Side Walter.「危険域を踏破して」
※ウォルター視点の三人称です。
魔術に疎いウォルターにとって、使ってはならないものが存在するなんて初耳だった。そもそも魔術を扱う人間は特別であり、それだけで他人よりも優位であるような先入観がある。ただ、あまり関心はなかった。ハルキゲニア地方の多くの人々が同様の認識だろう。魔術師を養成する機関も無きに等しい。つまるところ魔術と疎遠なのだ。それゆえ、魔術の才が欠けていようとコンプレックスにはならない。自分には関係のない世界と割り切ってしまえる。
そんなウォルターが、シーザーの使った魔術の正体を見抜くなどありえない。ましてやそれが、王都で禁じられた吸収魔術の応用だとは。
血族が霧散したことで白銀猟兵の標的は魔物へと切り替わっている。むろん、命なき兵器に棒立ちで蹂躙されるはずもなく、激しい応酬が生まれた。大型小型問わず、異形の怪物が跋扈する。二度とお目にかかる機会のない――あってほしくない――光景だった。
シーザーを先頭とする突撃部隊は、すでに危険域へと突入していた。すべての魔物が白銀猟兵に狙いを定めているわけはない。連中は隊伍を組んで、ほぼ突っ立っているのだ。後方に控える血族を討つにはそれらを突破する必要があり、したがって無傷とはいかない。疾駆の第一歩目で分かってはいたことだったが、あらためてウォルターは背筋に冷たいものを感じた。
「こっからは一列になって俺のあとに続け」
シーザーは振り返りもせず言い放った。ウォルターは遅れがちになっている団員にも届くよう、魔術師の言葉を繰り返す。魔物の唸りを凌ぐ大声で。
「一列になってついてこい! 死んでも足を止めんじゃねえ!」
不意にシーザーが横合いに逸れ、白銀猟兵と魔物とが乱闘を繰り広げている渦中へと足を踏み入れた。さすがにウォルターはゾッとしたが、部下に命じた手前、止まるわけにはいかない。そしてすぐに、この行動の意味を察した。
いまだ沈黙する魔物の隊列に飛び込むより、乱闘の中心を駆けるほうが生き残る公算が高いのだ。迫りくるグールの爪と牙を避け、キマイラの股ぐらを潜り、急降下するハルピュイアの脚を切りつける。そうして魔物の群れ集う箇所を越えれば、敵の意識は白銀猟兵へと向くわけだ。
が、そう上手くはいかない。
白銀猟兵が武勇を振るう前線を抜けても、魔物の群衆が待っていた。どこを見渡しても狂喜の眼差しがそこにある。涎を垂らし、喜悦の咆哮を上げて四方八方から押し寄せてくる。
終わった、と思った。
が――。
「疑似餌」
シーザーが腕を振るった直後、あらゆる魔物が一瞬、動きを止めた。なかにはウォルターの顔の間近まで迫っていたグールの爪もある。
連中は刹那の静寂ののち、やや離れた場所に佇立するキュクロプスへと一斉に向かった。
「シーザー、あんた――」
「知りたがりのウォルターに教えてやるよ。化け物も飢えりゃ共食いする。食い物がどこにあるか導いてやるくらい、魔術で出来んだよ」
そういうものか、とウォルターは納得したのだが、実情は異なる。
今この戦場において魔物は生来の本能――魔力に惹かれてひとを襲うという習性を封じられ、忠実な兵士と化していた。が、忠実であるがゆえ錯誤の生まれる余地もある。そばに接近する敵は撃退して構わないと命じられていたのだ。敵味方の区分けは彼らの本能に依存している。血族だけを例外とし、あとは思うがままに殺めてよい。それがこの戦場において彼らに課せられたルールだった。それゆえ、魔力を帯びた無機物である白銀猟兵を襲撃している。強い魔力を感じれば、なんであれ獲物と映るのだ。対象に魔力を注ぎ込む魔術――疑似餌を駆使すれば、敵の目を眩ませるのも可能という理屈である。
シーザーは一定程度前進すると、別の標的に疑似餌を施し、周囲の魔物の凶刃を避け続けた。そうそう討たれる気遣いのない大型魔物を選んだのは魔力の節約である。
が、敵は魔物ばかりではない。
「シ――」
「解脱の風」
叫びかけたウォルターの声とともに、魔物の群れから姿を現した血族が掻き消える。敵方はまたもフェイクの血族を放ってきたらしい。
「ハハッ」
魔物を切りつけつつ駆けながら、ウォルターは我知らず笑っていた。
物騒な盗賊たちの根城に堂々と踏み入り、居並ぶ怪物を冷静に対処し、今は破滅と紙一重の好機を掴もうとしている。なにからなにまで常識外れだ。さすがに魔術師全員がこうではなかろう。シーザーだけが尋常の枠を大きく逸脱している。
ウォルターは老境手前の魔術師について、はじめて、どのような人生を歩んだのか知りたいと思った。どう生きれば死地に活路を見出す目と力を養えるのか。組織の頂点に立つ者としても、一介の男としても、興味が尽きない。
「シーザー! 生き残ったらあんたのことを全部聞かせてもらうぞ! これまでどう生きたか、ひとつ残らず語ってもらう!」
前方で揺れるグレーの長髪は、すぐに返事を寄越した。
「一生分の酒を用意したら考えてやる」
「構わねえよ! 溺れ死ぬくらいの量を奢ってやる!」
短い付き合いだが、シーザーが酒呑みなのは団員の誰もが知っている。いつでもどこでも呑んでいた。酒が尽きれば平気で団員にタカる姿は、もはや見慣れている。グレキランス北門に配置されてから、酒の支給がないと知って絶句する様子には呆れたものだ。それでも、どこかから仕入れた酒をちびちび呑んでいたのだからどうしようもない。
やがてシーザーが三度目の「解脱の風」を唱えると、視界が開けた。
前線に展開していた魔物の集団をようやく抜けたのである。そしてここからが本番だとウォルターは悟った。
血族がおよそ百名ほど居並んでいる。隊列の中央から一歩踏み出したところに、薄気味の悪い男がいた。
年の頃は若く見える。なのに頭髪の多くが抜け去って、柳のように頭から垂れ下がっていた。落ち窪んだ目は爛々と暗い輝きを放ち、続々と追い付いては足を止める盗賊団の面々を睥睨している。泥まみれの装束に、枯れ木じみた痩身。まるで亡霊だ。両手で小振りな壺を抱えているのも、奇怪さを増幅させている。
シーザーも足を止め、じっと男に見入っているようだった。
「――った?」
掠れ声ののち、男は噎せた。咳を繰り返し、肩を上下させる。不健康を絵に描いたように。
男は大きく空咳をしたのち、再び口を開けた。
「吾の兵士は、どうだった? 死ねども死なぬ無尽の兵は。おぞましかろ?」
首が折れたみたいに急激に顔が傾ぐ。
ウォルターは、いつまで経っても息が整わない自分を顧みて、それが疾駆によるものではないと悟る。
ここまでの道はシーザーが切り開いてなお、危険極まりなかった。人間の兵士たちへ愚直に加勢していたら、白銀猟兵の自爆に巻き込まれたことだろう。白銀猟兵と魔物の間を縫って走るときには、文字通り死をすぐそばに感じた。魔物の軍勢のなかを突っ切ったのも危うい。たとえ標的を別所に移されていても、何体かはこちらに牙を剥いたのだ。この場にたどり着けなかった団員が何人いるか、数えたくはない。
それらの危険を遥かに凌ぐ禍々しさが、この空間に満ちていた。
「だんまりか。つまらんなぁ。……吾はデボン。爵位は男爵。よく覚えておくといい。お前ら全員、死後も忘れぬ名だ。喜べ。喜べ。喜べ! お前らも、死んでも死なぬ者に加えてやる」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『ウォルター』→タソガレ盗賊団のボス。穏健派。元ボスであるジャックを心酔している。詳しくは『48.「ウォルター≒ジャック」』など参照
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『吸収魔術』→魔術および呪術を吸い取る魔術。禁止魔術。ノックスは先天的に魔術を吸収してしまう体質。詳しくは『Side Leonel.「師に捧ぐ――憎悪と覚悟のうちに」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『白銀猟兵』→人を模した、ずんぐりとした物体。オブライエンの量産している兵器。指令を送ればその通りに行動をすることが出来る。動きは機敏で、硬度は高い。破壊時に自爆する。詳細は『幕間.「白銀空間~潜入~」』『幕間.「白銀空間~白銀猟兵と一問一答~」』『幕間.「白銀空間~魔具制御局~」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『キマイラ』→顔は獅子、胴は山羊、尻尾は蛇に似た大型魔物。獰猛で俊敏。詳しくは『100.「吶喊湿原の魔物」』『114.「湿原の主は血を好む」』にて
・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて
・『疑似餌』→魔物の持つ魔力誘引特性を利用した魔物引き寄せの魔術。対象の身体に魔力を注ぎ込むので、対象者が引き寄せの力を持つ。詳しくは『83.「疑似餌」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『デボン男爵』→黒の血族で、ラガニアの男爵。怪奇趣味の男。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて




