1005.「不殺遂行」
煙宿を包囲する魔物が制止状態にあったのは、ルドラの命令によるものなのは明白だ。彼が指揮権を手放すことで魔物は本来の在り方を取り戻す。つまり、人間も血族も見境なく襲う状態に回帰するわけだ。
ルドラの張り上げた声は煙宿全域に轟いたことだろう。すなわち、包囲網を敷いていた魔物すべてに届いたわけだ。
俄に動き出した魔物を見やり、サーベルを振り抜く。放たれた風の刃がココとヨハンの間を駆け、勇んで飛び出したグールを真っ二つにした。
「お嬢さん。この場を任せてもよろしいですか?」
「問題ないわ」
ココの手を引いて退却してきたヨハンと、擦れ違いざまに言葉を交わす。
「気絶した血族の保護もお願いします。可能な限りで結構ですので」
「分かった」
わたしひとりなら、たぶん問題ないだろう。ただ、全員守れるかは分からない。本能を取り戻した魔物の標的になるべく前線に出たわけだけれど、連中がわたしだけを狙ってくれるかは未知数だ。広場の周縁に陣取った小型魔物だけでも五十はくだらない。そこにキュクロプスも混じっているのだから難易度はさらに上がる。
状況は理解しているだろうに、ココは普段通りの調子で「お嬢、ファイト!」なんて言っていた。
「ココさん。ルドラさんの糸は溜め込んでますね?」
「もっちろん!」
「では、我々は大将を封じに行きましょう。ルドラさんを自由にしておくわけにはいきませんから。なに、そう難しい仕事ではありません。ココさんの手がルドラさんの腹に触れれば勝ちです」
打ち下ろされるキュクロプスの拳を、サーベルで形成した氷の槌で跳ね上げる。そして手首に風の刃を放つと、血が迸った。どうも一撃では切断に至らないらしい。二撃、三撃と刃を重ねてようやく拳が地に落ちた。
「触るだけで?」とココの疑問の声が耳に届く。
「ルドラさんは身体に貴品を埋め込んでいるという噂です。先ほど本体を見て、腹にあると確信しました。名は『万世一糸』。効力は魔力の糸の操作全般です」
随分詳しいが、ヨハンの耳に入ってもおかしくはない情報だ。これまでのルドラの態度を見る限り、所持品を秘匿するような性格ではない。むしろ、方々で言い触らして憚らないだろう。体内に埋め込んでいるならなおさらだ。貴品を盗もうとする輩の意志を挫く意味でも、出し渋るより広めるほうが得策と思える。
いずれにせよ、ココの能力は『万世一糸』とやらを超越しているのは証明済みだ。腹に触れれば勝利というのも間違いではない。糸の出所さえ押さえてしまえば、相手は老いた血族でしかなくなる。
「よく分かんないけど、とりあえず承知!」
ココの返事には、なんの疲労もなさそうである。これまでの、繊細極まる糸の裁断や回収には相応の負担があったろうに。
「私はココさんの影に潜んでサポートしますので、ご安心を」
「影?」
「ええ。一心同体みたいなものです」
「え~。なんか照れる~」
以前のわたしならココに喝のひとつでも入れただろう。ちゃんと集中して、とかなんとか。
今は心底どうでもいい。目の前の仕事――魔物退治を淡々とこなすだけだ。
とりあえずキュクロプスは足を切断し、倒れ込む際に風の刃を十発程度入れれば首を切断出来ると分かった。倒れ込む巨躯がこちらに被害をおよぼしそうなら、氷の槌で軌道を変えればいい。大型魔物は討伐後も肉体そのものが凶器になるものだが、油断しなければいいだけの話。グールなどの小型魔物を蹴散らしつつ、キュクロプスを一体討つのに大体一分前後。もう少し工夫すれば時短出来そうだが、今のところいいアイデアは浮かばない。
「そういうわけなので、ルドラさんはお任せください、お嬢さん」
「分かった。二人とも気を付けてね」
無駄なコミュニケーションを取る約束は忘れていない。ココが気を付けようと油断しようと、それは彼女に依存する問題なわけで、わざわざ指摘する意味はなかった。脅威に向かう者への激励の言葉でもない。あえて表現するなら、心配と期待の表明だ。心にもない台詞である。心がないのだから当たり前だが。
ココは「お嬢も気を付けてね!」なんて返す。ヨハンはなにも言わなかった。もとより返事なんて必要ない。彼が今どんな表情をしているのかも興味はないし、振り返る時間がもったいなかった。
やがて二人が去っていくのを魔力の流れで感じ取る。檻へと伸びた魔力と、それを支えに空中を駆ける人型の魔力。ルドラから回収した糸を上手く使っているのだろう。ココ自身に魔力の放出――人形術は使えないはずだ。
ひとりになり、迫りくる魔物を次々と霧散させつつ思う。
ルドラの制圧は二人がやり遂げるだろうが、その後はどうなるだろう。ここ一帯の魔物はわたしがどうにか出来るとして、煙宿全域が災禍に見舞われる。普通ならキュクロプス一体を撃破するのに何人もの人手がいるし、被害も大きい。町を包囲する巨人の魔物は百体以上だろう。人間側の勢力を効率良く配分し、最善のかたちでキュクロプスを各個撃破するとして、それでも劣勢だ。
血族と人間と魔物の三つ巴になれば、多少は見通しが開けるだろうか。あるいは、一時的に血族と共闘するかたちになれば。
それでも明るいイメージは抱けない。煙宿の人員も血族もほぼ壊滅する想像のほうが現実的だ。
自軍にも損害を与える戦略を取るほど、ルドラはわたしに執心しているのか。まったく理解出来ない。今のわたしだからというわけではなく、きっと以前のわたしであっても些少の共感もなかったろう。
踏み降ろされるキュクロプスの足を回避し、刃を振るいつつ考える。血潮が全身を濡らしても思考が乱れることはない。行動力が損なわれることもない。
ルドラはココとヨハンの排除のために、最終手段として魔物を動員したわけだ。今頃空中でココの追撃の手から逃げ続けているはずだが、時間の問題だろう。両者にとって、だ。人間側の被害が大きくなれば、ルドラはヨハンとあらためて交渉をはじめるはず。趨勢が決する前にルドラを制圧出来ればヨハンの勝ちだが、それは煙宿全体の勝利を意味しない。なにせルドラは魔物の支配権を放棄したのだ。撤回が効くとは思えない。それとも、この数の魔物を御する算段でもあるのだろうか。わたしには視えない策が。
煙宿の人員に、純粋に期待しているだけというオチもありそうだ。レオンやカシミールはその筆頭だろう。ただ、勝ち目は薄い。ヨハンがそんな無策を演じるとは思えないが、考えたところで仕方ない事柄だ。
広場の左右から、同時に二体のキュクロプスが迫るのが見えた。一方はわたしを狙っている。もう一方は、気絶した血族たちへ視線を注いでいた。
「あ、え? どういうことだ?」
後ろのほうで聞き覚えのない声がする。気絶した血族が意識を取り戻したのだろう。
わたしへと拳を振るうキュクロプスへ疾駆し、両脚の腱を切り裂く。仰向けに倒れた巨体を回避し、もう一体のほうへと足を向けたが、どうやら遅かった。
覚醒したばかりの鎧姿の血族が、ちょうどキュクロプスに掴まれるのが見える。悲鳴が響き渡った。
そのまま巨人が腕に力を入れれば、彼の命は木端微塵になったろう。実際、数秒遅ければそうなっていたはずだ。
新たな獲物に目を光らすキュクロプスの腕。その半径五メートル圏内に入ったところで、わたしはサーベルを振るった。風の刃のギリギリ射程圏内である。一瞬のうちに三発放った視えざる刃は、キュクロプスの前腕を切り落とせずとも、弛緩させるには至った。
緩んだ手から血族の男が真っ逆さまに落下する。疾駆の速度を上げて片腕で彼をキャッチすると、骨が軋み、痛みが駆けた。そんなことはどうでもいい。一瞬の痛みでなにかを誤るなど、今のわたしにはあり得ない。
「あんた……なんで俺を助けたんだ」
呆然とした声で言う男を、早々と地面に降ろした。そしてキュクロプスに風の刃を浴びせる。
サーベルを振るいながら、口を開いた。
「死なせたくないからよ」
真実だ。わたしはヨハンの指示通り、死なないようにしただけ。
しばらくして、背後から洟をすする音がした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『ココ』→『煙宿』にある針治療の店『針屋』に居候する女性。気さくで明るく、演技が達者。魔術の才能があり、得意の裁縫と組み合わせ、魔力を織り込んだ衣服を作る。魔力の糸を断つのも結ぶのもお手の物。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』『450.「復路の梟」』にて
・『グール』→一般的な魔物。鋭い爪で人を襲う。詳しくは『8.「月夜の丘と魔物討伐」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『人形術』→魔力製の糸で物体を操作する魔術。複雑な機構のものを操るのは不可能とされている
・『レオン』→ビスクの婚約者。人形術を得意とする魔術師。独り言が多く、コミュニケーションに難がある。カシミールの弟であり、マダムの息子。三人とも血の繋がりはない。『黒の血族』のオークションでマダムに落札された。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~②不夜城~」』にて
・『カシミール』→マダムの養子であり、レオンの兄。血の繋がりはない。粗暴な性格だが、料理の話になると打ち解ける。人形術により自身の肉体を強化する技を得意とする。現在は『煙宿』で料理人をしている。詳しくは『第二章 第五話「ミニチュア・ガーデン」』にて




