17 奇跡の泉の町
薬聖の町アールハイム。
デルモア鉱山を出発した俺たちは、5日の旅の後、そこにたどり着いた。
500年前、この町には死病が蔓延した。手足がしびれ、動けなくなった後、次第に体が腐ってゆく死病だったという。あらゆる薬は全く効果を示さず、神聖術でかろうじて進行を遅らせることができる程度という病で、瞬く間に町の人口は半分になった。
そこで奇跡が起こった。当時この町の教会にいたアルクスという神官が、7日7晩祈りを捧げ続けた結果、町の中心に湧き出していた泉の水を、死病を治癒する薬水へと変えた。
薬水により人々は死病を克服し、この奇跡をもってこの町は“薬聖”の名を冠するようになったのであった。
話には聞いたことがあったが、俺も訪問するのは初めての町だ。
城門で入市の手続きをして町に入り、まずは荷物を置きに教会へ向かう。
大きな町であり、また“薬聖”の逸話のあるこの町の教会は、大きく壮麗な建物であった。
聖アルクス大聖堂。
徹底的にこの町を救った聖人を推していく姿勢を感じる名前である。
「ロザリンド様、お久しぶりです!」
大聖堂の中に入ると、ロザリンドの姿を見つけた若い神官が駆け寄ってきた。尻尾があったらふっていそうなほどの喜びが顔に出ている。
「レット、久しぶりですね。司教様はいらっしゃいますか?」
「はい、少々お待ちください!」
レットが奥へ入って行き、しばらくして戻ってきた。
「応接室で少し待っていてほしいとのことです。ご案内させていただきます!」
犬だな。俺は思った。
レットの案内で大聖堂の応接室に通され、そこで待っていると、簡素な黒い祭服を纏った初老の男がやってきた。
ロザリンドが立ち上がり、それを追いかけるように俺の首を乗せたカラーダが慌てて立ち上がった。
「司教様、ご無沙汰しています」
ロザリンドが礼をした。
「やぁロザリー。久しぶりだね。昨年の春分ミサの時以来じゃないか。あちこち回るのもいいけれど、たまには寄ってくれないと我々は寂しいよ」
司教からは柔らかく気さくな印象を受けた。
「心がけます。司教様、こちらは剣士のアルト。故あって私に同行してもらっています」
「アルトと申します、司教様」
「はじめまして、アルト殿。私はこの大聖堂を預かるラーナウェルです」
司教は俺に対しても偉そうな様子はない。俺は司教を「良い聖職者」の分類に入れた。
司教は俺を上から下まで眺めてから、うんうんと頷いた。
「よく鍛えておられるようだ。ロザリーをよろしくお願いします」
司教様が頭を下げてきた。
「この子は、少し勇猛過ぎるところがありますが、優しい子です。どうか大事にしてあげてください」
いや待て。なんかおかしい。
「違います」
ロザリンドが速やかにかつ淡々と否定した。
「司教様、私とアルトは、ただ旅を一緒にしているだけの、同行者です。恋人ではありません」
はっきりとロザリンドは断言した。
そう、その通りだ。俺の好みはこんな一人でドラゴンと戦えてしまう馬鹿力の子供ではなく、包容力があり芯の強い大人の女性だ。年齢も身長も胸の大きさも足りない。
「……アルト、今何か失礼なことを考えませんでした?」
なぜかばれた。
「気のせいじゃないか」
俺はとぼけた。
「うーむ、似合いそうなんだがのう」
「し・きょ・う・さ・ま?」
ロザリンドは笑顔で『黙れ』と言った。
「おぉ怖い。これは済まなかったね。それで、今日はどうしてここへ?」
「二人で総本山へ行く途中でして、この町に泊まるのに部屋を貸していただけたらと」
「おぉ、そんなことか。良いとも良いとも。
時に、アルト殿はこの町は初めてかな?」
「はい、初めて訪れました」
「そうかそうか、それでは私のおすすめの店で夕食でもどうかね。もちろんロザリーも」
俺がチラリとロザリンドを窺うと、ロザリンドは首をかすかに縦に振ってくれた。どうやら社交辞令の
類ではなく受けていい話らしい。
ただ俺としてはできることなら断りたいんだが……だめですよねそうですか。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「はぁ」
俺は待ち合わせ場所でため息をついた。
風呂に入って旅の疲れと汚れを取り、きれいな服に着替えたのち、町の中心にある“聖なる泉”にやってきた。
そう大きな泉ではない。一周を歩くのに一分とかからないだろう。泉の中央に小さな岩山があり、そこから水が湧き出て流れ落ちている。
3人ほど、泉の水を水筒にくみ取っている者がいた。
死病を癒した奇跡の水。
周りでされている話を立ち聞きしたところ、今も病を治す力があると信じて汲んでいく者が絶えないのだと言う。
俺のため息の原因は、司教との会食である。司教とは要するに、かなりえらい神官である。少し挨拶して話すだけならともかく、ぜひ会食したいと思えるような地位の相手ではない。領主とかそういう連中の同類なのだ。悪い人物ではないのだろうが、俺の庶民根性はそんなことで納得したりはしない。
なら断ればいいじゃないかという話だが、もちろん庶民根性としてそんなこともできない。偉い人の好意を無碍にすることは、悪人に喧嘩を売ること並みに危険なのだ。
「お待たせしました」
声をかけられて振り返ると、町娘がいた。
ゆったりとした桃色のワンピースで腰には細い革ベルトがまかれて引き締められている。ブリオーという服である。
服装はどこからどう見ても町娘なのに、首から上がロザリンドであった。いつもの神官服ではない。
「ロザリンド?」
「えぇそうですよ」
ロザリンドが両手を広げてくるりと回った。大きく広がった長い袖口が動きに合わせてひらひらと舞った。
「その恰好は?」
「アルトのリクエストにお応えして可愛い格好してきました」
「……」
俺はもう一度ロザリンドを上から下まで見た。
ロザリンドは首をちょっと傾けて俺の感想を待っている。
(素直に言えばあと10年)
だが、俺はすでに学習している。ここでうかつなことを言えばカラーダにどつかれるのだ。
そう、ティーナも言っていた。女の子が可愛いアピールをしてきたらとりあえずほめろ、と。
「そうだな、かわいいと思う」
「……」
「……」
沈黙。
あれ、何か間違えたか?
ゴン。俺はカラーダに拳でどつかれた。
なぜだ。
「おぉ、ロザリーにアルト殿、待たせてすまんのう」
そこへ司教がやってきた。
「ロザリーは今日も可愛いのう」
「ありがとうございます」
ロザリンドは自然に笑顔で礼を述べた。
なぜ司教が言うとそうなるのか。
納得いかないまま俺は司教の案内でレストランへ向かった。
レストランは、入り口に剣を帯びた警備員が立っているような、貴族や富裕な商人が使う高級な店であった。
司教はそこに「よっ」と気さくに挨拶して入っていった。
ロザリンド、俺とその後に続く。警備員にチラリと見られて止められないか不安を感じたが、特にそんなことはなかった。
「いらっちゃしませ、ラーナウェル司教様」
店の者に出迎えられ、3人で食事をするにはやや広すぎるくらいの個室に通された。円形のテーブルに席が3つ用意されている。
(ナイフとフォークが一杯並んでるけど、これどうしたらいいんだ?)
席の前に大きさの異なるナイフとフォークが3本ずつ並んでいる。まさかこれ全部使うのだろうか。なぜ一度の食事で何本も必要になるのか全く理解ができない。
「飲み物はワインでいいかね?」
「あ、はい」
慣れている様子の司教に丸投げしよう。食べ方とかは真似すればなんとかなるだろう。マナーがなってないとか怒られてもロザリンドがなんとかしてくれるだろ。まさかロザリンドも一緒になって責めてきたりはしないだろうし。
素早く運ばれてきた白ワインで喉を潤していると、すぐに食事が始まった。
一皿目、円形のテーブルの中央に大きなお皿が運ばれてきた。薄く切られた小さなパンの上にペースト状の何かが乗っているものが、10個乗っている。
何かって何だって聞かれても、俺には分からん。
「これなんですか?」
「鴨のレバーペーストでございます」
へぇ。鴨の。美味いのかな。
俺の感想などこんなものである。
「この街の店ではの、どんな店でも必ず大皿で持ってくるのだよ」
司教が教えてくれた。
「皆で同じものを食べよ、ということですか?」
「それもあるがね」
司教は意味深に笑った。
(手で取って食べれば良いのかな?)
俺がそんなことを考えていると、大皿にひょいと手が伸ばされた。
(え?)
先ほど給仕の女性と一緒に室内に入ってきた金髪の男だ。無造作にペーストの乗ったパンをひとつ取り上げると、ぱくっと一口で頬張った。
(お前が食べるの?)
司教とロザリンドがそれを気にする様子はなく、何事もないかのように会話をしている。
とすると、これはそういう店側の作法なのかもしれない。毒はありませんよと示す意味とかあるのかもしれない。
「おや、ロザリー、一つ無くなっているぞ」
司教が今気付いたかのように言った。
「本当ですね」
2人の様子は喜んでいるようにも見えた。2人はテーブルの脇でもぐもぐしている男などいないかのように振る舞っている。
「えっと、これは?」
俺は何かを試されているのか?
俺はそのもぐもぐ男に視線を向けた。
その男は僕に見られていることに驚いた様子で目を見開いた後、唇に人差し指を当てて『黙ってろ』と合図してきた。
なるほど、こういう作法か何かなのだこれは。彼に気付いた様子をしてはいけないのだろう。
「わー、なぜ無くなっているんだろう」
俺は棒読みで言った。郷に入っては郷に従え、だ。




