25 薬水
ロザリーが死者に短い祈りを捧げた。
「アルト」
俺を見る視線に非難の色はなかった。
少し意外だ。傀儡種討伐軍の経験者であればともかく、そうではない潔癖で心優しい聖騎士なら非難の1つや2つくらいしてくるかと思っていたが。
「この町の、泉の薬水を試してみませんか」
「……たぶん試さずに全員斬った方が早く収まると思うが、それを分かって提案してるんだよな?」
死病を癒やしたという泉が効果を発揮するのかは分からない。もし効果が無ければただ無駄に時間を費やしただけということもありえる。
俺としてはそんな実験に時間を使うべきとは思えなかった。
「はい。救えるかどうか、試さずに斬ることは出来ません」
なるほど、と思った。
ロザリーはそこで線を引こうとしているのだろう。
操られた者を救えないなら、救える者を救うために斬ることはできる、と。そう自分を納得させたいのだと思った。
そういう線引きは必要だ。傀儡種討伐軍の新兵が最初に乗り越えなければならなかった壁である。これが討伐軍なら、納得など待たずに戦線に放り込むところだが、俺たちはもう傀儡種討伐軍ではないし、この町の防衛に責任を持つ立場でもない。
まだ若いロザリーにはしっかりと悩み考えて乗り越えて貰いたいところだな。
「わかった。試してみるか」
俺はそう応じた。ロザリーがちゃんと思いっきり戦えなければ俺たちの戦力は半分以下だという問題もある。
「ありがとうございます」
「いいってことよ。急ごうぜ」
俺たちは薬水の泉に向かって走り出した。
途中何度か町の兵士たちの一団とすれ違った。騒動の鎮圧に向かおうというのだろう。彼らが鎮圧してくれるのが一番楽ではある。
「私たちは薬水の泉へ向かいます。何かあればそちらへ!」
ロザリーは毎回彼らにそう伝えていた。
泉は町の中心にある。
それは町のどこからもたどり着きやすいということであり、そこを抑えられたら町はかなり不利になるということでもある。
町の制圧を考えたとき、市長公邸や大聖堂に並んで抑えたい場所になるのではないだろうか。
向かいながら俺はその可能性に思い当たったが、幸い泉には敵らしきものはいなかった。
兵士が15人ほどいて、あちこちから逃げてくる住民を安全と思われる方角へと誘導していた。
「西の丘へ向かうんだ、慌てるな!」
そう兵士たちが叫んでいる。
ロザリーはその兵士たちの中で一番位が高そうなマントをつけた隊長格の兵士に寄っていった。
「すみません、少しよろしいですか」
声をかけると、隊長はようやくロザリーに気付いたようだ。
「聖騎士様!」
天の助けが来たような喜びようである。これは大分余裕がなさそうだぞと思った。
「状況を簡潔に教えていただきたいのですが」
「実は、我々もよく分からないのです。守備隊の総長殿は今日市長様と一緒だったはずなのですが、何の命令も来ないのです。我々は今自主的になんとかするために動いているところです」
守備隊総長からの連絡がない。
もしかしてそれ、総長は既に死んでいるか操られているのではないだろうか。
もしそうだとすると町の状況はかなりやばい。
「騒動の規模は?」
「分からないのです。なので状況把握も含めて住民が逃げてくる方へ隊を分けて派遣したところです」
「なるほど。先ほど私たちも商館街で遭遇し戦ってきたところです。どうも魔術か何かで強化されて操られているようなのですが、神聖術でも解呪できませんでした」
「なんと。それは我々も把握できておりませんでした」
「特徴は目です。白目がなく全てが真っ黒になるようです」
「なるほど、真っ黒」
隊長は周囲を見回すと、ちょうど通り過ぎようとしていた1人の住民を指さした。
「もしや、ああいう?」
その男の目は、たしかに先ほど暴れていた連中と同様、真っ黒な目をしていた。
ロザリーがその男を見て、素早くその前に立ち塞がった。
男は何も言わない。
突然聖騎士が目の前に立ったにもかかわらず、だ。
「少しお話よろしいですか」
ロザリーが声をかけても男は何も言わない。男はロザリーを無視して通り抜けようとした。
何度でも言うが、聖騎士とは偉い人である。そんな偉い人に声をかけられて無視して通り過ぎることができるだろうか。答えは否である。
つまりこいつは『そう』だ。
ロザリーがそいつの腕を掴んだ。
そいつは急に腕を振り払うようにしつつロザリーに殴りかかった。
(あーあ)
強化されているとはいえ鍛えていない一般市民対ロザリー。
まぁロザリーの勝ちである。
ロザリーは殴りかかられた腕をつかみ取るとそのまま巻き込んで投げ、地面にたたきつけた。
ロザリーはそのままそいつを押さえ込みにかかる。
「そこの兵士、手伝いなさい!」
兵士たちが慌てて群がった。兵士は、逃れようと暴れるその男の手足を全身で押さえつけた。
「アルト、泉!」
はいはい、それは俺の役目なのね。
俺は泉に駆け寄って、泉を囲うレンガ壁の上に置かれていたひしゃくで水をすくった。
まずはその一杯を男の顔にかけてみた。
何も変わらず男は暴れようとし続けている。
「飲ませてみるか?」
「ぜひ!」
ロザリーが噛みつこうとしてくる男の口を無理矢理こじ開けた。
俺はそこに2杯目の泉の水を流し込んだ。男は最初咳き込んだが、多少は飲み込んだようだ。
水を飲み込むと、暴れていた男が大人しくなった。
もしかして効果ありか。
「え、あれ? 俺……」
聖騎士や兵士が自分を押さえ込んでいるのに気付いて戸惑う男。
目も普通に戻っているようだ。
ロザリーと兵士たちが男を離した。
「あ、あの、俺……」
男はまだ良く状況が掴めていないようだ。
「西の丘へ逃げてください、急いで」
兵士は説明せず逃がす方を選んだ。俺もそれでいいと思う。男は言われたとおりに去って行った。
「泉の水が効果あるぞ、急いで水筒や壺を調達してこい!」
隊長が兵士に指示をはじめた。
「どうやら、効くみたいですね」
ロザリーがほっとしていた。
「あぁ。だがこれ全員にやるのか……?」
俺はとても安心できなかった。今1人に飲ませるのにどれだけ労力をかけたか。これが複数人まとまってこられたら、とてもではないが対処できなくなる。現在の人数では同時に3人か4人が限界ではないだろうか。
治せるということが分かって、事態はより厄介になっていた。
それだけではない。今、操られた者が平然と避難する住民に紛れていた。気付かなければそのまま西の丘へ行っていただろう。もし西の丘にたどり着いてから暴れ始めたらどうなることか。いや、俺たちが気付く前に何人か西の丘にたどり着いてしまっているかもしれない。
(やばいな)
危機感しかない。
守備隊は組織的な対応が出来ていない。目に見える範囲だけならロザリーの指示で従わせられるだろうが、全体は無理だ。
敵が少なく操られている者が多く無ければ、まだなんとかなるだろう。だがもし、数が多ければ。
町はもう詰んでいるのかもしれない。




