Side Black Rabbit.「銀の螺旋」
※黒兎視点の三人称です。
窮地を脱したと言える状況を獲得しても、黒兎には油断も高揚もなかった。日頃から煽り文句ばかり発している口も今は閉じている。
まだなにも終わってない。ラーミアの拘束を打ち破っただけで、彼女を倒す役目がある。そのあとはエイダに加勢してリヴァイアサンと小型魔物を討ち取り、最後にはメルキュールの打倒が待っているのだ。途方もない道のりだと思う。だが自分に――東門の人間に残された道はそれしかないのだ。
魔力写刀で複製したナイフが周囲を旋回していた。手元の魔力写刀は振っていない。ひとつひとつのナイフを脳内のイメージで動かしている。言うなれば想像力との同期だ。蛸足から脱したのも、ここ一番で魔力写刀の能力を引き出したからである。
窮状に陥って覚醒するだなんて、自分には縁遠い話だと思っていた。とかく他者を見下す傾向にある黒兎にとって、全力で克己するなんてナンセンスだったのである。率直に表現すれば、格好悪いと感じていた。
あらかじめ持っている圧倒的な力で相手を屈服させるのが強さの本質だと、鼻高々に思い込んでいたわけだ。こうして自分より遥かに強大で歪な存在を相手にしなければ、今の黒兎はなかったろう。
少年は晴れやかで、けれど生真面目な眼差しで敵を見据えていた。
一方のラーミアは動揺から脱しつつある。口元にも瞳にも余裕が滲んでいた。強がりではないだろう。
「たかがナイフでなにが出来るのかしら? 何千本あったって無意味よ。針で刺されるようなものね。それに私、痛みには強いほうだし」
嘘ではないだろう。首を飛ばし、足の一本をぶつ切りにしても彼女に苦悶の色はなかった。
自分になにが出来るのか。どれだけのことが出来るのか。
ゆっくりと魔力写刀の切っ先をラーミアへ向けた。
「たかがナイフでどれだけのことが出来るのか、お前の身体で試してみるよ」
言って、黒兎は滑らかに泳ぎだした。むろん、ラーミアに向かってだ。十メートルほどの距離で、やや下方にいる彼女へと迫るなか、大量のナイフが随伴する。
「本当に生意気な坊やね。現実を教えてあげなきゃ」
蛸足が蠢き、槍のごとく一直線に彼へと放たれた。
すんでのところで身を翻して躱し、ラーミアへと直進する。それだけでなく、想像のなかで同期したナイフの群れを伸びた蛸足へと一斉に振り下ろし、ズタズタに切断した。
切れた箇所からほとんど間を置かず、足が再生する。残骸のほうは即座に霧散したようだった。
「無駄よ。何度切ったって意味ない」
一利ある。切っても再生するのだから。ただ、真実ではないはずだ。
弱点があるなら、と黒兎は考える。
それは霧散しない箇所だ。首も足も、切られてすぐに消えた。おそらくほかの脚部も弱点ではないはず。となると――。
「お前、ナイフを弾いただろ」
「……なんの話?」
ラーミアはやや後退しつつ、何本かの足で黒兎を包囲しようとしたが、それこそ無駄だった。彼女はもう気付いているだろう。ナイフがさっきよりもずっと数を増していることに。
同期しつつ増殖させる。それらナイフの軍勢が弧を描いて、下方と左右に展開された蛸足を両断した。
黒兎は泳ぎを止めない。
「どこを切っても無駄なら、首を切った直後に僕が仕掛けた攻撃を弾く意味もなかったはずだ」
拘束される前のことだ。黒兎ががむしゃらに放ったナイフの群れを、彼女は蛸足で上方に弾き飛ばしたのである。足を盾にするでもなく。
本当にどこを切っても再生するなら、回避も対処も不要なのだ。つまりは上半身のどこかに急所がある。それが黒兎の導き出した答えだった。蛸足で一本残らず弾いた芸当は計算づくだろう。偶然急所に直撃するのを懸念したに違いない。
「なに言ってるのかしら。これだから子供って嫌いなのよね。食べるのはいいけど、喋るのはうんざり。特に坊やみたいな賢ぶってる子は最悪」
するするとラーミアが後退していく。こちらの泳ぎよりも彼女の移動のほうが速い。考えてみれば当然のことで、相手は水に棲まう魔物だ。速度で負けるはずがない。
陸において馬車が生まれたのと同じく、海でも人間は発展してきた。ハルキゲニアの船の構造について、何度か目にしたことがある。後部に備えられた放射状の板――スクリューが推進力の源なのだと耳にしたこともあった。昔の話だ。
黒兎の速度は徐々に増していた。ピンと伸ばした足の先で、やや傾いだ角度でナイフが放射状に並び、高速回転している。その勢いに乗って彼の速度は上がっていった。
「なによ、その速さ!」
苛立った声に焦りが混じっている。必死に蛸足を何本も伸ばすのも、きっと演技ではないだろう。大量のナイフは、もはや脚部の根本に近い部分さえ切断出来るほどの数になっていた。ナイフの半数以上を先行させ、こちらに到達する前に蛸足を切断して霧散させる。極度の集中が要求される芸当ではあったが、今の自分に意識の乱れは皆無である。
最初の目的――ラーミア撃破へと研ぎ澄ました神経は、揺らぎなく勝利を目指していた。次のことは次に考えればいい。メルキュールもエイダも今は思考の外側にいて、意識はただひたすらにラーミアへと注がれていた。
残り三メートル。
束になった蛸足が放たれ、黒兎は魔力写刀を進行方向に掲げた。周囲を飛び交うナイフたちが、一斉に螺旋運動をはじめる。
イメージするのは回転する巨大な鉄の塊だ。先へいくほど細くなっていくそれは、あらゆるものを掘削し、破壊する。
「統制螺旋飛翔」
密集した蛸足がナイフ群の先端に触れ、散った。勢いのまま黒兎は銀の螺旋の中心を進む。蛸足を削り穿ち、なお速度を上昇させて。
やがて回転するナイフの先に、生白い上半身が見えた。螺旋の先端が彼女を捉えつつある。その顔は驚愕に染まっていて――。
絶叫が水中に響き渡った。
黒兎は回転するナイフを保ったまま、見事に彼女を抉ったのである。
スクリューを解除して振り返った。ラーミアの上半身が見える。右半分が削り取られた身体が。
直前で回避動作を取ったのだろう、彼女は。だから半分だけの崩壊で済んだ。だが、どうみても致命傷である。現に掘削された蛸足も、削れた身体も再生の兆しがない。
このまま霧散するのを待つか放置する――なんて悪手を打つつもりはない。追撃のために再びスクリューと、ナイフたちによる螺旋状の回転運動をはじめようとした。
そこで気付いたのである。
ラーミアは今、地面にほど近い場所にいる。彼女を穿った自分も同じ。
そんな状況で、蛸足の一本が地面に突き刺さっているように見えたのだ。あ、と思ったときには、背中から腹部にかけて尋常でない痛みに襲われた。
地中から蛸足が伸び、背を貫かんばかりに突かれたのである。貫通に至らなかったのは、密かに編んだナイフの帷子のお陰だろう。
黒兎の集中と意識に綻びが生じた。その刹那の時間で彼女の全身――蛸足も含めて――が再生し、彼へと底意地の悪い笑みを送る。
「残念だったわね、坊や。必死で、可哀想で、可愛くて、憎らしい坊や。あなたにとっておきの恐怖をあげる」
そう言って、ラーミアは片手を黒兎に向けた。その手のひらにはぽっかりと穴があいていて、黒々とした闇が広がっている。
闇は急激に膨張し、彼を包みこんだ。
「暗いでしょう? 恐いでしょう? これからあなたはなにも見えない闇のなかで襲われるのよ」
真っ暗闇の水中に、愉悦を湛えた声が流れた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒兎』→ハルキゲニアの元騎士。ナイフを複製する魔具『魔力写刀』の使い手。残忍な性格。本名はクラウス。『白兎』の双子の弟。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「卑劣の街のアリス」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ラーミア』→半人半蛇の魔物。知能の高い種。『86.「魔力の奔流」』に登場
・『魔眼のエイダ』→騎士団ナンバー7の女性。シフォンのかつての友達で、右目を失明している。グローブ型の魔具を所持。詳しくは『幕間「或る少女の足跡」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『鳴禽卿メルキュール』→夜会卿の第二部隊長。黒の血族で、ラガニアの伯爵。スィーリーの領主だったが、簒奪卿シャンティの侵略により、やむなく夜会卿ヴラドの所有地で暮らしている。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』にて
・『魔力写刀』→『黒兎』の持つナイフの魔具。ナイフの複製を創り出す能力を持つ。アリスに没収され、制作者であるカルマンの手に戻ったが、戦争において加勢した『黒兎』に再び所有されることとなった。詳しくは『127.「魔力写刀」』『Side Alice.「姉弟の情とアリス』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑤霧海の繋ぎ手ー」』にて
・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて




