1003.「崩壊にウインクを」
ちょうど血族の波が途切れたタイミングで後方を振り仰いだ。ルドラの巨躯がどれほど解体されているか確認するためである。彼は両足の膝から先を失い、尻餅を突いた姿勢で身を乗り出していた。ココの技術にさぞ驚愕していることだろうが、表情に変化はない。細眉の下の切れ長の目は虚ろで、小高い鼻の下で唇の薄い口が柔らかく亀裂している。弟子に何事かを教え諭す顔とでも言おうか。ここに困惑と微笑のエッセンスが加われば、テレジアの表情になるだろう。
手足が作り物である以上、顔も同じに違いない。ルドラ本人は青の巨体の内部にいると考えるのが自然か。血族の気配が濃いのは腹部だ。おおかたそこにいるのだろう。ならば腹部だけココの力で刳り抜いてしまえばいい、とは思わない。ココが糸を裁断出来ると知ったからなのか、ルドラの気配は時折巨体の内部を移動しているのだ。したがって本体を一気に、というわけにはいかない。もっとも、その仕事はココとヨハンの共同作業であって、わたしの担うものではないけれど。
「小娘」言って、ルドラの腕が何本も伸び、彼の巨体が広場一帯に影を落とした。わたしをも悠々と含んで。無数の腕が地に接し、家屋を潰してその身を支えている。「どうやって儂の糸を操った?」
「こう、ちょいちょい、って。簡単だよ?」
ココの返事には一切の衒いがない。彼女にとっては目に見える物理的な糸を紡ぐこととさして変わらないのだろう。そうした細やかな技術はなかなか言語化出来るものでもないし、おそらくココは他人になにかを説明するのは苦手なタイプだ。
「簡単なはずあるまい。儂の糸は特別製だ。いかなる魔術師であろうとも容易く扱うなど不可能」
「魔術師じゃないよ? お爺にも言ったと思うけど、ココちゃんはデザイナーだよ」
「たかがデザイナーごときに儂の糸が操作出来るはずがない!」
「今デザイナーのこと馬鹿にした!? さすがのあたしも怒るよ? ぷんすかだぞ!」
会話を聞き流し、わたしは手近なところにある青い腕を斬りつけた。刃は通らないこともない。ただ、鉱物を斬っているような感触で、手首ひとつ切断するのも少し時間がかかった。これならキュクロプスを斬るほうが何倍も楽だ。
ルドラは腕一本程度なんとも思っていないらしく、こちらを気にする素振りはない。身体の支えという意味なら、一本や二本失ったところでなんの痛手もないのは事実だ。そして偽物の身体に痛みが備わっているはずもない。継ぎ接ぎの義体に痛覚を張りめぐらす方法があるとして、あえてやる意味はなかろう。
「激怒しているのはこちらだ、小娘! 儂の身体に触れるだけでも無礼だというのに、傷付けるなど断じて許さん。それにも増して、儂の糸を窃取しただと? 看過出来ん大罪だ!」
「町のみんなを襲うほうが罪深いよ、お爺。ココちゃん許さないから!」
轟音が絶えず鳴っている。ルドラの腕が根本の部分からざっくりと切断されているのだ。腕を為していたパーツが空中で瓦礫となって家々に降り注いでいる。気絶した血族の被害は出ない位置なので静観してるわけだが、ルドラも四つ這いの姿勢を保ったままだ。
ただ、なんの行動も起こしていないわけではなかった。ルドラは標的を捕らえるべく、いくつもの腕をわたしへと伸ばしている。いずれも初動段階で切断され、わたしはむろんのこと、倒れた血族にさえなんの被害もおよぼしていない。
「メフィストよ。そろそろ限界だろう? 転移門の維持にも座標変更にも魔力を要する。加えて精度も試される。ここまでは完璧に出来ても、貴様の意識に僅かでも綻びが生じれば終わりだ」
「おっしゃる通り、結構な負担です。いい加減降参なさってはいかがです? 貴方に勝ち目はありませんよ」
正論だ。ヨハンとココに攻撃出来ない以上、ルドラに勝ち筋などない。
が、そうでもないらしく、ルドラは呵々と笑った。
「儂は貴様ら二人など眼中にない。クロエを捕獲出来ればそれでいい」
「それはそうでしょうけど、勝算はないでしょう?」
「このまま貴様らが儂の腕を完璧に落とし続ければ、確かに捕獲出来ん」
「理解が早いのは結構ですが、それでも捕まえようとし続けているのはなぜです?」
ヨハンの言う通り、会話の間もずっと腕が伸びては断ち切られてを繰り返している。ルドラ自身無駄だと悟っているなら、ほかに手を打つはずだ。あるいはこの行為自体が無為でないとしたら話は変わる。
「儂は貴様らに一切危害を加えるつもりはない。が、貴様らが儂の意思と無関係に押し潰されたらどうだ? その場合の責は儂にない。そうだろう?」
わざわざ四つ這いで捕獲行動を取っている意味がはっきりした。ルドラはわたしを捕らえるより、ヨハンとココを始末する方法としてこの姿勢を取っているわけだ。ヨハンの魔術――転移門の有効範囲は不明だが、遠距離に展開するのは難しいのだろう。彼とココがルドラの真下から脱出しようとしないあたり、ヨハンの限界が透けて見える。
ヨハンはなんの返事もしなかった。ルドラの捕獲行為も継続され、解体も続く。
いずれかの時点で、ルドラは巨躯を支えきれなくなるはずだ。となると、わたしも、気絶した血族たちも潰れる運命にある。ヨハンとココもだ。
ヨハンのことだから、自分たちの脱出手段は確保しているだろう。わたしも同じだ。落ちゆく巨躯をサーベルで掘削すれば潰される憂いはない。山積みの倒れた血族は圧死を免れないだろうが。
「景気よく腕を落としているようだが、いいのか? じき儂は身体を支えきれなくなるぞ? 貴様らを殺す意思は一切ないのだが、潰すことになるな。契約通り、貴様らの安全は保証されている。しかし儂の意思のおよばぬ事象までは契約の範疇にない。貴様は貴様の意思で危険域にいるのだからな」
ひとまとまりの溜め息が耳に入った。ヨハンだ。
「よほど契約違反で命を失うのが恐ろしいのですね、ルドラさん。貴方も心配性だ。言質が欲しくて仕方ない、と。いいでしょう。貴方の意思のおよばない範囲で我々が落命したなら、それは契約とは無関係の死です。嘘ではないのでご安心を」
「……本当に嘘ではないのだな?」
「ええ。虚言を弄して貴方と心中するつもりなんてありませんよ」
ルドラは短く笑い、腕の攻勢を速めた。ヨハンとココの対処が遅れてわたしを捕まえられればそれは幸運。でなくとも、じき厄介者を圧殺出来る。そんな魂胆だろう。
ルドラが今何歳か知らないが、声から察するに相当の老人だ。よくここまで生きてこれたな、と率直に思った。よくもまあ、その考えの浅さで。
ルドラの腕が残り十本になるかどうかといったタイミングで、崩壊が訪れた。突っ張った腕が自重に耐えきれず折れ、壊滅的な落下がはじまる。ルドラの望み通りの圧殺が。
残った腕の二本が素早くわたしの両側から迫った。わたしだけは潰さないように、と考えるのは当たり前だろう。
指先が触れる前に抵抗するつもりでサーベルを構えたが、振る必要はなかった。必要ないだろうな、と思っていたけど。
「――な」
ルドラの身体がみるみる起立し、離れていく。それから青の巨体が広場の先の檻に叩きつけられるまでは一瞬のことだった。
格子に磔になった巨躯を眺め、ふっ、と自分の吐息が漏れる。もし今のわたしに感情が欠片でも残っていたなら、ルドラの状況を見て驚いただろうか。かつてのわたしは冷静ではないし、計略を察知するだけの視野も持っていなかったから、おそらく目を丸くしただろう。今のわたしとしては妥当としか思わない。
ルドラの背中に糸を通し、檻と接続してゴムのように収縮させる。それを崩壊のタイミングでやってのけるくらい、ココには容易だろう。
振り返ったわたしと目が合って、ココがウインクした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『転移門』→短距離の転送に特化した小規模な魔術。入口と出口の座標を設定し、二点の距離をゼロにする。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




