最適解を選んだ点にある。シキ曰く、幻想のなかで彼自身がどのような行動を取っているかは把握していないらしいが、少なくとも初動においてはその限りではないだろう。己の取る最善の一手で斬りかかるのを、ほかならぬ当人が知らぬはずがない。だからこそ、幻想を繰り返した相手を騙すなら、初動で最適解は選ばないように思えたのだ。幻想の規則性に慣れた敵に、未知の一撃を見舞う。それこそ最適解というものだろう。
幻想通りの動作をおこなうシキに対し、ジャックが後れを取ることはなかった。往々にして、精神の揺らぎが戦闘にもたらす影響は無視出来ないほど大きいが、ジャックは稀有な例外である。驚きも、不意を突かれた感覚も、身体のどの箇所にも差し障らない。剣さばき、足運び、果ては呼吸ひとつにさえ微塵も濁りを生まなかった。
幻想となんら違わぬ激しい剣戟を受け流し、あるいは逸らし、あるいは回避し、また、反撃を試みながら、ジャックはシキという男に、武への狂気的な崇拝を見た。最適解を選び続ける態度は、己の剣に絶対の自信があることを示している。この男はこれまでの生涯において、ほとんどすべての時間を武芸に注いだのではなかろうか。空を斬る鋭い音色、柄を握る両腕の動き、攻撃から防御、あるいは防御から攻撃に推移するまでの一切無駄のない流麗な全身の運び、それらすべてが武への奉仕と飢渇の表れに感じた。
ある地点まで到達した者は、より先へ進むために同等以上の相手を必要とする。ほかならぬジャックがそうだった。強さへの欲求はなかったが、自分より格上の存在――クロエと斬り結ばなければ、永久に先に進めなかったのではないかと確信している。
シキも似たような状況にあるのかもしれない。この男が猛者を――武人と呼びうる存在を求めているのは、すでに当人が口にしていた。より高みへ至るために同等の強者を欲しているのだろう。なぜ彼が武にこだわるのか、背景にある動機は未知である。
シキ自身さえ分かっておらず、追求する気もない事柄を第三者であるジャックが知るはずはない。そして幻想であれ現実であれ、それを問うほどの余裕は彼になかった。まばたきひとつ許されず、集中を途切れさせてはならない高速の剣戟において、発声に割くリソースなど皆無。呼吸さえ惜しい。
一分間におよぶ戦闘が、傍目にどう映ったのか定かではなかった。少なくとも、死を経験し心が折れたタソガレ盗賊団の面々が加勢する気配はない。もし彼らが再起したとしても割って入るのは無理だろう。二人の激しい剣戟は他者を寄せ付けない。下手に助力しようものなら却って邪魔になると思わせる程度には他を圧倒していただろう。ただし、途方もなく無神経か、極端に戦いに疎い者はその限りではない。
「シキよ! 退け! これは絶対命令だ!! 貴君を失うわけにはいかないのだ!」
野太い悲哀が戦場に流れる。敵方の大将、ザレハドラである。シャツにスラックス姿のシキと異なり、鎧で武装した大男にもはや威厳の欠片もない。
シキはしばし無視して戦闘を継続していたが、鳴りやまぬ撤退指示に思うところがあったのか、地を蹴って後方へ跳躍した。あっという間の出来事である。
レイピアの有効圏外へと退いたシキに対し、ジャックは追撃を加えることなくじっと構えたままでいた。というより、そうするほかなかったのだ。これまで百回におよぶ幻想の戦闘のなかで、ザレハドラの存在は黙殺されていたのである。その意味では団員も同じだ。シキとジャックだけが架空の戦闘を繰り広げたのである。幻想のなかで、ジャックのほうから白銀猟兵や砲台といった別の兵器を用いるよう働きかけはしても、部外者の側から二人に干渉することは一度もなかった。シキの持つ剣――『死随剣』は、戦闘の渦中にない第三者までは考慮されないのだと、今この瞬間に証明されたのである。
この一事が幸運であるはずがない。あのまま斬り合っていれば、少なくとも五分間は戦闘を継続出来たのだから。長く生き残るのが目的ではないにせよ、勝利への活路は、少なくとも五分間の戦闘では見つからなかった。もしあるとしたら、その先の未来だろう。
ジャックが構えを解かずに硬直していたのは、ひとえに、再びこちらに向かってきたシキと、中断された戦闘の続きを幻想通りにおこなうためである。ザレハドラの干渉が無に等しければ、そのような次第になる想定だった。
「ザレハドラ様。なにゆえ邪魔立てするのですか」
シキは納刀せず、ジャックに背を向けて主君に問う。問われた側がむしろ狼狽しているようだ。『まずいことをしてしまった』と言わんばかりの表情をしている。ただ、撤回するつもりはないらしい。
「貴君の身を案じたのだ。シキよ。貴君の実力は俺もよく知っている。だからこそ、憂慮したのだ。貴君と一分以上、刃を交わした相手は俺以外になかろう。それゆえ、あの男を脅威だと見做すのは道理だ。ここは一旦退いて、魔物に任せて敵が弱るのを待つのが最良ではないか? 俺としても貴君が武勇を挙げるのは誉れと考えている。しかし。しかしだ。戦の将は大局を見ねばならん。ときに苦渋の決断をしなければならん。俺は塗炭の苦しみをあえて引き受け、ここは一時退却が最良と判断したのだ」
ザレハドラの声を聞きながら、ジャックは身体が弛緩するのを耐えるのに骨折った。まさか、ザレハドラがシキと一分間も剣戟を交わせるなどありえない。佇まいを見れば、この大男が武人と遠く離れた人物であることは容易に知れた。この男は体躯と風貌だけだ。大剣を背負っているが、飾りか、お守りと同義だろう。
それにしても、もっともらしいことを言っているようでいて、小心が透けている。もう魔物に任せて前線からは退きたいというわけだ。戦略的意図ではなく、気持ちの面で。
そのあたりのザレハドラの心境は、シキのほうがよほど心得ていることだろう。
甲高い音とともに、ザレハドラの鎧の腹部に亀裂が走った。シキの振るった剣の軌道に沿って。
亀裂から黒い液体――血族の血が溢れる。ザレハドラは驚愕に目を丸くし、膝を突いた。やがてその顔が苦悶に覆われる。
「シキ……なぜ、俺を……」
痛みに歪んだ声に対し、シキの返答はあまりに冷え冷えとしていた。なんの感情も見出せない。徹底した冷徹さ。これまでの彼となにひとつ違いはなかった。
「私を妨げないでください。私はザレハドラ様に仕えておりますが、真の主は武です。武こそ私のすべてで、武でないものは要りません」
言って、シキは身を翻し、ジャックに視線を向けた。その瞳も表情も、なんらの変化もない。今しも主君を斬ったというのに。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ジャック』→『タソガレ盗賊団』元リーダー。ハルキゲニアでは帽子屋を名乗り、騎士団長をしていたレイピア使い。魔力察知能力に長けている。現在は『タソガレ盗賊団』に復帰して副団長を任されている。詳しくは『137.「帽子屋の奇術帽」』『152.「今日もクロエさんは器用~肖像の追憶~」』『48.「ウォルター≒ジャック」』『幕間.「Side Jack~正義の在り処~」』にて
・『ザレハドラ男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。豪放磊落な態度と大柄な見た目に反して小心な男。側近のシキに貴品を与え、自分の代わりに戦ってくれるよう懇願した。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『シキ』→黒の血族で、ザレハドラ男爵の側近。ザレハドラの貴品の実質的な所有者。線が細く、小柄で眼鏡をかけた男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『タソガレ盗賊団』→『最果て』のマルメロを中心に活動する盗賊団。魔物からの警護をビジネスにしている。詳しくは『第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて




