18 奇跡の代償
「聖人アルクス様の取り分だよ」
どうやら司教が説明をしてくれるようだった。
「この町では、時折、誰もいないのに食べ物や飲み物など様々なものが消えることがある」
(誰もいないのに……?)
そこに食べた張本人がいるようだが。
「この町にある物すべて、その10分の1は聖人アルクス様の取り分なのだ。消えた物がどうなったのか誰も知らない。まぁ食べ物なんぞは食べられているじゃないかと思うがね」
はっは、と司教は笑う。
10分の1。
そういえば、司教とロザリンドがスルーしているこのもぐもぐ男は、二つ目のパンに手を伸ばそうとはしていない。
もしかして、俺にしか見えていないのだろうか。
「君には」
もぐもぐ男が口を開いた。
「私の姿が見えているんだろ。気付いたかもしれないけど、君だけだよ、それは」
もぐもぐ男がしゃべっても司教とロザリンドは何の反応もしない。
やはりこれは無視しているんじゃない。知覚できていないのだ。
「ま、見えちゃう君にはここに私がいると気になって食事もできないよねぇ。あとで部屋に行くから、その時私が何者か、話そうじゃあないか」
男はそう言い残して、壁をすり抜けて消えていった。
そんな現象を見てしまっては、食事の味どころではない。その後どんな料理が出てきたか、さっぱり記憶に残らないまま俺は店を出た。
「ふー、うまかったのぅ。じゃ、わしはもう少し寄ってから帰るからの!」
真っ赤な顔をした司教はそう言い残して夜の町に消えていった。
俺とロザリンドは夜風に当たりながら宿にしている大聖堂へと足を向けた。
「何か気になることでもありましたか?」
「気になること?」
「ずっと上の空だったじゃないですか」
まいったね、これは。
俺が食事どころではなかったことをきっちり悟られていたらしい。
「いや、その、失礼じゃなかったかな」
「司教様なら、1杯飲んだらゴキゲン党なので問題ないですよ」
「そっか」
司教に怒られないならまずは良かった。だがあのもぐもぐ男をどう説明したものだろうか。
君たちが聖人アルクスの取り分だと言っていたときにもぐもぐ食べていった男の姿が見えましたよ、とかか。
幻覚を見た狂人と思われるのではなかろうか。
「ロザリンド」
「はい」
「あとで俺の部屋に来てくれないか?」
「は?」
俺の周りだけ急に真冬になった。
「いや変な意味じゃない。ちょっと話したいことがあるんだ」
俺はそう言い訳した。明らかに苦しい。部屋に女を連れ込む典型的な手法といわれても仕方がない。こんなことを言って本当に話をするだけで終わったら噴飯ものである。
というか何が悲しくてロザリンドにこんなことを言わなければいけないのだ俺は。
大人のお姉さんが良かった。
「わかりました」
ロザリンドは頷いた。
あの言い訳を信じてくれたのか。ちょっと心配してしまうな、いつか悪い男に騙されないだろうか。
いや、まさか実はすべて分かっていて色っぽい格好に着替えてきたりしないだろうな。しないよね。されても困るぞ。
「すぐ行きますね」
その言葉通り、ロザリンドは教会に戻ってすぐ俺にあてがわれた部屋に来た。もちろん服装は先ほどのままだ。
俺はちょっと安心しつつ、ロザリンドに椅子をすすめた。
俺は寝台の上に腰かける。
「それで、話って何ですか」
「さっきの食事中な、俺は幻覚を見てしまったかもしれない」
「幻覚?」
「覚えてるかな、一品目に聖人アルクス様の取り分ということがあったろ?」
「ありました。アルクス様がその取り分を私たちのテーブルから選んでいただき光栄でした。二皿目からは別のところに行ってしまったようですが」
「あの時、見たんだよ」
「……何を?」
「金髪でやせ型の男だった。一皿目の料理をひょいと食べて、壁をすり抜けて去って行ったんだ」
がた、とロザリンドが立ち上がって俺に詰め寄ってきた。
「見たんですか!」
あまり近づくなよ、と前に出した手は両手で包み込まれた。
「え、おい」
「アルクス様を、見たんですねっ!?」
「いや、あれがアルクス様かどうかは……」
「身長っ。身長はどのくらいでしたかっ!?」
「えっと、司教様より少し高いくらいかなぁ」
俺が答えると、ロザリンドは俺の手を放し両肩をがっしと掴んできた。
近い近い。
ずいずいと前に出てくる。カラーダの上体が思わず後ろに倒れそうになっていた。
「目の色はっ!?」
「そ、そこまでは……」
距離もあったしよく見ていない。
「薄い紫」
どこからかあのもぐもぐ男の声がした。
「う、薄い紫?」
俺はオウムのようにそれを繰り返した。
俺の返答を聞いたロザリンドが目を見開いた。
「すごい!」
興奮したロザリンドが俺の首を取り上げた。俺はすぽん、と首ベルトから抜かれた。
「アルト、すごいです! アルクス様ですよ! 一般的な記録ではグレーって記載されてるんですけど、私たちしか見られない当時の限られた記録では紫ってなってるんです! 間違いなくアルクス様その人です!」
「あ、うん」
ロザリンドのテンションがぶちあがりすぎてついていけない。
「……でなおそうか?」
と、ロザリンドにアルクスだと断定されたもぐもぐ男は、扉の前に立っていた。
俺はロザリンドに抱えられたままそちらに目線をやった。ロザリンドはその目線の動きに気付いて同じあたりをみた。
「も、ももももしや今もそこにいらっしゃるのですかっ!?」
「いるね」
ロザリンドは俺をポイとカラーダに投げて“そちら”に向けてひざまずいた。小さな声だが超速で祈りの文句を唱え始めている。
「熱心な子だねぇ」
もぐもぐ男は笑っている。
「正解なんですかね?」
俺が尋ねると、もぐもぐ男は頷いた。
「うん、私がアルクスだよ。奇跡を願った代償に、500年ほど誰からも認識されないまま生き続けている男さ」
500年間誰からも認識されない。俺は背筋に冷たいものを感じた。それが奇跡の、町を救った奇跡の代償だというのだろうか。
「俺には見えるようですけど」
「そうだねぇ。君が誰かの奇跡に直接関係しているからだろうね。誰からもとは言ったけど、100年に1人くらいはいるんだ。私を認識できる人が」
「アルト、なんて! アルクス様は何と仰っているのです!?」
「100年に1人くらいアルクス様が見える人がいるらしいぞ」
「私にも見えるようになりませんかっ!?」
「奇跡に直接関係しないといけないらしいから無理じゃないかな」
激しく動いていたロザリンドが凍ったように動きを止め、その後その場に崩れ落ちた。
(静かになったな)
ちょっと騒がしかったし、このほうがいい。
俺はようやく落ちついてアルクスを見ることができた。
「それで、正体を明かすためだけに来たんじゃないですよね?」
「100年ぶりに話し相手になれる人が来たから話したかった、じゃだめかな」
「それならそれでもいいですけど」
「ふふ、冗談だよ。じつはちょっと、君にこの町を救ってもらいたくってね」
「俺に? 町を?」
「そう。首と胴体が分かれて生きているのか死んでいるのかわからない君にしかできない!」
「生きてますよ」
ちょっとひどいんじゃないだろうか。
「そう怒らないでくれよ。君に、この奇跡を終わらせてほしいんだ」
アルクスの顔から軽薄な笑みが消えた。




