1004.「権限放棄」
磔にされたルドラを眺めて、ただ無感情に思う。愚かだな、と。
ココが家屋群をルドラの糸を用いて排除した時点で、こうなる結果は見えていただろうに。無数の糸で継ぎ接ぎにした巨体も、彼女の前では無力どころか、糸自体が便利な材料にされてしまう。
これまで彼は、ろくに頭を使うことがなかったのだろうか。あるいは人間を侮っていたかだ。自分の巨躯を攻略するような厄介者がいるなんて露とも考えなかったのは、この状況からも明らかである。もっとも、魔術製の糸を自由自在に扱える天敵に加えて、奸智に長けた男が助力するパターンなんて想像出来ずとも無理はない気はする。
いい加減ルドラも思い知ったろう。一切の勝ち目が潰えたと。
青の巨人から聴こえる荒い呼吸を無視し、煙宿の周囲にぐるりと視線と向ける。厚い霧に閉ざされてはっきりとはしないが、不夜城周辺からキュクロプスの包囲が消えつつあった。檻から脱出した人々が無抵抗の魔物を狩っているに違いない。それでもまだ、魔物の総数からすると損失は軽微だ。磔にされたルドラから十数メートル離れた位置にはキュクロプスが整然と居並び、連中の足元ではグールなどの小型魔物が待機している。
ルドラが魔物たちに号令をかければ、ココとヨハンの排除も現実味を帯びるだろう。しかし契約上、二人への襲撃命令は下せない。ヨハンの契約における『安全保証』がどの程度の範囲を示すのか定かではないが、二人を襲えと命ずるのは明らかに違反行為だ。
それにしても、広場周囲の家屋の被害は甚大である。どこもかしこも、ルドラの腕を形成していた瓦礫に潰されて、青の破片が夜に煌めいていた。
と、冷静に周囲を検分しているわけだが、場は騒音に満ちていた。磔になったルドラの身体が末端からボロボロと瓦解し、地に落ちて打ち合う破片の音がガラガラと耳に障っている。むろん、自然に崩壊しているわけではない。ヨハンの魔術で絶えず転移するココの指先が巨人を解体しているのだ。
「さて、ルドラさん」
崩壊音のなかで、一歩分の靴音が鳴った。ルドラへと踏み出したヨハンは手を大きく広げている。こちらからは背中しか見えないが、おそらく粘っこい笑みを浮かべていることだろう。
「そろそろ降伏宣言を聞きたいものですね。貴方ではこの状況をどうにも出来ない。大人しく敗北を認めて、全軍に捕虜となるよう命じてください」
不夜城の反対側に位置する『ほろ酔い桟橋』のほうから、人々の鬨の声が響いているのはとっくに気付いていた。魔物を撃破する部隊と、地上で血族と戦う部隊に分かれたというわけだ。彼らの声は今も続いている。広場へと繰り出した血族は決して少なくないが、いまだに人間と戦っている血族も僅少ではなかろう。
煙宿の人々には針姐の墨の力が施されている。簡単に殺されないとは思うが、どこまで通用するかは相手次第だ。なんの異能も持たず、魔術の素養もない一般兵ならまだしも、それ以上の相手には後れを取る。ルドラが降伏すればこれ以上の血は流れないはずだ。たぶん。
「敗北だと……? 図に乗るなよ、メフィスト」
「いえ、客観的に申し上げているだけですよ、ルドラ閣下。貴方はもう負けているようなものです。仮に血族をこの場に呼び寄せたとしても、ご覧の通り、クロエお嬢さんには束になっても敵いません」
半分事実で、半分嘘だ。わたしが大量の血族の意識をことごとく奪うことが出来たのは、地の利があってのこと。広場に通じる道が一本だからこそ無傷で倒せただけだ。四方八方から飛びかかられれば、さすがに手傷は負ったはず。すぐに治癒されるから無意味といえば無意味だけど。
加えていえば、わたしに刃を向けた血族はいずれも大した力を持っていなかった。なかには魔術師もいたが、厄介といえるほどの相手ではない。その結果が、気絶した血族の山である。シフォンやユランと戦闘したときのような高揚感は皆無だ。いずれも強者ではない。その意味ではルドラもそう。もしココとヨハンがいなければ、それなりに面倒な相手だったろうが、こうなってしまっては昂ぶりなんて感じない。
「メフィスト……! 交渉しようではないか。儂は今すぐ煙宿から全軍を撤退させてもいい」
「ほう」
「まずは話を聞け! 邪魔をするな! 儂を解体するな!」
「作業しながら聞きますよ。全部解体される前に交渉材料をおっしゃってください」
今やルドラの腕はすべて落とされ、下半身もほとんど消えていた。このままのペースでいけば、最後は胸部の中心だけ残ることになるだろう。
「だから話すと言っているだろう! 儂に危害を加えるな!」
言葉の途中でルドラの首が落ちた。それでも声は響いている。老人にしては大きい声量は、どうやらハリボテの首を介していたわけではなく生粋のものらしい。
「危害は加えますよ。泣こうが喚こうが。交渉とやらの話は私にとっては今のところどうでもいい。貴方が魅力的な材料を用意すれば別ですが」
「全軍撤退は貴様の望みではないのか?」
「捕虜が望ましいですね。下手に煙宿を離れられたら、別の貴族の部隊に接触される懸念がある」
「ならば、どの貴族とも接触することなくラガニアへ戻ると約束しよう! この町の人間には手出しせん!」
「はあ、なるほど。それで、見返りとしてなにをご所望で?」
ルドラの身体は加速度的に崩壊していく。もはや胸の周辺の数メートルが円型に残っているだけといっても過言ではない。巨人の名残などどこにもなかった。
「撤退を呑む代わりに、クロエの身柄を渡してもらう。一切の邪魔立てなく」
やっぱり。そんなことだろうと思った。
ヨハンはこちらを振り向き、演技じみた様子で首を傾げた。口の端に薄笑いを浮かべて。
「お嬢さんはそれでよろしいですか?」
「よくない」
反射的に声に出していた。そう間違ってもいないが、いささか短絡的な気もする。どんな状況であれルドラに付いていけばラガニアには渡れるわけで、魔王の討伐に近付くのだから。
一瞬撤回すべきかとも思ったが、口を閉ざしたままにしておいた。この戦場のどこかにニコルがいるのだから、まずは彼の討伐が優先事項だ。
ヨハンは満足したのかなんなのか、目尻に皺を寄せて短く頷いた。そしてルドラに向き直る。
「残念ながら交渉決裂です。クロエお嬢さんは貴方の好きにされるのは気に入らないようなので」
「厚遇すると約束しよう。それでも駄目か?」
ルドラの口調から傲慢さが消え、少しばかり哀訴の響きが加わった。
彼の言う厚遇がなんなのか不明だが、興味はない。それにわたしは今戦地を離れるつもりもない。だから「駄目」とだけ返した。
「ならば、儂にも考えがある」
一転してルドラの声は冷え冷えとしたものに変わった。そして、青の身体から一瞬にしてなにかが飛び出す。それは魔術製の糸をいくつも天上の格子へ伸ばし、蛇行するように空を駆けた。
一瞬だったが、夜闇に紫の肌と皺だらけの顔が映った。下腹だけが出た身体で、首も四肢も細く、ひどく腰が曲がった姿。頭に巻き付けた白い布が団子のように丸まっていて、シャツもズボンも造りは平凡なのに絢爛豪華な刺繍が施されていたように思う。首や手足の飾りが夜目にもきらびやかで、老体のみすぼらしさを却って際立たせている印象だった。
あれがルドラの本体に違いない。
彼は煙宿の中心あたりの空中にとどまり、はっきりとこちらを向いたようである。
その直後に響き渡った声に、わたしはただただ納得した。悪くない手だ、と。
「全魔物に告ぐ!! 儂はお前らの支配権を放棄する! これより本能に従い、好きにするといい!!」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『ほろ酔い桟橋』→『煙宿』のなかで、一般的な住民の住むエリア。『不夜城』以外の部分はすべて『ほろ酔い桟橋』にあたる。居住区よりも娼館や酒場、賭博場といった広義の娯楽施設のほうが多い。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『針姐』→『煙宿』で針治療の店を営む、本名不詳の女性。派手な着物姿。語尾の上がる独特の喋り方をする。ザッヘルの妻。食後に、煙管で水蜜香を一服するのが好き。魔力を込めた墨を彫り込み、対象に強化魔術を付与することが出来る。ただし、墨は能力の使用や時間経過に応じて肉を蝕む。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『シフォン』→ニコルと共に旅をしたメンバー。元騎士団ナンバー2。戦争において簒奪卿の部隊に配属されたが裏切り、血族も人間も殺戮した。自分の感情も思考も持たず、ニコルに従っている。前線基地にてクロエに敗北し、彼女の命ずるまま、現在はシンクレールに従っている。風の魔術の籠もった貴品『シュトロム』を使用。実は騎士団長ゼールの養子。詳しくは『43.「無感情の面影」』『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『外壁』~」』『幕間「或る少女の足跡」』『幕間「前線基地の明くる日に」』にて
・『赤竜卿ユラン』→黒の血族で、ラガニアの公爵。自称、ウルトラ・ドラゴン卿。情熱的で正義感の強い青年だがセンスは壊滅的。代々ドラゴンを使役するとされているが実際に目にしたものはおらず、虚言卿や嘘つき公爵と囁かれているが本人は意に介していない。実態は使役というより、ドラゴンと一体化している。肌はドラゴンのそれと同等の堅固さを持つ。身体状況により形状が変化する貴品『貴人の礼装』を所持。グレキランスがラガニアの領地であると認めさせるために単身で戦争に参加した。王城にてヨハンに説得され、オブライエン討伐部隊に加わることに。ゾラやニコルとは友人関係にある。詳しくは『幕間「ウルトラ・ドラゴン卿」』『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて




