Side Black Rabbit.「ナイフごとき」
※黒兎視点の三人称です。
人間の急所は魔物にとっても基本的に同様。人型であればその傾向がなお顕著である。もっとも一般的な魔物――グールがそうであるように。
通常のラーミアもそうだ。首を切れば魔物としての死が訪れ、霧散する。今目の前にしている彼女が例外であるのは、変異種としての能力だろう。一般のラーミアと異なるのは蛸足だけではなかったというわけだ。
チャンスが実らないことなんてありふれている。ここまでのメルキュールとの戦闘でも何度か味わった経験だ。
しかしながら、黒兎が即座に手元の魔力写刀を振り、同期したナイフ群を敵に差し向けたのは冷静さに裏打ちされた行為ではない。どこかに弱点は必ずあるはずで、ならば物量で押し切ろうと咄嗟に考えての行動だ。敵の急所を見極めず、がむしゃらに仕掛けを打つのはしばしば悪手となる。
この場合もそうだ。
ラーミアの上半身を満遍なく切り裂くよう、横合いから接近するナイフの群れは、彼女の肉体を一切傷付けなかった。幾本もの蛸足がナイフの軍勢を下から突き上げ、無力化したのである。
もう一度、と魔力写刀を引いた黒兎はそれ以上の身動きを封じられた。いつの間にか蛸足の一本が背後に伸びており、次なる攻撃を繰り出す前に拘束されたのである。
「可哀想で可愛い坊や。ナイフごときで私に抵抗するなんて」
今や、肩から下は蛸足に巻き付かれて身じろぎも難しい。ほんの少しなら動けるが、その程度では同期したナイフたちを充分に動かせない。
なにより、彼女が本気になれば自分はすぐさま圧殺されるという予感があった。全身の骨が砕かれ、命が一瞬で消し飛ぶ。もっとも安直で、かつ強固な想像が頭のなかに充満していく。
「鬱陶しいわね、本当に」
ラーミアは黒兎めがけて近寄ってくる小型魔物を相変わらず蹴散らしている。連中を競争相手だとは見做していないだろう。とはいえ、次から次へと迫るものだからうんざりした調子ではあった。
それならばいっそすぐに殺して喰ってしまえばいいものを、彼女はそうしない。独占欲と同じくらい、食事への愉しみも強いのだ。
「ねえ、メルキュール。この子には攻撃しないよう雑魚に命令してくれない? 私、じっくり遊びたいんだけど」
「試験内容は変えませ――」
「だ、か、ら! もう試験にもなってないでしょ。なんで私が雑魚を倒してるのよ。普通はこの坊やが倒すべきなんでしょ? それが本来あなたのやりたかった試験でしょ? ずっとずっとずぅっと、我慢してあなたに従ってきたんだから、少しくらい融通してもいいんじゃないのって言ってるわけ!」
「わたくしに服従するのは当然です。それが戦場での貴女の役割なのですから。それとも、イブ様の命令に逆らうおつもりですか?」
ラーミアは苛々と髪を掻きむしった。
「今の私があなたに服従しなきゃならないのは事実だとしても、私そんな話はしてないよね!? あなたの面倒なルールのせいで私の食事が台無しにされるのが嫌だって言ってるの!」
癇に障った声ののち、しばしの沈黙が流れた。
それから響いたメルキュールの声は、随分と冷えていた。これまで耳にしてきたものと違って。
「貴女ひとりで勝てるのなら、いいでしょう」
この状況をどうすべきかに思考を割いていた黒兎の耳にも、メルキュールの返答は意識をこじ開けて侵入してきた。彼女はラーミアを信用していない。この状況が圧倒的に優勢だと分かってなお、信用する気が欠片もないのだ。
「勝てるわよ」とラーミアはややトーンを落として答える。「実際、もう勝ってるようなものだし」
「……分かりました」
メルキュールの言葉から間もなく、黒兎を目指していた魔物たちは一斉に標的を変えた。今もリヴァイアサンと戦っているエイダへと。
エイダについて考えるのは屈辱的だし、なによりそんな暇はない。自分の置かれた状況をどうにかすべきなのだ。それでもなお、早期決着を目論んだ自分の失敗を恨めしく思ってしまう。
助けようとして助けられず、結局殺されかかっている。そのうえ、余分な魔物がエイダへと向かってしまったのだ。
どうしようもない無能――と思ったところで、黒兎はハッとした。
無力だとしても、それを受け入れてはならない。
エイダから贈られた言葉が胸に灯る。
勝って、生き延びて、たっぷりエイダを煽ってやらなきゃならないんだ。煽る気力がなくとも。幸い、演技は得意だから。
眼前をナイフがゆっくり落ちていくのが映えた。先ほど蛸足に防がれたものだろう。周囲を見れば、ナイフたちが一斉に水底を目指して緩やかに下降をしている。
これらのナイフに推進力を与えても、ラーミアを引き裂くより前に威力を失う。手元の魔力写刀と同期させてようやく、それらしい切断力を持ってくれるのだ。腕を動かせない今はどうにもならない。
この状況で出来ることといったら、思考をめぐらすか、言葉を弄してラーミアの気を逸らすか、その程度だ。後者を選んだとしても、敵が拘束を緩めるはずはない。せっかく手に入れた獲物を解放して追いかけっこをするような悠長さは持ち合わせていないだろう。
だから考える。思考する。想像する。空想する。
想像は魔術において重要な成立要件であり、魔具の出力も似た側面がある。
ナイフは下降をやめ、ぴたりとその場に留まった。
「それじゃ、どこから食べようかしら。ちょっとずつ愉しみたいから、本当なら指がいいんだけれど、ほら、あなたって嘘つきでヤンチャでしょう? 腕を自由にしたくないのよね。なら、やっぱり耳かしら。左耳、右耳、次は鼻。次は――」
ナイフが黒兎の周囲を旋回する。この程度の操作なら、これまでの戦闘でも問題なく出来た。
まだ足りない。
まだ。
「またなにかしようとしてるの? 諦めの悪い坊やね。まあ、なんだっていいんだけれど。あなたじゃ私を殺せないし」
ナイフは段々と速度を増していく。
もっと。もっと速く。同期している状態と変わらないくらい速く、鋭く。
ラーミアが心持ち蛸足に力を入れて、黒兎の拘束をきつくしたのは当然だろう。骨が軋む程度に。
しかし、彼の集中力は途切れなかった。口から微かな吐血がこぼれても、想像力には傷ひとつない。
「なによ、その目。まだ自分がなにか出来るとでも思ってるの?」
ナイフが急上昇し、一気に下降した。刃を水平にした状態で。無数の刃先が黒兎の顔の横を通り抜ける。
自分は無力を受け入れない。
出来ることがないのなら、作り出す。それを与えてくれるのが魔術であり魔具だ。
実際にナイフを振らずとも、振ったときの勢いそのままに同期させる。そう錯覚させる。そう想像する。
この瞬間、すべてのナイフが煌々と魔力を放っているのを、ラーミアの目は捉えなかった。黒兎が魔力察知に疎いのと同じく、彼女もまた、そう敏感なほうではなかったのだろう。
垂直下降したいくつものナイフは黒兎を拘束する蛸足に食い入り、一気に下方まで切り裂いた。ぶつ切りになった脚部の破片が霧散していく。
自由になった黒兎の身に別の蛸足が迫ったが、彼は身動きひとつしなかった。最前同様、不動の同期により、迫る足を切断したのである。
ラーミアは黒兎から距離を置き、歯噛みした。痛みではないだろう。獲物を手放した屈辱でもないはずだ。
「あなた……生意気ね」
敵視。ラーミアの眼差しはそれだ。油断ならない相手に向ける真剣な闘いの目だ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。『白兎』の双子の弟。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場
・『鳴禽卿メルキュール』→夜会卿の第二部隊長。黒の血族で、ラガニアの伯爵。スィーリーの領主だったが、簒奪卿シャンティの侵略により、やむなく夜会卿ヴラドの所有地で暮らしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。ナイフの複製を創り出す能力を持つ。アリスに没収され、制作者であるカルマンの手に戻ったが、戦争において加勢した『黒兎』に再び所有されることとなった。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「姉弟の情とアリス』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『イブ』→魔王の名。ラガニア王の三女だった。ラガニア王直系の生き残りは彼女のみ。肉体は成熟した女性だが、精神は幼い状態のまま固定されてしまっている。魔物を統率する力を有する。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『魔眼のエイダ』→騎士団ナンバー7の女性。シフォンのかつての友達で、右目を失明している。グローブ型の魔具を所持。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて




