1002.「青の義体の解体者」
縫合伯爵ルドラの足元の広場。そこへと至る道は、気を失った血族が山積みになっている。それらを押し寄せ、あるいは踏みつけて、まだ血族たちが援護に駆けてくるものだから、わたしに休む暇などなかった。もっとも、休息なんて必要ないのだけれど。
不意に頭上で風音が鳴った。見上げずともなにが迫っているか分かる。
まったく、性懲りもない。
ルドラの腕が執念深くわたしを捕らえようとしているのだ。しかし叶わない。腕は音もなくココに切断され、地上へと落下する運命にある。魔力の糸で縫合されたルドラの義手は、空中で無数の青い断片に分かれ、それらを明後日の方角に吹き飛ばすのがわたしの役目だ。
「お嬢!」
ココの声を合図に跳び上がり、視線を天に向ける。案の定、数メートル先には切断された腕があり、断片化しつつある。
サーベルで形成した巨大な氷の扇で、それらを一挙に薙ぎ払った。青の放物線が描く先は、魔物のわだかまる檻の縁――町の境界である。誰にも被害を与えずに瓦礫を処理するにはそれが一番いい。わたしとしては誰に被害が出ようと知ったことではないが、ヨハンは血族を殺すなと命じた。落下する破片が彼らにとって致命傷になるかは不明だが、憂いは払っておくに越したことはない。それに、ただでさえ気絶者で埋まりつつある道に余計なガラクタを積むのは悪手だ。道を遮られた血族がわたしを諦めて、煙宿の人々を標的にする可能性がある。むろん、すべての血族がこの場所へと結集しつつあるわけではないにせよ、可能な限りわたしが引き受けるのが最善だろう。
後方で轟音がしたので振り返ると、ルドラが膝を突いていた。右膝の関節から下が青い瓦礫で埋まっている。
「儂の身を削るなど……不届きな真似を!!」
声に威勢はあれど、空疎だ。ルドラはココとヨハンに手出し出来ない。そして当のヨハンの妙な魔術――転移門と言ったか――によって、ココの十指はルドラの身体のどこであれ触れられる。魔力の糸を解くも結ぶも自由自在な彼女にとって、ルドラは造作もない相手だ。攻撃される懸念がないのだからなおさら。
明らかに雌雄の決した場からルドラが離れずにいるのは、わたしへの執着だけだろう。ココとヨハンの邪魔立てを掻い潜って捕縛するのがどれほどの難事か、いい加減理解しても良さそうだけど。
そう思った矢先、別の手段が講じられたのが分かった。背後に迫る無数の糸状の魔力を感じる。それらが無駄なくココによって分解されるのさえ見越しているのだろう。こっそり家屋の影にも糸を忍ばせているのが把握出来た。
そういうのを見逃すわけがない。わたしが、ではなく、ヨハンがだ。
直線状にわたしへと伸びた糸も、隠蔽された糸も、流れるような速さで分解された。
「儂の邪魔をするな! その女は儂のものだ!!」
轟く怒声を聞き流し、痛みだけを与える火炎の刃で血族を斬っていく。
「クロエお嬢さんは誰のものでもありませんよ。強いて言えば出品権は別の男の手にありますが、まあ、彼女は自由です」
出品権と聞いて、自分が身に着けているシックな首輪を意識した。そういえばわたしをオークションに出品する権利はルーカスにある。もちろんわたしの意向が最優先されるので、首輪はこちらの自由を阻害しない。
首輪の存在はルドラも承知しているだろう。にもかかわらず執拗に求め続けるのは、もとよりわたしをオークションに出すつもりはないというわけだ。ならなんのために欲しいのかというと、そればかりはルドラしか知り得ない。わたしを材料にしてニコルや魔王と昵懇になりたいとか、いかにもありそうな話だが関心外の事柄だ。今のわたしにとっては、人間であれ血族であれ他種族であれ、他者の感情やら思惑は大抵どうでもいい。ニコルと魔王さえ討てればいいわけで、それ以外は本当になんとも感じないのだから仕方なかろう。ヨハンに従ったり、彼の意を汲んだりするのも、目的を共有しているからに過ぎない。
「この地において自由なのは貴様ら二人だけだ! それ以外はすべて儂の――」
再び後ろで轟音が鳴った。おおかた、もう片方の足も解体されたのだろう。
「思い上がりも甚だしいですね、ルドラさん」ヨハンの声は冷えていた。「貴方はなにひとつ手にしていない。ましてや他人を自分のものにするなんて原理的に不可能なんですよ。たとえオークションで競り落としたとしても、人心を所有出来るわけがないでしょうに。貴方が意のままに出来るのは貴方自身のみです。といっても、今の貴方はご自身さえ制御出来ていないようですが。まあ、倒錯なんてそんなものですね」
ヨハンが夜会卿のオークションを毛嫌いしているのは、なんとなく分かる。元オークションの司会者ルーカスへのあからさまな嫌悪の態度もそれを裏付けているように思う。なにより夜会卿の支配地で革命を起こそうとして失敗した挙げ句に幽閉されたのだから、夜会卿にまつわる諸々に良い感情は持っていないだろう。
「儂に説教を垂れるなど百年早いわ! メフィスト! 貴様なんぞ世に蔓延る滓のような有象無象も同然だ。いかに己が無力か知らしめてやろう!」
解体されつつある身でなにを言っても虚勢にしか感じないものだが、どうやらそうでもないらしい。この町を取り巻く檻。それらの格子から糸が伸びて家屋を持ち上げるのが見えた。
いくつかの家屋は糸を断ち切られたものの、数が数である。糸は家屋ごとわたしへと伸びた。いくつもいくつも。
背後を振り仰ぐ血族たちが血相を変えたのも無理はない。ここにいたら巻き込まれるのは考えずとも分かるだろう。仮に糸を断ったとしても、家屋は慣性の導くままにここへ激突するはずだ。
サーベルに氷をまとわせて、なんとかなるだろうか。それとも風の刃で木端微塵にするか。どうにも見通しが立たない。いや、わたしだけであれば避ければ済む話だけど、気絶した血族は無事ではいられないだろう。
『お嬢さん』
耳元にヨハンの交信が届く。
『ルドラさんの仕掛けにはなにもしなくて大丈夫です。目先の血族の意識を奪うだけで結構』
それならいい。ヨハンを信頼しているわけではなく、危なくなったらわたしだけ対処すれば問題ないという言質を取ったようなものだ。敵や味方関係なしに、今のわたしは誰かの命が失われることに頓着していない。ヨハンが死ぬのは避けたいが、もし死んだとしてもなにも感じないだろう。
みるみるうちに迫る家屋群を無視して、退避を選んだ血族に炎の刃を浴びせる。
さて、そろそろ危険域だ。そう思って見上げると、家屋が鈴なりに頭上で垂れ下がっていた。
なるほど。
ヨハンも大概だが、ココも随分器用だ。糸を解くではなく、結びつけて威力を殺した、と。
ただ、ルドラが糸を解除したら全部落下するだけでは?
どうやら敵方もそう思ったらしい。
「馬鹿め! 浅知恵など儂には通用せん!」
糸が消える。
するとすぐに、別種の糸が家屋群を拘束し、一斉にわたしの頭上を飛び越えて――。
破壊音が鼓膜を揺さぶった。振り返ると、ルドラの腹部のあたりに家屋の破片が突き刺さり、激突し崩壊した家々は彼の膝のあたりへ落下するところだった。
「小娘……! いったいなにを」
ルドラの荒々しい声に対し、ココは悠々と返す。
「お爺の身体の糸を抜いて、集めて、家に巻き付けて、お爺に結んで縮ませただけだけど?」
沈黙が広がる。
ルドラが無言になるのも致し方ない。糸を集めるのは、魔術を魔術のまま回収することを意味する。縮ませるのは、集めた魔術の性質を変えたと捉えるべきだろう。糸に特化しているとはいえ、そんなことが出来る魔術師なんて聞いたことがない。
天才を前にしたとき、往々にして言葉は失われるものだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『転移門』→短距離の転送に特化した小規模な魔術。入口と出口の座標を設定し、二点の距離をゼロにする。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『ルーカス』→『魔女の湿原』の北に広がる高原に住む『黒の血族』。銀色の梟面を身に着けた小太りの男。父である『巌窟王』と一緒に暮らしている。同じ血族であるマダムに攫った人間を提供していた。血族のみ参加出来るオークションで司会をしていたが、クビになった過去を持つ。クロエをオークションに出品する優先権を持っている。ハルピュイアを使役する権能を有し、特殊な個体である赤髪のハルピュイアとは独自な契約関係にある。マゾヒスト。詳しくは『472.「ほんの少し先に」』『609.「垂涎の商品」』にて
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者だが、実は魔王と手を組んでいる。黒の血族だけの世界を作り上げることが目的。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐。詳しくは『875.「勇者の描く世界」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。不死の力を持つ。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』にて
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』




